庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2022年8月

32.哲学するってどんなこと? 金杉武司 ちくまプリマー新書
 哲学とは何かを、「哲学とは、私たちの生の土台や前提となっている基本的なものごとの本質が何であるかを論理的に考えることである」という著者が示した定義を出発点に検討し、論ずる本。
 哲学について、宗教は反証可能性がない非科学的なもの(158ページ)で、現象予測が実際と一致しないときにはつじつま合わせが行われたり不一致自体が無視される「退行的」なものである(174~175ページ、177ページ)のに対し、哲学は科学と並んで「真の知を求める知的な探究」「前進的なプログラム」だ(183~185ページ)と称揚しています。宗教と並んでフロイトの精神分析論について、反証不可能であり「それゆえ科学的な仮説とは言えません」(156ページ)、「退行的プログラムに属する疑似科学の理論」(171ページ)と評価しています。フロイトかフロイト系列の人に何か恨みでもあるんでしょうか。
 さまざまにテーマを変えながら、哲学の議論の仕方を紹介して行くのですが、否定/批判したい相手(主張・論)に対しては抽象化してある種極端な例も一体と扱った上で完全には一貫できないことを問題視し、守りたい主張(論)については「本質」という名で典型的なところでは成り立つ、すみからすみまで極端なものまで一律に考える必要はないと論じているような印象を私は受けました。現実世界では、また私の業務分野の法律実務のような実学の世界では、すべてのことに一律に当てはまる原理や「真理」なんてものはないのが当然で、そんなもの求めること自体に無理があると思います。それを求めるのが哲学だというのならそれはそれでいいですが、そういう議論と姿勢が、芸術の定義で論じたような(46~52ページ)哲学の世界の構成員に哲学として認められればいいんだというムラ社会独自の文化に繋がっていくなら広がりを持てなくなっていくことでしょう。もちろん、「著者がつじつまの合わないことや、あからさまに間違ったことを書いているように思えるのは」私のような素人が「誤った枠組みで文献を読み、理解してしまっているから」(247ページ)なのでしょうけれども。

31.おもろい話し方 芸人だけが知っているウケる会話の法則 芝山大輔 ダイヤモンド社
 芸人のネタを考える「ネタのゴーストライター」をしているという著者が、会話を弾ませちょっとした笑いを取るための会話術を論じた本。
 最初に挙げられている、初対面の相手と話すときには、中身のない話を積極的にしろというアドバイス(3~5ページ、20~25ページ)が意表を突いています。お互いに中身のある話題を探して話そうとすると、中身のある話をしないといけないと考えて、話しづらい、会話のハードルが高い状態を作ってしまう。めちゃくちゃしょうもない、どうでもいい話、中身のない発言をすることで会話のハードルを下げ、話しやすくするというのです。なるほどと言うべきか、しかし、それは相手に「おもろいおっさんやな、こいつ」という印象を与えたい場面ならいいけど…
 終盤で、「お笑いタイプ」を「むじゃきボケ:とにかくボケまくる、お調子者」「MCツッコミ:場をしきり、まわりに的確にツッコむ仕切り屋」「イジられツッコミ:イジリへのリアクションやツッコミで笑いを取る愛されキャラ」「天然ボケ:意図せずに笑いを起こす“お笑いモンスター”」「癒し:いるだけで心やすらぐマスコットキャラ」の5つに分類し、診断テスト(238~240ページ)を載せています。テストによれば私はMCツッコミタイプで、話すより聞き手にまわる、ボケるよりはツッコミにまわるべきなんだそうです(218~221ページ)。癒しタイプには、なりたくてもなれないんでしょうね (-_-;)

30.いじめ加害者にどう対応するか 処罰と被害者優先のケア 斎藤環、内田良 岩波ブックレット
 いじめ被害者に対するケアとして学校に行かなくてもいいというのは優しい排除であり、被害者が事実上学校から追われ加害者がそのまま通い続けるのはおかしい、加害者を処罰し、スティグマ化して(その用語法からして加害者をさらし者にしてということかと思いますが)いじめは恥ずかしいことだという認識を徹底させるべきだと主張する本。
 現実にはいじめ加害者への出席停止はほとんど行われていないのに匿名のアンケートでは相当な割合の教員が出席停止にすべきと考えている、このギャップは衝撃的ですと述べられています(10~11ページ)。私には、ネット世論では少しでも逸脱した者、軽微であれ「犯罪」を犯した者に対してはクビにしろだの処罰しろだのという声があふれかえるのと同じ構造だと思え、それを根拠に加害者を出席停止にするのが正義だというのであれば、あまりにプリミティブだと思います。
 学校が警察の力を借りたら負けと、学校内での解決を図ろうとする姿勢を批判し(7~9ページ)、行政の直接介入についても難しい問題としつつそれを受け入れる必要性を示唆しています(19~21ページ)。学校や教師の取り組みが鈍い、信用できないとして、だから警察や行政権力の介入を求めるのか、警察と権力は信じて任せられるのか。こういった言論は、市民の自由や権利を守る歴史的な活動の成果や流れを掘り崩し権力者・為政者を利するものではないかという疑問を持ちます。
 いじめ加害者を処罰してスティグマ化せよ、いじめは恥ずかしいことだとの認識を徹底させろと繰り返し強調してきた著者が「おわりに」では、「いじめの問題については、いじめ自殺が起きるたびにマスコミが騒ぎ立て、加害者や学校側が集団リンチもかくやという勢いで批判されるのですが、そうした騒ぎが毎回『祭り』的に消費されてしまい、本質的な対策にも解決にもほとんど結びついていないという現状があります」と嘆いています(61ページ)。私には、そのマスコミによる加害者叩きは、著者が求めている加害者の処罰、スティグマ化そのものだと思えるのですが。

