庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2022年10月

29.猫弁と魔女裁判 大山淳子 講談社文庫
 東大法学部を首席で卒業し司法試験を最年少で合格して日本でも屈指の大事務所「ウェルカム」に入所したが「世田谷猫屋敷事件」で有名になってペット訴訟の依頼が集中したために独立を促され事実上クビになった弁護士百瀬太郎が、ウェルカムからの要請で国際スパイ事件の強制起訴事件の指定弁護士となり、それに没頭するという小説。
 この作品では、これまで避け続けてきた(と思われる)法廷シーンが登場し、弁護士の目にはかなり無理な記述が続きますが、まぁ作品のなかで「普通はありえない」と書いている(288ページ)ので、あり得ないのはそこだけじゃないけど、置いておきましょう。
 作者は、このシリーズで、性別役割分業について、否定的な評価を示したり、セクハラだと言ってみたりする一方で、専業主婦志向を持つ者への配慮も見せ、テレビドラマ脚本を意識してか八方美人的なふるまいをしているように感じられます。ただ、作者の方向性はそうとしても、「猫弁と透明人間」で事務員七恵から「おじょうさんをください」と言うよう指示されたのに対し「大福亜子さんはひとりの人間です。もらうとかあげるとか、品物のような言い方はできません」と言い(「猫弁と透明人間」文庫版313ページ)、さらに後日ですが、「猫弁と鉄の女」でも大福亜子の両親に対し秘書の野呂が以前「おじょうさんをください」と言ったことは撤回する、「わたしが大福さんの夫となっても、大福さんがご両親の娘さんであることに変わりはなく、くださいとかあげるとか、物品のような表現はわたしにはできかねます」と言う(「猫弁と鉄の女」文庫版349~350ページ)百瀬太郎が、この作品では大福亜子の父親に対して「おじょうさんをひと晩お借りしたい」と言っている(196ページ)のはいかがなものかと思います。もらうならダメで借りるならいいのか、少なくとも信念・信条に基づくものならそういう発言は考えられません。こういう発言が出てくると、品物のような言い方はしたくないというのが、付け焼き刃のものに見えてきます。またこういう発言をしながらその説明(言い訳)さえないということでは、そもそもその点についてろくに考えてさえいないと思えます。作者は百瀬太郎のその問題に関する発言の趣旨・重みをどう考えているのでしょうか。
 関係なさそうな人物やできごとを終盤で関連付け取りまとめて行くのが作者の作風とみられ、この作品でも一応まとめてはあるのですが、これまでの作品に比べて、今ひとつ散漫な感じがあり、私には、作者の疲れが感じられました。文庫本の裏表紙には「人気シリーズ、涙の完結!」とあり、シリーズ全5巻完結記念の鼎談も付されていますが、ストーリーとしては完結とは言い難く読者には不完全燃焼感を残すけれども、作者としては気力が続かないということでそうなったのだろうと思います。

28.猫弁と少女探偵 大山淳子 講談社文庫
 ペット訴訟で有名になり「猫弁」と呼ばれる弁護士百瀬太郎が、三毛猫が行方不明となり、さらには身代金要求が来たという小学生からの依頼を受け、解決に向けて奔走するという小説。
 シリーズ第4作で、シリーズ第1作「猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼人たち」の1年後(「猫弁と少女探偵」文庫版63ページ)、百瀬太郎40歳(13ページ、37ページ、42ページ)の設定です。
 登場した人はたいていは後で事件に関わってくる、そこの持っていき方が巧みというか強引というかの作風ですが、この作品では、第1作で終わり際(「猫弁」文庫版332~334ページ)にエレベーターに乗り合わせただけの名前も聞かなかった少女を、少女探偵=依頼者に仕立てています。
 裁判関係のことは避けて、基本的に裁判前に解決するように進行し、それは正しい方針だと思うのですが、時折不用意な記載が顔を出します。「訴状等々、公文書を書くことに没頭した」(264ページ)というのは、裁判所に出す書類は公文書だという理解をされているみたいですが、公務員が作成した書類(公務員が作成したと記載されている書類)が公文書で、公務員でない者が作成する訴状は公文書とは言いません。そういうことで違和感を覚えることが時々あって、弁護士としては、読んでいて引っかかり興ざめしてしまうのが残念です。

27.猫弁と指輪物語 大山淳子 講談社文庫
 ペット訴訟で有名になり依頼を断れずに無理な案件を受けてしまう弁護士百瀬太郎が、63歳の舞台女優白川ルウルウが豪邸内で飼育している前年にアメリカのキャットショーで2位となった大型猫ルウルウ・べべが妊娠した「密室猫妊娠事件」の犯人捜し・真相解明を依頼されるという小説。猫弁シリーズ第3作。
 相変わらず、最初関係なさそうに出てきたものが最後に結びつけられ絡んでいく展開です。シリーズの他の作品と比較するとミステリーらしく謎解きにこだわっていますが、ミステリーとしては枠外の結末に思えます。少なくとも「密室猫妊娠事件」という設定の下でミステリーファンが期待する/納得するものではないでしょう。
 この作品では、目立たない脇役だった百瀬法律事務所のおじさん秘書野呂法男が、ホームズを支えるワトソンに自己投影して奮闘し、さらにはその過去(司法試験に落ち続けた過去ではありますが)にもスポットライトが当てられます。野呂法男ファン(というのがいれば:第1作の解説でTBSのドラマ制作部のディレクターがドラマの配役を書いています(「猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼人たち」375ページ参照)が、そこに野呂法男はいませんし)には快い読み物かと思います。
 このシリーズでは、裁判についての描写は踏み込まないようにしていると感じられ、それはたぶんその方がいいと思っているのですが、利益相反についてはあまりに配慮というか検討がなさ過ぎると思います。百瀬の友人の獣医柳まことを訴えたいという依頼者小松が「もしここで百瀬が依頼を受けなければ、よその弁護士をあたる」というのを聞き「金になるならどんな無茶も引き受ける弁護士はいっぱいいる。まことが心配だ。裁判となり、訴えが棄却されたとしても、相当いやな思いをするだろう。ここは自分が引き受けるべきだ。百瀬はそう判断した」(126~127ページ)って、これ、依頼者の相手方の利益を守ることを動機として受けるという話で、弁護士としてはそれは絶対ダメでしょう。その辺の感覚が、百瀬太郎には、というか作者には根本的に欠けていて(第5作でシュガー・ベネットに対する公判請求をする指定弁護士の選任を受けるのも同様でしょう)、弁護士の仕事をテーマとする作品としてどうよと思ってしまいます。

