庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「青い鳥」

 中学でのいじめ問題と教師の生き様を扱った映画「青い鳥」を見てきました。
 上映館が少ないこともあるでしょうけど封切り2週目土曜日は朝一番でも8割くらい入っていました。

 コンビニ店の息子野口君が東ヶ丘中学2年1組の級友からコンビニの商品の持ち出しを要求され、自殺を図ってそれが報道され、転校していき、学校側はクラス全員に「原稿用紙5枚以上」の反省文を書かせ、教師が納得するまで書き直させて、反省の儀式を済ませて新学期再出発を図ろうとしていたが、心労から休職した担任教師の代用教員として赴任してきた吃音の教師村内(阿部寛)が、「忘れるなんて、卑怯だ」と言い出し、仕舞われていた野口君の机を教室に戻した挙げ句、毎朝、その机に向かって「野口君、おはよう」と言い続け、生徒や保護者の反発を受けて学校側はやめさせようとするが、村内は無視して淡々と続ける、そのうちいじめに加わった一人園部君(本郷奏多)と村内先生の会話から心がほどけていくというようなお話。

 ストーリーも、訴えたい内容も、かなりシンプルですので、わかりやすい映画ですし、ストレートに入ります。ただ、現実はそんなもんじゃないとも、感じてしまいます。

 しゃべらないということの存在感、ということを感じさせられる映像です。吃音という設定のためか、本気で言うことはきちんと聞かなくちゃいけないという考えから本気の発言以外には答えなくていいと思っているのか、村内先生が、普通なら説明し反論するはずの場面でもほとんど黙っています。通常、黙っている側は言い分がない、劣勢と扱われるはずが、淡々としている村内先生の立場がそのまま維持されます。
 でも、村内先生が言葉で説明しなくても言いたいことや言い分がわかったり、村内先生の考えが通るのは映画だからです。実際の場面では、いまどきこれだけ説明しない姿勢でいられるとは思えません。職員会議で再度反省文を書かせるということにもその場で全く反論もしなかったのに、自分で原稿用紙を握りつぶして無視しますし、2年1組を気遣う同僚の嶋崎先生(伊藤歩)の問いかけや発言にも、離任の時に至るまで自分の意見は言わずじまい。儀式としての反省でことを乗り切ろうとする校長や教頭に反発して無視するのはまだしも、生徒たちのことを思って真摯に問いかける嶋崎先生とも話し合わないのはどうも。
 反発する生徒の声にも反論はせず、声高な物言いはせず、説教もせず、真剣な問いかけがあるまでは説明もしないという村内先生の姿勢は、優等生の園部君の問いかけから、野口君はこの学校にいたかった、野口君を忘れずにいることがそれがわからないほどのことをしてしまった者の責任だという話をして、園部君の自分への問いかけ・見直しへと進み、園部君を通じていじめの主役井上君らの反省へとつながっていきます。でも、それまで井上君らの反発が比較的穏健な範囲で収まったのも、園部君と井上君が話し合えたのも、やっぱり映画だからで、自分から言葉できちんと説明しないでいて、うまく収まっていくというのはどうでしょう。

 週刊誌に掲載された野口君の手書きの遺書の写真と、野口君が遺書を書いているシーンで映っている遺書が、改行箇所が違って行数が違います。その程度のチェックはきちんとして欲しいなと思いました。

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