29.メディアを動かすプレスリリースはこうつくる! 福満ヒロユキ 同文館出版
 中小企業、団体が、商品やサービスをメディアを使って広報するためにどのようにメディアにアプローチすべきかを説明した本。
 自分が売りたい、掲載してもらいたいという意識ではなく、メディア・記者側の立場で、言いふらしたくなるようなネタに仕上げる、そのために誰がどういった思いで誰のために生み出した商品なのかに着目して心を動かすエピソードやストーリーを考えていくというのが基本姿勢とされます。5W+1Hではなくて5W+5Hを意識する、5W+1Hに加えて、How long(期間)、How many(数量)、How much(金額)、How in the future(将来性)を書けというのです(92ページ)。う~ん、ビジネス視点に徹すると数量、金額が重要ということですね。そして将来性を挙げるのは、報道価値、記者の心情を考えるとなるほどねと思います。
 170ページ以降に著者がやって成功したプレスリリース例が紹介されています。A4判1枚紙に何を書くか、なんですが、こんなに文字を詰め込んでいいんですか。多いのは1行48字もあって40数行組です。もちろん、空白行を入れているので文字が印字されている行は30数行ですが。これをFAXで送って大丈夫かと思ってしまうのですが。

28.世界大麻経済戦争 矢部武 集英社新書
 日本ではただ所持しているだけでも逮捕され処罰される大麻(マリファナ)について、医薬品としての需要、産業用(繊維、建築資材等)の需要などから合法化する国(アメリカでは州レベル)が増えているとして、日本はこのままでは大麻ビジネスに乗り遅れると主張する本。
 人を攻撃的にして暴力に繋がりやすいアルコール(飲酒)が合法なのに人をリラックスさせストレスを減らし、依存性・禁断症状・耐性(繰り返し使用により効きが悪くなり使用量が増えること)・習慣性・中毒性のすべてでアルコールより危険度が低い大麻を禁止するのは不合理(8~12ページ、38~40ページ)というのは、そう言われるとそうかなと思います。ただ著者が引用しているのは1つの研究報告についてのニューヨークタイムズの記事で、長期使用の影響についてはまだわかっていないことが多い(42~45ページ)、厚労省の広報等は証明されていないことを誇張している(46~49ページ)という主張だと、影響がわかっていないから解禁できないのか、だから解禁すべきなのかというところに行ってしまい、嗜好用の大麻を合法化している国はまだかなり少数派にとどまっているのを世界の潮流は合法化というイメージで描き出しているところと合わせて、今ひとつ説得力が弱い印象を持ちます。
 医療用、産業用需要も合わせて書いているのが多方面からの記述となっている面はありますが、ごっちゃになっている感じがして、そこは切り分けて整理した方がいいように思えました。

27.まだ、法学を知らない君へ 東京大学法学部「現代と法」委員会編 有斐閣
 東大法学部が2021年度前期(4月~7月)に1年生を対象にオンラインで行った「現代法学の先端」と題する講義を出版したもの。
 「デジタル社会と憲法」(憲法)、「同性カップルと婚姻」(民法)、「刑法は個人の尊厳を守れるのか」(性犯罪処罰:刑法)、「金融サービス仲介業制度の導入」(商法)、「役員報酬と法」(会社法)、「非正規格差をなくすには」(労働法)、「著作権法の過去・現在・未来」(知的財産法)、「プラットフォーム全盛時代に適正な競争を確保する」(日本の公取の運用:競争法)、「ビッグテックの台頭」(欧州競争当局の姿勢:競争法)、「GAFAの利益をつかまえる」(租税法)、「国際間のサイバー攻撃をどう規制するか?」(国際法)、「契約とContract」(オリンピック契約:英米法)、「一人一票の原則を疑う」(法哲学)の13講義で、先端の議論かどうかは置いても、また講師の個人的な趣味/興味に応じたものとみられますが、現代的あるいは時事ネタを扱う興味深いものです(金融サービス仲介業制度を紹介したものは、ただ立法の経緯と内容を紹介するだけで、学生が興味を持てそうな問題提起や検討もなく、何のために書いているのかと思いました。この講義はおそらく爆睡者続出だっただろうと推測します)。
 東大法学部の教員といっても、権力者・官僚機構に奉仕する/すり寄る人ばかりでなく、権力者や大企業に批判的な人や、方向性はさておいて独自の見解をいう変わった人もいるのだなと感じられました。私としては、著作権者の保護(実際には何ら著作を生み出さない著作権ビジネスで儲けている人が保護されていると思いますが)というか著作物の利用の制限にあまりにも偏している著作権法の現状を、東大の知的財産法の教授がかなりはっきりと批判的に書いていることに新鮮な感動を覚えました。