26.猫弁と透明人間 大山淳子 講談社文庫
 ペット訴訟で有名になり事務所には多数の猫がたむろしている弁護士百瀬太郎が、透明人間を名乗る者からメールで依頼を受けたのを契機に、マスコミの寵児となっている「法律王子」こと二見純のゴーストとして裁判の脚本を書く引きこもりの沢村透明と絡み、医療過誤訴訟などに関わっていくという展開の小説。猫弁シリーズ第2作。
 この第2作で、7歳で母親に捨てられたという設定の百瀬太郎のその後の経歴が明らかにされます。児童養護施設で育ち、中学卒業後高校には行かず3年間パチンコ店で住み込みで働きながら高校生の暴走族沙織の家庭教師をしつつその高校の教科書で独学して高卒認定試験に合格して東大を受験し合格(81~82ページ、122~128ページ)、東大では医学部からゆくゆくはノーベル賞を取らせたいという思惑で転部のスカウトが来たのを断り、最年少で司法試験に合格した(304ページ)、大学の教授は「もし彼が十九世紀に生まれていたら、アインシュタインの名は後世に残らなかっただろう」と言っていた(303~304ページ)のだそうです。かなり無理のある設定ですが、まぁ基本コメディですからね。
 私は医療過誤訴訟やらないので今ひとつ実感は持てないのですが、電子カルテをめぐり、弁護士が、改ざんしたりそれを破棄して元データに戻したりというような話が出てきて、それはさすがにちょっとないだろう、作者は弁護士をなんだと思っているのかと思いました。

25.猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼人たち 大山淳子 講談社文庫
 東大を首席で卒業し現役で司法試験に合格して、日本屈指の大手法律事務所「ウェルカム」に入所したが、マスコミを騒がせた「世田谷猫屋敷事件」をうまく解決してペット訴訟の依頼が殺到し、経済効率が悪い事件を多数抱える羽目になって事務所から独立させられた39歳の弁護士百瀬太郎が、私生活では結婚相談所に登録して3年間、お見合い30連敗を喫し、事務所では猫に囲まれて、特異な事件を持ち込むクセの強い依頼者たちに悩まされるという小説。
 当初バラバラに始まるエピソードが、最後にはほぼすべて絡んで終わる、ある種見事と言え、見方によっては強引にも思えるストーリー展開です。わりと細々としたことまで終わりには関係してくるので、私のように気にしたがる人には、読み返したくなる部分が多くあります。
 シリーズ全体を通して、ミステリーであるように始まり、いろいろなエピソード(ミステリーであれば「布石」)が回収されて行くのですが、ほのぼの系で終わるという印象です。「謎解き」にはあまり期待しない方がいいかと思います。
 手間がかかるが多額の報酬は期待できない種類の事件で有名になり、クセの強い/我が儘な依頼者に好かれてつきまとわれ依頼される弁護士という設定…よくわかるというか身につまされるというか… (T_T)

24.私は女になりたい 窪美澄 講談社
 渋谷の高級住宅街の美容皮膚科クリニックの雇われ院長をしているバツイチ子持ちの赤澤奈美が、48歳の時に、自分を「女」としてみてくれる14歳年下の元患者の男に対し、人生最後の恋を意識してのめり込んで行くという老いらくの恋小説。
 私より5歳若い作者が55歳の時に書いた作品ですが、48歳の主人公に「この歳になると、なかなか二度寝もできない。眠ることにも体力がいるのだ、と実感したのはいつのことだったか」(80ページ)と言わせています。私は、48歳の頃も、そして今も、いくら寝ても寝たりない、時間が許すならいつでも二度寝したいと思っているのですが…それは、人それぞれなんでしょうか。「『セックスで綺麗になる』という特集記事が女性誌で組まれたのはもう何年以上前になるのだろうか」(140ページ)…私たちの世代や主人公の年齢設定では、衝撃的で記憶に残るその特集は1989年に「an・an」に掲載されたもののはず。30年あまり前のことで、「何年以上」ってボケかましてるんだろうか。
 「私が仕事に熱中したのは、子どもを産んでも、夫と別れても、仕事だけは手放さなかったのは、母への復讐の気持ちがあったからだ。母は生涯、仕事を持つ人間ではなかった。二人の夫の庇護のもとに主婦として生きた人だった。母のようにはなりたくない。私のなかには常にそんな気持ちがあった」(233ページ) 20年以上、美容皮膚科医として働き経営してきた者が、果たしてそういう動機で働き続け、また自分の生き様をそのように総括するものか、人それぞれではありましょうけれども、私には違和感があり、また歯を食いしばって働き続ける女性たちはこういうのを読んでどう思うのかなと思いました。

23.「非正規」六法 有期雇用やアルバイトで損せず生活するために 飯野たから著、横山裕一監修 自由国民社
 非正規労働者が使用者から不利な労働条件を押しつけられたり、労災や社会保険への加入等の手続を受けられなかったり、解雇や雇止めをされたときに、どのようにできるかについて法的な説明をしている本。
 企画・出版の趣旨・目的はいいと思うのですが、残念ながら、ライターが労働法をきちんと理解しているのか、そして監修している弁護士が内容をちゃんと確認しているのか、疑問に思える点が多々あります。労働契約法第9条に言う労働条件の不利益変更をするための合意は「社員の過半数が加入する労働組合がある(なければ社員の過半数)場合には労組と会社が賃金カットに合意すればよく、その効果は組合員以外の社員にも及びます。組合員でない社員も賃金カットに応じなければなりません」(67ページ)って、初めて聞きました。労使交渉で「労働協約」を締結すれば労働条件の切り下げも可能で、その労働組合(過半数組合である必要はありません)の組合員はそれに拘束されます。しかし、その組合が事業所の労働者の4分の3以上を占めない限りは所属組合員以外は拘束されません。労働条件の不利益変更の合意(本来は労働契約法第9条ではなく第8条の問題)の当事者である労働者は個別の労働者であって労働組合ではありませんし、就業規則の不利益変更(労働契約法第10条)の際に過半数組合が同意していることは有効性判断の一要素にはなりますが、決定的な要素でもありません。一体何をどう誤解・混同して書いているのかも不明ですが、過半数組合が賃金切り下げに同意したら組合員でもない労働者もそれを受け入れなければならないなどというとんでもなく使用者に有利な間違った見解を、労働者が「損せず」生活するためという本で書かれるのはまったく迷惑な話です。
 有期契約の雇止め(期間満了時の不更新)について、「その社員の契約期間が1年以上あって、過去に契約を1回でも更新したことがあるときは、会社側に雇止めをする客観的で合理的な理由があり、それが社会通念上相当と認められる場合を除き、社員が更新を望めば、会社は現在の契約と同一条件で契約を更新することを承諾したとみなされます」(203ページ。4~5ページの漫画、191ページにも同趣旨の記載があります)というのは、それが本当なら労働者側の弁護士にとってはとてもうれしいことですが、現実はそんなに甘くありません。厚生労働省の告示(有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準)で、3回以上更新したか1年を超えて継続勤務している場合に労働者が請求すれば使用者は雇止め理由証明書を交付するものとされていて、その際の理由は期間満了以外の理由を書くこととされているので、それをもって使用者は期間満了以外の理由がないのに雇止めすべきでないと、交渉材料なり運動的には言ってもいいですが、法的に、あるいは裁判上、それで雇止めが無効になるわけではありません。裁判例上「契約更新の合理的期待」があるとして客観的に合理的な理由があり社会通念上相当と認められなければ雇止めが無効とされる条件は、担当業務の性質、更新回数、通算勤続期間を中心とするさまざまな要素の総合判断ですが、契約期間が1年以上というだけで認められることはまずありません。
 労働者側のスタンスを示しながら、使用者が経営悪化を理由としたときへの諦めのよさ(200~201ページなど)は使用者側の弁護士が感激しそうなものだったり、契約更新の合理的期待を議論するときに塾講師については裁判例上簡単ではないのですがそのことにまったく触れてもいません(196~197ページ)。
 非正規労働者が損せずに闘えるようにという本を出版するなら、もう少し裁判所でも現場でも通じる内容のものを書いて欲しいところです。