26.労働者派遣法[第2版] 鎌田耕一、諏訪康雄編著 三省堂
 労働者派遣法についての解説書。
 編著者・著者紹介(巻末)を見ると執筆者は全員学者であるとともに、「初版 はしがき」によれば全員厚労省の審議会等の委員として労働者派遣法の立法・改正に関与しているとのことです。そういうことからか、はしがきに表れた著者の自負とは逆に、元々が読みにくい労働者派遣法の法令・指針・業務取扱要領等の用語をそのまま用いた本文は著しく読みにくい。私は、一応労働者派遣法の構造・概要は学習済なので(労働者派遣法関連も扱っている二弁の「労働事件ハンドブック」等で編集代表をしていましたし)書いてあることは(予め)わかるのですが、それでさえ流し読みすると文意が取れず、恐ろしく眠気を誘う部分が長い。労働者派遣法をこの本で学ぶという人が最初から通読できたら、私はその人に賞賛を惜しみません。
 そして、この本の姿勢は、派遣関連業務を行う事業者の正当性というか、怪しげな印象を払拭することに多大な熱意を持っていると感じられます。職安法で禁止されている「労働者供給」と派遣の関係については、本質的には派遣は労働者供給と同じだけど、職安法の禁止規定は派遣法の派遣を除外しているから禁止されないだけ(言ってみれば、賭博は刑法で禁止されているが、公営ギャンブルは法律で正当化されているから適法なのと同じようなもの)と私は認識していますが、この本の姿勢は労働者派遣は適法だというところからスタートしてそうである以上労働者供給が禁止されている理由もそれに合わせて考え直す必要があるそうです(49~50ページ。もっとも、279ページでは、別の執筆者が私の認識と同様の記述をしていますが)。派遣はもともと正当なんだと言いたいがために歴史も書き換えようってことですか。派遣禁止業務の説明でも、禁止されている港湾、建築労働者も格別に実質的には労働者派遣システムがあるなど、禁止されているから本質的に派遣が許されないわけではないという説明に紙幅を割いています(86~96ページ)。確かに、類書にはない踏み込んだ説明ですが、力の入れどころが、派遣労働者保護じゃなくて、事業者の擁護にすごく偏っている印象を持ちます。関係者なら誰でも覚えてるレベルのテンプスタッフの容姿ランク(A、B、C、D)付き名簿流出事件を紹介するときも「大手人材派遣会社」(78ページ)と匿名にして気を遣ってますし。
 官僚ではなくて学者が書いたという意味がありそうな箇所としては、第6編第7章の雇用関係の終了(派遣労働者の解雇・雇止め:234~245ページ。雇用安定措置をてこに、派遣元との交渉などから有期派遣労働者にも雇用継続の合理的期待が認められるべきことを主張しているところは、労働者側の弁護士としては少し励まされます。裁判実務としてはハードルが高いですけど)、第7編第5章の派遣先の使用者性(団交応諾義務等:275~286ページ)、第10編第2章・第3章(派遣法違反の民事効、労働契約申込みみなし:327~356ページ)くらいでしょうか。派遣労働契約で派遣先(就業場所)とその派遣先ごとに合意されている賃金は、就業規則の変更によっては変更されないものとして合意したものとみなされるから、派遣先から中途解約されて派遣労働者に派遣元が別の派遣先を紹介した場合でも、派遣労働者が同意しなければ、賃金を切り下げることはできないし、他の派遣先への就労を命じることもできない(205~207ページ)という指摘にはハッとさせられました。現実にはそれを武器に戦ったとき、派遣元は契約更新拒絶してくることが予想され、どれだけ使えるかは心許ないですが。

25.新・建築入門 思想と歴史 隈研吾 ちくま学芸文庫
 建築とは何か、石器時代の洞窟からモダニズム(近代建築)さらにはポスト・モダン(ポスト構造主義、脱構築:1980年代のニューアカブームを経験した世代には、今や懐かしいお言葉)まで、建築の歴史を哲学する本。
 著名建築家の「新・建築入門」などと銘打たれた本が新刊として出版されたので、本当に入門のつもりで手にしたのですが、建築家ってこんなに抽象的な思索にふけるものなのかと驚きました。「しかし主観主義の徹底が主観主義自体を破壊し、そこから新たなる客観が生成される。古き客観は、このようなプロセスをへて新しき客観へと更新されるのである。コペルニクスの地動説、デカルトの解析幾何学、ガリレオ、ニュートンの力学等の新たなる客観主義は、すべて、そのような形でうみ出されたものである」(138ページ)例えばこういう文章が建築入門という本に書かれるものでしょうか。ここで、客観(主義)は原理、普遍性、演繹法を、主観(主義)は個別事例、帰納法を意味していると考えれば概ね言いたいことはわかると思いますが、この引用した文章は、この本の議論のうちかなりわかりやすいところです。「ミケランジェロこそは、まさに徹底して主観の建築家であった。主観のダイナミズムを全開させることを通じて、圧倒的な空間の可能性が開かれることを、彼は実証した。しかし、彼が主観の人だからといって、彼に普遍的なるもの、絶対的なるものに対する信仰がなかったわけではない。(略)彼こそは最も強く、激しく普遍を希求した芸術家であった。しかし、彼は自己と普遍の間に、いかなる客観性をも介在させる必要を感じなかった」(157~158ページ)とか言われても、わかりません。しかし、なんか、読んでいて格好いい。この今どき見ない蠱惑的でペダンティックな文章は何だろうと思ったら、実に1994年に書かれた本(ちくま新書)の新装文庫本だというのです。
 著者は、文庫版あとがきの中で、1994年の新書版を振り返って「ここで僕が一番書きたかったことは、モダニズムもポストモダニズムも共に自己中心的な破壊行為だということである」(221ページ)と書いています。「画家は絵の具とキャンパスがあれば絵を描くことができるが、建築家はそのようにして建築を作ることができない。その富はクライアント(施主)の富であり、」(174~175ページ)という認識、この本を書いてから日本の田舎を巡り田舎の職人さんたちと一緒にものを作り始めた(222ページ)という姿勢が、著者の当時の姿勢と試行錯誤を象徴しているように思えました。

24.忍者に結婚は難しい 横関大 講談社
 伊賀忍者組織中の「下忍」の家に生まれ他の忍者とともに郵便局に勤めつつ、政府側の要人の警備等の裏業務を行っている草刈悟郎と、上の指示により政府とは反対側の裏業務をこなす甲賀忍者の末裔月乃蛍が、互いにその素性を隠して、相手が忍者とは知らないままに、趣味のキャンプ場で知り合って結婚するが、互いに一般人とは生活が合わないと思って不満を溜め込んでいたところ、ある日、同じ要人を、悟郎は警護する側、蛍はスキャンダルをつかむために侵入する側でミッションをこなすこととなり、蛍が屋敷に侵入してみるとその要人はすでに殺害されており、脱出する蛍を悟郎が手裏剣で狙い…という展開の小説。
 設定、展開は、まぁ娯楽作品だからねと思う場面が多いですが、夫婦関係を描いたヒューマンストーリーと読めば、なかなかのものと思います。
 悟郎と蛍の日常生活での争いの種となる男も座って小便をすべきかという問題ですが、洋式であれ和式であれ、座ってすると出し終わったと思って立ち上がったとき、まだ残ってる感があって、それで立ってするとけっこう出るんですね、これが。歳をとると出が悪くなるとか、そういう問題があるのかもしれませんけど、体の構造上というか、膀胱に残っている尿をちゃんと出すために、私は立ってしたい派です…(^^;)