22.極限大地 地質学者、人跡未踏のグリーンランドをゆく ウィリアム・グラスリー 築地書館
 地質学者である著者がグリーンランド西部でフィールドワークを行った際に見聞したグリーンランドの大地と気候等の実情、そこで著者が考えたことなどを書いた本。
 極限の大地の環境の厳しさと美しさが語られていますが、それをいうなら今どきやはりカラー写真を付けて論じるべきだと思います。著者は「私はバックパックからカメラを取り出して撮影しようと考えたが、結局はやめた。そもそも、写真を残すことに何の意味があるのか。この場所から受けた印象、地球の奥深くで大昔に形成された見事な岩壁との出会いが荘厳な気持ちを呼び起こし、穏やかな情熱が湧いてきた現実を胸に刻めば十分ではないか」(81~82ページ)というのですが、著者自身同僚に対して「結局は、この素晴らしさを上手に表現できる言葉など見つからなかった」(93ページ)というのです。当然研究者として、記録のために、発見した地層や礫・石の類は撮影しているはずですから、風景というかフィールドワークを行った場所を撮影しないという選択はないはずです。その場所・大地の情景を説明しようとするなら写真を付けるのが当然だと思うのですが。
 研究の報告として読むには、最後には成果をめぐる説明があるものの研究全体の狙いやそれに向けた調査の順序だった説明がなく、冒険日誌として読むには時を追った記載とは読めず、フィールドワークの過程で書きたい部分を取り出したエッセイ的な記事を集めたような印象があります。通して読むには何か抜けているところがあるような読後感を持ちました。
 著者は、グリーンランドで一人歩いているときに、トナカイが食べる地衣類を食べてみたくなり、食べてみたらおいしかった、「私は一つまみ飲み込むと、つぎつぎにお代わりをして、地衣類を食べ物としてよく理解しようと努めた」と記しています(94~95ページ)。知的好奇心はいいのですが、こういう記事を読むにつけ、人びとの記憶・警戒心の喪失に残念な気持ちを持ちます。チェルノブイリ原発事故の後、地衣類の放射能汚染とそれを食べるトナカイによる生体濃縮が問題にされました。汚染の中心となったセシウム137はその頃からようやく半分になっただけです。わかっててあえてチャレンジするのならそれは自由ですが、念頭になく、また読者への配慮もないというのはどうかなと思います。

21.かがみの孤城 辻村深月 ポプラ社
 恵まれた家庭に育ちながら、いじめに遭って引きこもり、母親とともに面接をして通うことにしたフリースクールへも初日から行けず、いじめについて徹底的に自分の立場には立ってくれない担任を恨み、母親に対して不満を持ち続ける不登校の中1少女安西こころが、自室の鏡を通して「鏡の城」に呼ばれ、同様に呼び込まれた6人の中学生とともに、狼面の少女から翌年3月30日までの間朝から夕方までは自由に鏡の城に通って好きに過ごしてよい、その間に鍵を探し出し「願いの部屋」に入れれば何でも願いを叶えるという課題を与えられ、自らはいじめ加害者の真田美織をこの世から消すことを目指して、他のメンバーと間合いを計りながら付き合い、鍵を探すという設定のファンタジー仕立てのミステリー小説。
 最初は、ファンタジーの舞台設定を用いているものの、基本はいじめ加害者を抹殺するという暗い願いに固執する主人公の成長物語かなと思って読んでいたのですが、どこまで行っても安西こころの加害者への恨みと自分は正しい、自分を理解しない大人たちが間違っているという強い信念はまったく揺らがず、中盤は主人公の変化もストーリーの進展もあまり見られず、だれた感じがして、投げたくなりました。これがどうして「本屋大賞」?という疑問を持ちながら読み続けていると、終盤に大きな展開が始まり、ミステリーとしても走り出して、そこからはぐいぐい引き込まれます。読み終わってみると、鮮やかなお手並み、と思えます。もちろん、「本格ミステリー」じゃなくて、ファンタジーなので、設定自体が非現実だから突き詰めて納得できるわけじゃないですけど。そう、狼さんのヒントってメンバーの3月29日の行動を予め予知した上で出したんですかとか、どうして他人の記憶がこころに見えるんですかとか、いやそれならこころよりも別のメンバーがずっと早く謎を解けていたはずじゃないですかとか、そういう疑問は、ファンタジーなんだから、聞くだけ野暮だよねと封印するべきなのでしょう。

20.羊と鋼の森 宮下奈都 文春文庫
 それまでピアノに触ったこともなかった高校2年生の外村が、北海道の山中の学校の体育館でベテランの調律師板鳥がピアノの調律をするのに立ち会って感動して板鳥に弟子入りを志願し、専門学校に通った後に板鳥が勤める会社に就職して調律師となって試行錯誤を重ねていく青春小説。
 天才的な才能を発揮するようなことはなく、先輩たちの仕事ぶりに感化されながら、さまざまに思いをめぐらせて行くという線が貫かれていて、清々しい読み味です。
 最初のシーンで板鳥が調律をしながら、昔は山も野原もよかったからと話し始め、昔の羊は山や野原でいい草を食べていたのだろう、いい草を食べて育ったいい羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトを作っていたんですね、今じゃこんないいハンマーはつくれません、と言って、ここのピアノは古くて優しい音がするとしみじみ語っています(12~13ページ)。こういった世界、見方、語りが、この作品の基調にあり、落ちついた穏やかで深みのある味わいを作っているように思いました。
 仕事についてのやりがいや職業人としての自負に関してもさまざまな投げかけがあり、考えさせられます。長く手入れされずに酷い状態のピアノを見ても、「それでもこの仕事に希望があるのは、これからのための仕事だからだ。僕たち調律師が依頼されるときはいつも、ピアノはこれから弾かれようとしている。どんなにひどい状況でも、これからまた弾かれようとしているのだ」(158ページ)と受け止める外村の姿勢に打たれました。