23.旅行トラブルの裁判例と実務 兵庫県弁護士会消費者保護委員会編 民事法研究会
 旅行の際のトラブルや事故についての裁判例を検討し解説した本。
 旅行については、旅行業者のほとんどが標準旅行業約款を用いているため、民法等の法律解釈よりも旅行業約款の解釈適用が重要になります。募集型企画旅行(パッケージツァー)では、実務上はパンフレットと旅行条件書が具体的な契約内容(旅行業者の説明内容)となり、旅行業者は手配完成債務(航空券やホテルの予約等)を負うだけでなく、旅行計画通りにできなくなったときにできるだけ計画に沿った旅行サービスの提供を受けられるように必要な措置を講じる旅程管理債務や旅行者の安全を確保するために旅程やサービス提供者の選択等に関して十分に調査し合理的な措置をとる等の安全確保義務、旅程の重要な変更があった際に旅行業者に過失がなくても一定率の変更補償金を支払う旅程保証責任、旅行参加中の偶然の事故による旅行者の損害について旅行業者に過失がなくても一定の補償金を支払う特別補償責任等が定められています。
 旅程に重要な変更があった場合、旅行者は出発前であれば取消手数料を支払うことなく解除できることが約款上定められています。旅行業者がその変更を速やかに旅行者に伝えなかった場合、旅行者は解除権の行使の機会を奪われることになります。この場合に、裁判例では、旅行業者の旅程変更や説明義務違反によって財産的損害は生じていないとして慰謝料のみを認め、あるいは変更された旅行サービスを受けているから損害があってもその利益と相殺するなどとしているのに対し、それでは説明を怠った旅行業者のやり得を許すことになりおかしい、すぐに知っていれば旅行者が解除したはずの場合は旅行代金を返還させるべきと論じられていて(108~112ページ、184~192ページ、193~202ページ、208~219ページ。164~175ページは微妙ですが)、兵庫県弁護士会消費者保護委員会の戦う立場が見えて参考になりました。
 旅行中の事故に関する安全確保義務については、旅行業者はサービス提供者ではないことを重視して、サービス提供者の選択に過失があったかを検討して、旅行業者の責任を否定する判決が多く、現在に至るまで旅行中のバス事故について旅行業者の安全確保義務違反が認められたという事例は見当たらないとされています(226ページ)。しかし、海外旅行の場合に個人の被害者が、バスの運行業者に対して損害賠償請求をするとか裁判を起こすことは困難です。当該国(トルコ)の法律で旅客運送のためには交通省の許可が必要とされているのに無許可の業者を選択した(東京地裁平成25年4月22日判決:242~249ページ)とか、当該パイロットが事故当時所定の習熟度試験に合格しておらず不定期便の運行を許されていなかった(東京地裁平成22年12月24日判決:259~264ページ)というケースでさえ旅行業者のサービス提供機関選定に安全確保義務違反がなかったとするのは、あんまりだと思います。
 自分の経験に乏しい分野の裁判例をまとめて読むのは、いつも勉強になりまた知的好奇心をそそられるのですが、旅行トラブルでは標準旅行業約款で旅行業者の責任がいろいろと定められていて民法レベルよりもそちらに注意すべきこと、いくつかの論点で裁判上高いハードルがあることを知り、そういう事件に当たったら頑張らないとねと思いました。

22.ミスしない大百科 “気をつけてもなくならない”ミスをなくす科学的な方法 飯野謙次、宇都出雅巳 SBクリエイティブ
 人がよくやるビジネス上のミスについて原因を検討し、ミスを防ぐ方法について説明する本。
 多くのミスは脳の注意の限界を超える、脳の注意がそれることによるので、基本的には、脳が注意を使っているもの・事柄をメモに書き出す等してとりあえず注意から手放す、注意を奪うもの(典型的にはスマホ)から離れる、ルーティーンワークは注意を要しないレベルまで体得する(慣れる)ことにより、脳の注意のムダ遣いをなくし、余裕を取り戻すことが肝要と主張しています(32~36ページ)。1つめは、いろいろやるべきことがあるという気持ちでいると余裕がなくなり、あれもしないとと思っていると集中ができないことがあるので、それを整理してみると、現実的にはそれほど切羽詰まっていないことがわかったり、優先順位付けをはっきりさせると落ちついて対応しやすくなり気持ちに余裕ができるので、そのとおりと思います。2つめもたぶんそのとおりですが、メールをどこまで気にせずにいられるかは仕事の性質にもよるでしょうね。他方、3つめは理屈はそうですけど、それをいってもすぐにできるわけじゃないから解決策としてはあまり有効とは思えません。
 日程を確認するときに、日付とともに曜日を伝える(65ページ)は、そのとおりだと思います。私も、相談申込を受けたときに、相談日時は、たとえば電話では「15日月曜の午後2時」というとき、さらに繰り返して「来週の月曜日、15日の14時、午後2時」といった具合に、複数の言い方で確認するようにしています。その曜日での確認について、人はカレンダーのどのへんに書いているという視覚情報で思い込むことがあるので、日曜始まりのカレンダーと月曜始まりのカレンダーを併用しないよう注意している(65~66ページ)のですが、ポイントを抽出した扉で「土曜始まりと日曜始まりのカレンダーを一緒に使わない」と記載されています(64ページ)。土曜始まりのカレンダーって、ないことはないでしょうけど、本文では日曜始まりと月曜始まりって言ってるんだから、これはやはり扉部分の作成者とのコミュニケーションミスなんではないか、そういうミスはやっぱりミスを防ぐ本を書く手練れでも「科学的」に防げないのか、とムダに悩んでしまいました。

21.情報刑法Ⅰサイバーセキュリティ関連犯罪 鎮目征樹、西貝吉晃、北條孝佳編 弘文堂
 サイバーセキュリティ(コンピュータ・ネット環境・インフラの安全確保)に対する侵害としての不正アクセス罪、通信の秘密侵害罪、マルウェア(コンピュータウィルス)作成・提供・供用・取得・保管罪、電磁的記録不正作出等罪・電磁的記録毀棄罪、電子計算機損壊等業務妨害罪、情報等を保護するために設けられているものとしての電子計算機使用詐欺罪、営業秘密侵害罪、個人情報データベース等の提供に関する罪等について、その成立要件等を解説した本。
 日本の法律の特徴と言えますが、犯罪(罪となる行為)の定義が抽象的で非常に幅広い行為が処罰対象となりうるし結果(被害)が具体的に発生することもさらには結果発生の具体的な危険さえ生じなくても処罰しうる(いわゆる抽象的危険犯)刑罰法規が制定され、そのこと自体はこの本の執筆者も共通に理解しているように見えますが、サイバー犯罪が手を変え品を変え生まれてくるのをもれなく処罰するためにはそれが望ましいと考えつつサイバーセキュリティを守る側の行為(防衛策を開発するための試行等や対策パッチ等の一方的な供用等)までが犯罪となり得ることを憂慮しそういった「正義の側」(実質的に「お上」の側)が萎縮することになってはならないという限度で犯罪の範囲を限定解釈すべきと考える者、(デュアルユース=公益的にも侵害的にも使用できるものを含めた)ソフトウェア開発者一般の自由を確保し萎縮させない考慮が必要と考える者、ソフトウェア開発者以外も含めて企業の経済活動(金儲け)の便宜を優先的に考える者、市民の自由・罪刑法定主義の観点からあまりにも広汎な処罰規定には疑問があり一定程度は制約すべきと考える者といった具合に、執筆者のスタンスに微妙な違いが感じられ、私はそのあたりに関心を持って読みました。Winny事件で開発者を無罪とした高裁判決を維持した最高裁決定、コインハイブ事件でサイト運営者を無罪とした最高裁判決、他方でスマホの位置情報アプリを開発した企業の経営者を有罪とした判決等についての評価はなかなか興味深いところです。基本的にはお上と企業活動に奉仕する人びとで大きな違いはないように思われますけれど。
 近年、企業活動の保護・便宜に非常に偏した立法が進み、不正競争防止法の営業秘密侵害罪は信じがたいほどの重罰化が進んでいますが、この本では、当然のこととしてそれに対する批判的な視点はなく、その解説部分(第10章)では、法律の解説のみならず、企業が営業秘密を守るための侵害予防措置についての助言までしています(295~300ページ)。これって法律の解説書じゃなくて、企業側の弁護士の企業指南書なんですか。
 法学者も入って、罪刑法定主義についても触れながら、全体として市民の自由を守ろうという気概には乏しいように思えます。そもそもあまりにも多数の刑罰法規が続々と作られて多くは誰もその存在を知らない上に、刑罰規定の条文を読んでも、この本でも度々難しいという言葉が出てくるように、専門家でさえどこまでが犯罪となるのかはっきりわからないような処罰規定を作ること自体、罪刑法定主義(本来的には、何が犯罪となるかを予め明確に知らしめておく)を満たしていないんじゃないかという気がします。企業の経済活動(利益、金儲け)を守るためにはその障害となるような行為はすべからく処罰できるようにすべきだという価値観で動く法律家が蔓延していることを改めて憂慮しました。
 ま、学生時代に刑法好きだった私としては、久しぶりに刑法学的な本を通読して、理論展開に関しては懐かしいなぁという思いもしましたけどね。

20.あのこは美人 フランシス・チャ 早川書房
 ソウルのオフィステル(多目的ビル中の賃貸マンション部分)に住む、ある事情で言葉を失った、アイドルオタクの美容師アラ、アラの中学の同級生で孤児院「ローリング・センター」出身で、高級ルームサロン嬢として稼ぎたくて美容整形を強く希望する、アラとルームシェアしているスジン、高級ルームサロン「エイジャックス」のNo.1で大企業の御曹司の客ブルースと肉体関係を持つキュリ、孤児院出身だが幸運にも奨学金を得てニューヨークに留学しその際に知り合った大金持ちの息子ハンビンと交際しているアーティストで、キュリとルームシェアしているミホ、その4人の下の階に夫と住むウォナの、気概と自負と苦悶と諦めを描いた小説。
 邦題の「あのこは美人」も、原題の " If I Had Your Face " もそこにストレートにこだわっているのは、登場人物5名中唯一語り手にならないスジンだけなので、そのスジンのこだわり、願望が最初に出てくるとはいえ、ちょっと肩透かしというか、そぐわない感があります。容貌にフォーカスするのではなく、もう少し拡げて隣の芝生は青い的な思い、あるいは努力しても報われないことへの焦燥感、その社会への不満を象徴していると考えれば、よりフィットするかなとは思いますが。
 冒頭にアラが言葉を失った事情がぼかされて、何となくその謎を気にしながら読むことになりますが、それもそこに期待して読むと、それを明かす部分はわりとあっさりしていますので、何だと思うかもしれません。
 韓国社会で、日本社会でも同様と思いますが、恵まれた階層に生まれなかった若い女性の生きづらさ、苦しみ、そういったものへの反発・反感などを読む作品だろうと思います。