19.腹を割ったら血が出るだけさ 住野よる 双葉社
 愛されたい故に自分を偽り続けていると自己規定し、計算した言動をするたびに密かに舌を噛み死にたくなる高校生糸林茜寧が、小楠なのかという架空の作家が書いた3冊目の小説「少女のマーチ」を読んで、まさに自分のことを書いた小説だと考え、街で出会ったライブハウス勤務の女装男宇川逢に小説中の登場人物「あい」を投影し、小説中の設定・できごとと茜寧が認識することを追体験しようとするという小説。
 小説と作者・読者の関係、小説が何をできるかというようなことを、「少女のマーチ」と茜寧ら登場人物、さらには小楠の関係で、またアイドルグループ「インパチェンス」とファンの関係にもなぞらえながら描いているのかなと思いました。
 「私も文学賞とか、あと本屋さんの賞とか?獲ったからって読まないです」(73ページ)って、デビュー作「君の膵臓をたべたい」が2016年本屋大賞第2位(大賞は宮下奈都「羊と鋼の森」)となって売れっ子作家となった作者が言うのは笑えます。それとも、大賞が取れなかった恨み/僻みでしょうか。

18.インボイス導入で変わる消費税実務【令和4年改訂版】 課税事業者・免税事業者の対策 渡辺章 ぎょうせい
 2023年10月1日から導入されるインボイス制度の内容と売り手側・買い手側での対応・導入準備について解説した本。
 商品・サービスの購入側(その代金を経費としたい側)が消費税を本則課税(基準年度の課税売上高5000万円超)の事業者の場合に、仕入れ税額控除(自分の課税売上高にかかる消費税額から経費として支払った消費税額を差し引いて納税する)をするために、登録した適格請求書発行事業者が発行したインボイスを受け取り保管することが必要となるということでいろいろな業界を騒がせている問題です。導入後は、インボイスを発行できない/しない個人・零細事業者は、仕入れ税額控除をしたい取引先から排除され、取引停止となるのではと、個人・零細事業者には悩みの種になっています。私のような事業者でない個人や事業者でも零細規模(消費税は免税か簡易課税)の人の依頼しか受けない弁護士には、本来は関係ないことがらなんですが…
 インボイスの記載要件は、発行者の名称と登録番号、取引年月日、取引内容、税率ごとに区分して合計した価格(税込みまたは税抜き)と適用税率、税率ごとに区分した消費税額、宛先の名称で、「税率ごとに区分した」の点を気をつければ、通常の請求書や領収書に登録番号を打つだけのもので、実際書式はどうでもよくて全部手書きでもいいんだそうです(126ページ)。
 ただ、不備があると仕入れ税額控除を受けられなくて、税率ごとに区分した合計が書かれていないとか、端数処理が税率ごとの合計段階で1回だけにしなければならず商品ごとに端数処理した合計ではいけない(170~175ページ)とか、いろいろとうるさい面倒なことが起きそうです。代金振込時に振込手数料を売り手側の負担として代金から振込手数料を差し引いて振り込まれたときにはその振込手数料の処理のためにインボイスの交付要求をすることになったり(200~204ページ)、なんだか頭がクラクラ・イライラしてきます。振込手数料の消費税分の控除って、数円のために事実上それ以上の費用(担当者がそれにかける時間の賃金を考えると…)をかけるとか、なんか役人の自己満足か会計業界のニーズ開発のために振り回されているんじゃないかと思えてきます。

17.破戒 島崎藤村 岩波文庫
 長野県内の被差別部落に生まれ、父が故郷から離れた地で牧場を営み、その父から被差別部落の生まれであることを「隠せ」と戒められて、師範学校を出て今は飯山の町で小学校教師となった瀬川丑松が、部落出身者であることを公言して虐げられた民の側からの主張を著し続ける思想家猪子蓮太郎に憧れ、猪子蓮太郎が推す代議士候補の弁護士市村の政敵高柳や、丑松を煙たく思う校長に忖度する同僚教師の勝野文平によって丑松の素性に関する噂を流される中で、懊悩する小説。
 丑松の迷い、戸惑い、恐れが、情景描写や、種牛に突かれて死んだ父を弔うための帰郷の比較的長いエピソードに、巧みに描き込まれ、思ったよりも長編でしたが久しぶりに近代小説らしい作品を読んだなぁという感慨を持ちました。
 2022年の映画作品のわかりやすさは好感できましたが、原作小説の長さがより丑松の思い、逡巡、苦悩を感じさせて味わい深いと思いました。
 現在の感覚からすれば、去るのでは解決にならない、居残って戦うべきだということになるかもしれません(もっとも、1980年代ニューアカブームでは逃げるが勝ち、近年はいじめに対して、学校に行かなくていい、まずは身を守れと言われますから、そうでもないかもしれません)が、書かれた時代(1906年出版)を考えれば致し方なく、問題提起だけでも十分というべきでしょう。
 私は(近視が著しいけれども)老眼がまだ来ないので苦にはなりませんが、久しぶりに見る1行43字19行の組は、ずいぶんと小さな字に見えました。文庫の標準的な39字18行に比べて16%程度字が多いだけなのですが。

※「伊東良徳の超乱読読書日記」の記事について、 gooブログから「差別表現など不適切な表現」という指摘を受け、小説の舞台として小説に書かれていた地名をそのまま引用していた部分を修正しましたので、こちらも同様に修正しました。

16.ギフテッド 鈴木涼美 文藝春秋
 中二の時に母親に煙草とライターで二の腕から肩・背中にかけてやけどを負わされ、その後17歳で家を出て18歳の時にやけどの跡を隠すように二の腕から背中にかけて大ぶりの百合2輪と蛇の入れ墨を入れ、それをテープで隠したりしながら水商売をしている「私」と、8年ぶりに病院から「私」の部屋に越してきたいと言ってやってきたが9日後には呼吸困難になって病院に戻った母との間の微妙な関係を描いた小説。
 母親に二の腕を焼かれたことに繰り返し言及しながら、それが右腕か左腕かに触れることを避け続けていることが気になりましたが、85ページ(全体の7割くらい)に至り、「右手で左腕を触り、外から裏側の方に指を回して微妙な凹凸を吹くの上から撫でる」という間接的な言い回しでそれが左腕であることが明らかにされます。気にして読んでいたものが、あっさり語られるのであれば、そこまで注意深く隠し続けた意図はどこにあったのかと訝しく思えます。「私」がこだわる、母親が「私」の腕を焼いた動機・心情も結局よくわかりませんし。まぁ、そこは、現実世界の親子でもそういうものかなという気はしますけど。
 「お酒を飲むと、酔っている間は酔う前のことは思い出せない。酔いが醒めると酔っていた間のことが思い出せない」(19ページ)というのが、いいフレーズだなと思いました。
 過去の母親の行為のために傷つき複雑な思いを持つ子が死にゆく母親を目の当たりにして後悔の念を持つという点で、先日読んだ「百花」と共通点を持っています。「百花」が比較的優等生で多数の読者の共感を得るであろうのに対して、この作品は劣等生の立場から見たもっとざらざらしたものを感じさせます。