19.毎日楽しい!色の日めくり配色帖365 桜井輝子 SBクリエイティブ
 1日1ページで1つの色を関連するイメージ写真、エッセイふうの説明文、その色の色見本とそれと2色をセットにした3色のコーディネート例を紹介した本。
 写真とコーディネート例が目に楽しく眺められますが、同時に、色名の元となったものの写真の色と色見本のズレ、その色名から自分がイメージする色と色見本のズレに首をひねることになる場面が多くありました。
 色が、ピンク、レッド、オレンジ、ブラウン、イエロー、グリーン、ブルー、バイオレット&パープル、ニュートラルにグルーピングされているのですが、その分類も?と思えるところが少なくありません。たとえばDay086 Peach がオレンジに入っているとか…
 まったく同じ色(見本)が別名で2回紹介されているところがあるのは、意図的なものでしょうか、ミスなんでしょうか。Day226 Sky Blue と Day266 空色(ともにCyan 40, Magenta 0, Yellow 5, Key plate 0)、Day248 Forget-me-not とDay282 勿忘草色(ともにC48, M10, Y0, K0)、Day348 Silver Grayと Day356 銀鼠(ともにC0, M0, Y0, K43)は、あえて国際的な慣用色名と日本の伝統色名が併存するということで掲載したのかもしれません。それでもDay364 消炭色では英語の「チャコールグレイ」に相当する色と紹介しながら異なる色見本(Day349 Charcoal Gray はC5, M15, Y0, K83、Day364 消炭色はC0, M0, Y0, K85)を掲載しています。そして、Day024 Baby PinkとDay032 一斤染(ともにC0, M20, Y10, K0)、Day329 Oyster WhiteとDay330 Ivory(ともにC0, M1, Y12, K5)はそういう関係にはないはずですが、まったく同じ色見本が掲載されています。(こういうの気にして見つけちゃうの、職業病ですね。ただし、仕事じゃないので一覧表までは作りませんでしたから完璧ではないでしょうけど:どなたか、さらに他に見つけられるか、チャレンジします?)
 他方で、人間の目がけっこう微細な色の違いを見分けられることも気付かせてくれます。Day327 Milky White(C0, M0, Y3, K0)とDay328 Pearl White(C0, M0, Y5, K0)、Day341 胡粉色(藤田嗣治が女性の肌に使っていた色と説明されています:C0, M0, Y2, K0)が、並べてみると確かに違って見えるのは、けっこう感動ものでした。

18.晴れ、時々くらげを呼ぶ 鯨井あめ 講談社文庫
 作家として2冊の本を出したが早逝した父を「穀潰し」と蔑み自分と母に迷惑ばかりかけたと恨みながら、父が若き日に読んだ名作小説を読み続けるという拗くれた高校2年生の図書委員越前亨が、ペアで図書当番の1年生小崎優子が連日屋上でクラゲ乞いをするのを呆れながら見続けていたが、小崎がそうとは知らずに越前の父の作品の購入申請をしたことに驚きながらそれを密かに妨害し、3年生の図書委員矢延も絡んできて…という青春小説。
 越前の父は「我儘を言って仕事を辞めて本を書き、持ち込みでどうにか出版にこぎつけ、ろくに稼ぎもしないまま病気で死んだ」(43ページ)、「『てんとう虫の願い』は、七尾虹の売れなかったデビュー作だ」(54ページ)、「売れなかった駄作」(40ページ)、「鳴かず飛ばずの作家だった」(274ページ)というのに、その2作品がどちらも文庫本(252ページ)って、どうなんでしょう。
 この作者、登場人物を描写するとき、ヘアスタイルが重視されているようで、小崎は「薄い茶色の長髪」(10ページ)、「長い茶髪」(13ページ)、「長い髪」(17ページ、57ページ)、「茶色の長い髪」(68ページ)、「茶色の長髪」(114ページ)、「長い茶色の髪」(186ページ)、「動物の尻尾みたいな茶色の房」(215ページ)、「色素の薄い長髪」(275ページ)等、かなり繰り返して髪が長いことが示されています。これに対し矢延先輩は「あごのあたりで髪を切りそろえた」(35ページ)、「黒髪ぱっつんの先輩」(51ページ)、前の席に座るクラスメイト関岡は「セミロングの黒髪」(33ページ、109ページ)、「ぼさぼさのセミロング」(189ページ)、「セミロングからロングになっている」(232ページ)という具合です。主要人物以外でも髪のことが書かれている割合が高い。それで、表紙イラストの女性、ショートカット(ボブ)なんです。まさか矢延先輩ですか? 屋上に立ち尽くし、周囲にクラゲが舞っていることからしても小崎優子以外には考えられないんですが。読書週間のPOPを作るのに本も読まずに作った越前の姿勢が責められています(90ページ、115~116ページ、358ページ)が、まさかイラストレーター、この本を読まずに描いた?