15.百花 川村元気 同文舘出版
 自分よりできる同僚と社内結婚して2年のレコード会社勤務の37歳の葛西泉が、妻香織が妊娠し臨月まで働き続けるという状況で、それと並行して68歳の母百合子の認知症が進んで行くという様子を描いた小説。
 仕事と妻の妊娠に加えて、母の容態への懸念、徘徊等への対応、施設探し、症状悪化を見るダメージ等を通じて、認知症家族の疲れと、しかしもっとできたんじゃないか、もっと寄り添えばよかったという後悔と悲しみの心情を描いています。多くの読者にとって切なく、身につまされるテーマだろうと思います。ラスト6ページの泉の思いには心揺さぶられます。
 この作品では、母が中学生だった泉を捨てて愛人と出奔したという過去があり、それを百合子は負い目に感じ、泉もまた複雑な思いを持ち続けていることが、ストーリーに陰影を付けています。もっとも、それが現在の母子関係に与えている影響は必ずしも明らかではなく、その設定がなかったとしても同じような読後感を持つのではないかとも思えます。こういう設定にする以上やむを得ないのかとも思えますが、その過去の1年を百合子の日記で示し、それが54ページにわたって続くというのは、間延び感が強くありました。適当に切って泉の受けた衝撃とか、あるいは現在のできごとを挟んでまた日記に戻すなり、日記全体をもっと短く切り上げるなりした方がよかったのではないかと感じました。

14.総務・人事の安心知識 ハラスメントとメンタルヘルス対策 古見明子 同文舘出版
 法令上求められており企業としては実施しておかないと行政指導等の対象となるハラスメント防止対策と、企業にとって従業員の生産性維持のためにも必要なメンタルヘルス対応や休職への対応などをシンプルに解説した本。
 わかりやすいといえばわかりやすいのですが、「マタハラ等では、上司と休業者との間で職場復帰後の労働条件(賃金が下がる、雇用形態が変わるなど)などについて確認し合うことが重要です」(59ページ)という記述には驚きます。出産・育児休業からの復職時に賃金切り下げや非正規雇用化が普通にあり得るかのような感覚、著者が専ら企業側の立場だからということなんでしょうけど、出産休業や育児休業の取得を理由として不利益処分をすることはまさに法令上禁止されているマタハラそのものです。労働者を丸め込めばそれでいいんだという感覚を、ハラスメント対策の本を書く著者が持っているというのはいかがなものか、こういう見解を公然と口にすること自体、今ではマタハラなんじゃないでしょうか。
 セクハラについて他社からの調査への協力を求めるセクハラ指針の規定について「右の条文を参照してください」とされている(78ページ)その右の条文として相談や相談への協力をした者に対する不利益処分を禁止する均等法第11条第2項が記載されている(79ページ:正しくは均等法第11条第3項とセクハラ指針5項を示すべき。セクハラ指針5項は158ページに掲載)など、雑なところが見られます。
 また、著者の経験で、労働者が上司のセクハラを訴えた労働審判で、自分がセクハラ研修をしていたからセクハラ防止対策をしていたという資料を提出したら「セクハラに該当せず」との判断になったという自慢話をしています(87~88ページ)が、研修をしていたから会社(使用者)が職場環境配慮に努めていたとして、会社の責任が否定されることはあり得ても、研修をしたことを理由に上司の行為がセクハラにならないという判断はあり得ないと思います。93ページで、「F事件」(フクダ電子長野販売事件:使用者側の人は企業に忖度して会社名を隠したがりますが、報道もされているので)の東京高裁平成29年10月18日判決を紹介しているんですが、それを「裁判を経て、従業員4名は自己都合退職扱いにより退職金を支給された」「約900万円の支払を会社および代表取締役に命じた」と書いています。この事件、代表取締役からパワハラを受けて退職に追い込まれた4名が、会社が退職金を自己都合退職基準で支給(1名は自己都合扱いだと支給基準に足りず不支給)したのに対して、パワハラの慰謝料や退職金の会社都合扱いとの差額等の支払を求め、裁判所がその請求を認めたものです。ですから、裁判を経て会社都合扱いの退職金が支給されることになったわけです。そして、裁判所が支払を命じた金額は、会社に対して元本ベースで660万9599円、判決日までの遅延損害金込みで806万6032円(遅延損害金は計算方法により若干の差はでますが)で、うちパワハラの慰謝料・弁護士費用分の元本ベースで275万円、判決日までの遅延損害金込みで330万6778円は代表取締役も会社と連帯して払うことを命じられました。どこをどう計算しても約900万円という数字は、判決からは出てこないんですが(判決報道でも、約660万円と書かれています)。判決を紹介するなら、ちゃんと読んで書いてほしいものです。

13.図解と事例これ1冊!労務管理の基本がぜんぶわかる本 三谷文夫 ワン・パブリッシング
 中小企業の労務/総務担当者が遭遇する労務管理についての問題について、ごくシンプルに基本的な説明をする本。
 弁護士の目からは、その説明は甘いなと思うところもあります。例えば、「副店長は、スタッフのシフト調整および新人スタッフの教育や配置を担っており、シフト調整をする上で、自分の出勤日や休日、その業務内容をある程度決めることができる裁量もありました」ということと3万円の役職手当で、経営への参画が少ないというのに、時間外・休日労働割増賃金の対象外となる「管理監督者性があると判断しました」としています(56~57ページ)。シフトの調整程度で人事労務に関する権限と責任が十分とは言えないでしょうし、そういう場合、むしろスタッフの都合で穴が開かないように副店長が自身の勤務を入れて穴埋めするようなことも多いと思われます。経営への参画が少なくて役職手当がわずか3万円では、裁判では管理監督者性が否定される可能性が高いと思います。会社の費用で資格を取得した労働者が早期退職したときにその費用の返還を求められるかという問題(131ページ)なんかは、使用者側の弁護士は、より労働者に厳しいえげつない手法を提案するでしょう。また、健康保険・厚生年金の加入要件が2016年10月から500人超の事業所では所定労働時間週20時間以上、1年以上の雇用が見込まれ、賃金月額8万8000円以上となっていたのが、2022年10月1日から100人超の事業所で所定労働時間週20時間以上、2か月以上の雇用が見込まれ、賃金月額8万8000円に拡大されましたが、2022年7月発行の本なのにそこが具体的に説明されていない(37ページ)というのは、どうかと思います。
 そういった弁護士が書く場合のような専門性・詳細さはありませんが、現実に遭遇しそうな問題にとりあえず対応するという点では、わかりやすい本だろうと思います。

12.99%の人がしていないたった1%の仕事のコツ 決定版 河野英太郎 ディスカヴァー・トゥエンティワン
 元IBMにいてその後独立して会社経営をしながら、「日本の労働生産性はもっと上げられる。そのために自分のキャリアをすべて捧げよう」(8ページ)と考えているという著者が、仕事のコツについてのあれこれを書いた本。
 多数の項目が見開き2ページで書かれていて、その場その場で違うことを言っていると思えることもあり、これが決定的とか、これでいつもうまくいくということではなくて、結局は状況に合わせて臨機応変に対応するしかない、そのときのアイディアの引き出し集ということなんだと思います。「相手に合わせてカメレオンのように自分の性格を変える」(188ページ)なんてアドバイスもありますし。
 「あいつ使えない」は「私はあの人を使う能力がない」という敗北宣言だ(184~185ページ)というのは、味わい深いですね。解雇事件で、労働者側の弁護士としては、そうだ、そうだと思います。上司側でその境地に至るのはなかなか難しいとは思いますが。
 言いにくいことを「宛先多数につきBCCにて失礼します」と書きながら、実はその人だけに「BCC」で送付する(93ページ)って…そういうやり方があるのか、とは思いますが、そういう技巧的なというか騙しみたいなことをして、バレたら大変な気がしますけど。

11.Webサイト管理のきほん 業務と技術の知識が身につく 谷口元紀 技術評論社
 サーバ管理者向けに、ドメイン、サーバの基本とレンタルサーバの使い方、SSL、セキュリティ、トラブルシューティングの考え方などを解説した本。
 たぶん、かなりかみ砕いて書いているものと思え、技術的な用語、特にカタカナと英語の略語が登場してよくわからないのを、そこは気にしないで読み進めれば、一応最後まで投げ捨てずに読めるレベルには説明してくれています。しかし、実際に設定とかをしないで知識として読んでいても、きちんとは理解できていなくてたぶん自分でやってみようと思ったときにはできないだろうなという気がします。サイトの WordPress 化とか SSL 化とか、昔何となくいつかはしないとと思ったことがありますが、説明を読んでみると、素人がやるにはかなりリスクが大きいと改めて感じました。
 乗っ取りを防ぐために複雑なパスワードを使えと強調されていて、そのリスクを説明されると怖じ気づくのですが、複雑なパスワードを、しかも使い回さずに逐一別のものにするなんてことをしたら確実に忘れて困り果てます。今どきパスワードを管理するソフトを使えば大丈夫と言われても、著者も別の場面では言っているように、「何もしていないのに壊れることがある」(208ページ)のが、パソコンやソフト、ネットの常…ですからねぇ。

10.流浪の月 凪良ゆう 東京創元社
 公園で小学生女子を見つめる日々を送る19歳大学生佐伯文が、その文の存在を意識しつつ家に帰りたくないために夕方まで公園で過ごす9歳の家内更紗が雨の中でもベンチに座り続けるのを見て傘を差し掛け、「帰りたくないの」という更紗に「うちにくる?」と問い、更紗が「いく」と答えて付いてきて、そのまま2か月帰らなかったために、逮捕され報道されという事件から15年後に更紗と再会し、そこに至る2人の過ごした時間で変わったこと変わらなかったこと、そして2人のその後を描く小説。
 当然により大人の側が状況を考えて行動すべきではあるのですが、9歳のときも、24歳のときも、更紗側が後先考えずに文を巻き込み、文が世間から非難されるような事態を巻き起こして行くのに、文側はそれを仕方がないと受け入れていく、そのことに更紗には自覚がないというところ、何だかなぁと思います。24歳でも、まだ24歳、そして文は34歳ですから、更紗は自分が考えるべきとは感じられないのかもしれませんけど。もっとも、更紗の事情と内心を語り続けた後に、終盤に語られる文の事情の描写で、文の側も災難だったということでもなく自ら栗を拾いに行っているところもあって、人それぞれだねというところに収まる感じですが。
 「彼が本当に悪だったのかどうかは、彼と彼女にしかわからない」(299ページ)という言葉と、報道でレッテル張りをしたがるメディアとネット民たちへの疑問が際立ち、そこに共感するのですが、他方で少女に対する性的虐待への批判を躊躇させる効果を持つ面があるであろうことへの反感を持つ人たちもいそうです。「犯罪者」と決めつけ評価した相手に対する非難・罵り一色になりがちなこの国の現状を考えると、この作品が描くか細い心情の方を支持したいと思いますが。

09.月の三相 石沢麻依 講談社
 人びとは10歳になると顔を象った面(肖像面)を作らせ、面作家が定期的にその後も顔を写し取り面に時を刻んで行くという慣習がある世界で、ベルリンの東寄りの中央、森と森の間に置かれた「南マインケロート」(14ページ)という仮想の街を舞台に、モデルが死んだり面を残して街を去った場合の面を収集保管する「肖像保管所」に勤める望、面を用いた舞踏を試みるベトナム移民2世のグエット、面作家のディアナらの過ごす日々と過去の来歴を行きつ戻りつしながら語られる小説
 冒頭に「フローラの失踪」が事件として採り上げられながら、いつしかそれは忘れ去られたように、過去のできごとや情景を人と面を用いて再現したモノクロームの写真作品をめぐるエピソード、ディアナの師となる老面作家の思い出や来歴に、現在の望やグエット、ディアナらの行動が挟まれて、時がゆったりと進みあるいは停滞し、また突然進み出すかのように見えてまた止まるという展開があるようなないような進行をし、それが実はフローラとは何ものかを語る長い長い話だとわかったり、といってその失踪に関心が戻るわけでもなくという一筋縄ではいかないお話です。面に時を刻んだり、顔や面から顔が剥がれ落ちるという象徴的な幻想的な語りを味わう作品だろうと思うのですが、東ベルリンという場所設定とベルリンの壁の崩壊の前と後、ひっそりと暮らす人びとと西側に逃走する人びと、そしてアジア系の人びとへの敵意と嘲笑といった現実的な描写(ドイツ在住だという作者にはおそらく頭を去りがたい現実)が、ファンタジーとして読むことを拒絶しているようでもあります。作者の想定から外れているのかとも思いますが、木製の面とか「眠り病」という道具立ては、私にはアフリカ系のイメージを持たせ、エキゾチックではありますが混沌とした印象を持ちました。
 作者の独自の幻想的な世界に浸る、その雰囲気を味わう作品のように見えるのですが、そういう読み方でいいのかが気になる作品です。

08.疑問に答える糖尿病外来 清野弘明 同文書院
 糖尿病の基本知識、食事療法、運動療法、薬物療法、シニア世代(65歳以上)の糖尿病治療、最新治療について、簡潔に解説した本。
 内容としてはごくオーソドックスなところと思われ、一部の用語や薬品名と治療費関係を除けば、だいたい聞いたことがあるような内容を、おさらいし念のために確認しておくといった目的で手にする本かと思います。新書サイズでお手軽な感じですし。
 糖尿病の食事に食べてはいけないものはないという著者が、飲み物では甘い飲み物を水代わりにゴクゴクと一気に飲むのはとても危険、喉が渇いたときは、水やお茶、麦茶などを飲むようにしましょう(102ページ)とソフトドリンクを避けるように言っているのは、ちょっとドッキリします。果実100%のジュースも糖分多すぎで飲むなとなると、悲しすぎる。
 医者の立場からはそうならざるを得ないのでしょうけれども、何ごとも医師に相談してからと言われ、治療費の目安の記載がある(45~49ページ)のは安心感も出ますが、医者のセールスという印象も持ってしまいます。

07.改正民事訴訟法解説+全条文 上原敏夫 三省堂
 いわゆる民事訴訟のIT化のための2022年(令和4年)改正後の民事訴訟法の、改正部分だけではなく改正されていない部分も合わせた全条文に、若干の解説を付けたもの。
 表紙に「重要改正を完全網羅!新旧両条文を併載、解説付き」と謳っていて、まぁ全条文を掲載しているから、当然「完全網羅!」でしょうけど、解説は改正部分をどこが変わったかを簡略に注記しているだけで、多くは条文の言葉を使っていて、今ひとつ実際どうすることになるのかイメージしにくい。もうちょっとかみ砕いて説明して欲しいなぁと思います。まぁまだ具体的に仕様や細部が決まっていないということで、たぶん、現実にやり始めたらすぐ馴染むんでしょうけど。
 IT化の法改正をちゃんとフォローしていなかったので、初めて気がついたのですが、公示送達を裁判所のサイトですることになるのですね。あまり話題になっていませんが、これ、意外にインパクトがあるかも。これまでは公示送達(被告の所在が不明のときに行う訴状や判決の送達)で被告がそれに気がつくことはほぼあり得なかったのですが、サイト掲載なら本当に被告が知って裁判所に連絡してくるということもありそうです。しかし、裁判当事者であることを「個人情報」だと扱ってその秘匿に熱心な日本の裁判所と世論がそれを本当に許すんでしょうか。実際どういうやり方になるのか、ちょっと注目したい。
 民事訴訟法の条文を通し読みすることで、ふだんは使わない部分であぁこういう条項があるのか、いつの間にかこんな改正がなされていたのかと、いろいろ勉強になりました。もっともふだん使わない(現実には遭遇しない、経験がないケース)条文は、読んでも現実にどういう意味があるのか、どういう扱いになるのかイメージできず、たぶんすぐ忘れてしまうとは思いますが。

06.初めての人のための契約書の実務[第4版] 牧野和夫 中央経済社
 主として企業間の取引のための契約書について、典型的な条項の意味、書き方による効果の違い、立場によって気をつけるべき点、不利な条項についての修正のための交渉の必要性とそのためのアイディア等を説明した本。
 契約書作成やそのための交渉を行う者にとっては、総論的なところではどこまで一方的な条項を作ると無効になるか、一般的な条項においてもそれぞれの立場によりどのような条項にするように求めるべきか、各論ではそれぞれの立場からの条項のメリット・デメリットと注目すべき点、条項をどのように修正させるべきかなどの説明が特に役立ちそうです。もっとも各論では、その点の指摘が具体的になされているものと、抽象的な一言で終わっていてどうすればいいか読んでもわからないものがあります。まぁベテランの弁護士であっても詳しい分野とあまり経験がない分野はどうしてもありますので、すべての類型で詳しくユーザーにとって使える記載をすることを求めるのは、無い物ねだりかもしれませんが。
 改定を重ね、債権法改正などの新しいトピックがきちんと反映されているのはよいと思いますが、読んでいて場所が違うんじゃないかと思ったり(例えば86ページの販売代理店契約(ディストリビュータ契約タイプ)の概念図は2ページ前に入れるべきでしょう)、記載があっていない(例えば109ページでソフトウェアの保証について「実際にソフトウェアライセンス契約書の第8条で詳しく見ていきます」と書いているのに、第8条の説明がない。「第8条に詳しく記載されています」なら条項の文例だけでいいのでしょうけど)など、校正がちょっと行き届いていない印象があったのが、全体としてとてもよい本だと思うだけに、ちょっと残念な気がしました。

05.「これって違法?」の心配が消えるITリテラシーを高める基礎知識 SNS別最新著作権入門 井上拓 誠文堂新光社
 著作権について説明し、SNS投稿での著作権の侵害となるもの・ならないもの・微妙なものなどを採り上げてどのような対応が可能か等を論じた本。
 著者の肩書きが「弁護士・You Tuber」とされているので、著作物利用者側の視点で論じたものかと期待をしましたが、基本的にビジネスローヤーとして、企業側、著作権ビジネス関係者(出版社・放送事業者・音楽出版社等)の立場で論じています。
 「著作権」は作品を「作った人」と「広める人」を守っている(6ページ)と、著作権とは何かの説明から、もっぱら著作者を守るのではなく自らは作品を生み出さない著作権ビジネスで儲ける人びとを守るものという認識を示しているのが、ある意味では清々しいとも言えます(最初の方では、「広める人」は実演家=俳優、歌手、演奏家のことと説明しています(40ページ等)が、「著作権を正しく利用するには」(52~57ページ)では著作権をどう利益に結びつけるかが説明され、出版社等が儲けて著作者はそこから一部の利益の配分を受けるという構造の説明があります)。一番儲けているのは著作者ではなく何も著作物を生み出さずに著作権ビジネスで儲けている事業者だという現実を前提に、海賊版サイト運営等を厳しく処罰するのはまだしも、そこへのリンクを張ったサイトも処罰し、違法アップロードされたコンテンツをダウンロードした個人消費者まで処罰することは、私はやり過ぎだ(著作権ビジネスで儲ける事業者を保護するためにそこまでやるか)と思うのですが、著者にとっては「海賊版は許さないぞ!という法改正は頼もしいですね。」(64ページ)ですからね。まぁ、コンテストへの応募の際に応募作品の著作権が主催者に帰属することとされていることがあるので注意するように述べている(124~125ページ)ところは、横暴な出版社等への注意を促していますが。
 ハンディなサイズで、SNS投稿で気になりそうなさまざまなケースを採り上げて、OK・NGを示しているので、サブタイトルにいう「これって違法?」の心配が消えるとまで言っていいかはともかく、使いやすい本だと思います。「他人の著作物を利用する場合の手順」のフローチャート(115ページ)で、最後の「引用などの権利制限にあたるかどうか」で「YES」「NO」が逆になっているのは、たぶん著者自身が図の校正までせずに編集者校正に任せてのミスとは思いますが、お粗末ですけどね。

04.ペンギンもつらいよ ペンギン神話解体新書 ロイド・スペンサー・デイヴィス 青土社
 ペンギンの生態についての解説書。
 ペンギンは羽毛が短く硬く先が尖っていて互いにしっかり絡みあっていることで皮膚と羽毛の間に空気の層を確保して、それが断熱材の役割を果たす故に冷たい海中で過ごせるのだそうです(47~48ページ)。羽毛が摩耗するため一定の期間が経つと全身の換毛をするけれどもすっかり生え替わるまで海には入れず、したがって餌が食べられず、急激なダイエットをする羽目になるのだとか(50~51ページ)。
 多くのペンギンは渡りをし、通常オスがメスよりも2~3日早くコロニーに到着して巣の場所争いをし、捕食者による攻撃や風雨による被害をうまく防ぐことができる優良立地を確保したオスがメスに好まれ、また巣で卵を温め続ける絶食期間に耐えられる太ったオスが好まれるといいます(94~102ページ)。
 ペンギンは交尾の際、オスがメスの背中でバランスを取るのが容易ではないため、途中でずり落ちることが多く、著者が観察したところでは、オスが交尾を試みたうち3分の1が未遂に終わり、3分の1は的を外し(精液をそこらじゅうにまき散らす (>_<) )、的中するのはたった3分の1だったというのです(125~126ページ)。
 う~ん、やっぱり、ペンギンはつらい、かも。

03.明日できる仕事は今日やるな マニャーナの原則完全版 マーク・フォースター ディスカヴァー携書
 仕事を計画的に進めやり残して時間に追われることを避けるための方法論を語る本。
 基本的には、その日その日の仕事を計画的に進め、予定外の仕事を割り込ませないようにするために、仕事を抱えすぎない、どうしても今すぐとか今日中にやらなければならないこと以外は「明日やる」を原則にすべきということを主張しています。タイトルの「明日できる仕事は今日やるな」はあくまでもそういう意味で、仕事の先送りを勧めているわけではありません。むしろ、複数のプロジェクトを抱えているとき、著者は何と、緊急度の低いプロジェクトを優先することを推奨しています(255~256ページ)。締め切りに余裕があるプロジェクトは先送りされ適切な時期に開始しなかったために締め切り間際に緊急の仕事になってしまってスケジュールを圧迫するからだそうです。それはそれで至言とも言えそうですが、それは明日できる仕事だからといって明日に回すなということですから、このタイトルの本でそれを言われると、おいおいと思ってしまいます。
 抵抗が一番強い仕事から始める(269~272ページ)というのも、それができれば面倒な仕事が残らず楽にはなるでしょうけど、それができれば苦労はないというか、それがなかなかできないから仕事術みたいな本があるんじゃないの?と思います。
 ファースト・タスクにして毎日少しずつでも必ずやるというのも、ごく短時間でできるタスク(パーツ)に分けられる仕事がメインの仕事の人ならいいですが、長時間の集中が必要な仕事(弁護士の場合、裁判所に提出する準備書面作成とか)がメインの場合、そういうわけにも行かないと思っています。
 仕事を抱えすぎないために、まず「ノー」と言ってしまう(96~101ページ)、同僚が「今日仕上げるレポートのために至急データが欲しい」と頼みに来たという場合にそれはギリギリまで放っておいた相手の責任だから「明日まで無理」と答えてください(130ページ)って、それでやっていける人がどれだけいるのか…
 私としては、休憩は切りのよいところまでやってから取るのではなく、仕事の途中、できれば新しい仕事に入ってすぐに取る方が、仕事を再開がしやすい(213~214ページ)というのは、ちょっと考えてみたいと思いました。もっとも、一貫性を重視すべき仕事(弁護士で言えば準備書面の作成とか)は、頭がその件に集中している流れでやりきってしまいたいという気持ちがあるので難しいところではありますが。

02.母性 湊かなえ 新潮社
 ある母と娘の間で起きた事件に至る経緯を、母の側からの語りと娘の側からの語りでたどる形の小説。
 各章が「母性について」の後に「母の手記」と「娘の回想」で構成されています。このパターンを使う以上は必然的とも言える同じ事件についての母の見方と娘の見方のギャップに加え、事実関係そのものについても食い違いが見られます。事実関係の食い違いについては、おそらくは娘の側の語りが真実で、母が自分に都合の悪い事実を隠しているのか、あるいはこの母には都合の悪いことは記憶されていないのかというところと思われます。私が、小学生から中学生・高校生の娘の健気な姿勢と思いに不憫を感じているため、娘に共感するということかもしれませんが。
 その母と娘の語りのギャップに、母親の視野の狭さ、独りよがりを感じさせ、また自分の娘のみならず何か気に入らないところがあると自分の家系ではなく夫等の家系の血のせいにする思考パターンに嫌悪感を持たせながら、しかし、母親の人生のつらさも実感され、読み進めるうちに、これくらいの我が儘さ、人のせいにしたがる傾向は、誰にもあると、我が身をも振り返らせる巧さがあるかなと感じました。
 普通の読者は、冒頭におかれた報道記事とみられる7行の記載を念頭に、この事件の真相を解明するミステリーと考えて読み続けると思います。そして、読み進めるに従い、方向性を予測しながら、しかし、次第に違和感が膨れ上がって行くことと思います。こういう終わらせ方には、私は納得感を持てませんでした。また、母と娘の名前は終盤まで明らかにされませんが、明らかにされたところで驚きがあったり何かその名前でストーリーのどこかに絡んで謎が解かれるわけでもありません。名前を書かないことで、キャラクターの存在を一般化するというか、そのキャラが自分でもあり得るという感覚を持たせたいというような意図があるのかもしれませんが、「君の膵臓をたべたい」で感じたのと同様の違和感が残りました。

01.美しき愚かものたちのタブロー 原田マハ 文春文庫
 国立西洋美術館のコレクションの中心をなす「松方コレクション」の由来と、それが第2次世界大戦の混乱の中フランス政府に接収され、フランス政府が返還を拒否し、一部が日本に「寄贈」される経緯を描いた「史実に基づくフィクション」。
 日本の若者たちに本物の西洋美術を(写真や複製画ではなく)見せたい、そのために美術館を作りたいと、絵画の収集・保管に携わった者たちの思いと運命に引き込まれ、長さをあまり気にせずに読めました。
 国立西洋美術館にロダンの彫刻やモネの睡蓮の絵が多数あるのはそういうことだったのかと、腑に落ち、ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」がそんなに「傑作」なのかは疑問に思っていますが、そんなに数奇な運命の下に国立西洋美術館に収まったのかと感慨深く思えました。国立西洋美術館の常設展は、かつては金曜・土曜の夕方以降は無料だったので時折ぶらりと行っていたのですが、コロナ禍を理由に無料公開はなくなっています。久しぶりに入場料払って行ってみるか…

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