17.新しい皮膚の教科書 医学的に正しいケアと不調改善 豊田雅彦 池田書店
 皮膚の健康保持について解説した本。
 「はじめに」で「本書は、皮膚の機能・皮膚病・美容法に関する『正しい情報』をわかりやすく選別してお伝えすることを基本理念としました。科学的に明らかにされていないことを、無理に理論的に伝えることはしません」と書かれています(10ページ)。皮膚科医が書くのですから当然のことなのかもしれませんが、タイトル・サブタイトルとも合わせて、ずいぶんと自信たっぷりに見えます。
 スキンケアに関して、食事や睡眠、運動などよりも、化粧品と治療(シミ取りレーザー治療、レーザー脱毛、美容注射・点滴)が先に書かれているというのは、類書にあまり見られない斬新な構成に思えます。その中で肌の潤いを保つためにセラミド補給が必要として著者がプロデュースした化粧品を勧め(75ページ)、シミ取りや脱毛、美容注射の料金表を付けてお勧めしているのは、「正しい情報」を伝えるということよりもセールスを重視しているように見えてしまいます。料金表は、掲載している方が良心的といえるのかも知れませんが。

16.検証 政治改革 なぜ劣化を招いたのか 川上高志 岩波新書
 政党本位、政策本位の選挙で政権を選択し政権交代の可能性のある政治体制と政治主導の政策決定の体制を確立するという目標でなされた一連の政治改革が、官邸主導の一強体制を生み、一般国民の意見や希望が国の政治に十分反映されていると答えた人が1.9%(はじめにⅲページ)という国民の期待からかけ離れたものとなってしまった原因を検討し、対策を提言する本。
 絶対得票率で25%程度しかない自民党が60%前後の議席を取る選挙制度の下で選挙に勝ったということで信任を得たとして反対意見の強い政策を断行する権力行使への自制心のなさ(169~174ページ)、質問に対して答をはぐらかしまともに答えない言葉を軽んじ誠実な説明をしようとしない姿勢(181~182ページ等)など、簡単にいえば政治改革以前の自民党には残っていた度量やフェアネスが、そういったことに何ら関心を払わない安倍・菅政権で徹底的に排除された、言い換えれば安倍晋三や菅義偉のような恥知らずの者が最高権力者として君臨することを想定できなかったことが政治改革敗北の原因ということでしょうか。
 といって、そのうまみを知った自公政権が人が替わったから改心するとも思えず、解決は制度改革に求めざるを得ないのですが、著者の提案する小選挙区比例代表併用制/連用制等の実現もよほどのことがなければ実現は難しいでしょう。
 一強体制をチェックする機構の弱体化に関して、メディアの体たらくについてわずかに10ページ(154~163ページ)しか取らず、対策提言ではメディア関係は皆無というのは、共同通信社編集局特別編集委員兼論説委員の著者が書くものとしていかがなものかと思います。

14.15.潔白の法則 上下 マイクル・コナリー 講談社文庫
 主人公である敏腕弁護士マイクル・ハラーが、自ら運転していたリンカーンのトランクからかつての依頼者である義捐金詐欺師サム・スケールズの銃殺死体が発見されたため、逮捕されて殺人罪で起訴され、無実/潔白を証明するために奔走するリーガル・サスペンス。「リンカーン弁護士」シリーズの第6作。
 毎度感心するのですが、法廷での駆け引き、予定外の展開となった際の準備していた材料の見切り、プランAからプランBあるいはプランCへの切り換えの判断の描写は、弁護士の目から見てもリアリティがあります。弁護士経験のない作者が、これを、それも6作も書けるということは驚きです。
 他方において、ミステリー小説という点から見ると、謎の部分、布石と見える部分がせいぜい示唆にとどめられて十分解明・解説されていないきらいがあり、フラストレーションを残します。小説世界とは違って現実の事件では、多くのことは結局はわからず、また予定・想定していたことができないままに放置されることは多々あるもので、裁判もの・弁護士ものとしては、特に私のような業界人の目にはむしろそれがリアリティを感じさせるのではありますが。
 シリーズ第5作(罪責の神々:2013年)から第6作まで7年の期間が空いたことについて、訳者あとがきでは、その間に新たに登場したレネイ・バラードシリーズの評判が良かったためにそちらに作者が力を注いでいたことも大きかったせいではないか(下巻371ページ)とされています。そうであれば、今後もシリーズが続くことになりますが、法廷シーン中心のリーガル・サスペンスを6作も続けて書けていること自体が奇跡に近いと言えますし、7年空いた上で主人公が被告人という設定を用いたこと自体ネタ詰まりを予感させます。リーガル・サスペンスファンの1人としては、作者の健闘を切望しているのですが。
 シリーズ第1作の「リンカーン弁護士」と第2作の「真鍮の評決」は2012年7月の読書日記で、第3作の「判決破棄」は2016年4月の読書日記で、第4作の「証言拒否」は2016年5月の読書日記で、第5作の「罪責の神々」は2018年4月の読書日記で紹介しています。

13.SNS炎上なんてしないと思っている人が読むべき本 宮下由多加、仲澤佑一 ジャムハウス
 SNS炎上の実情を説明し、炎上の予防、個人を特定されることによる被害拡大の防止、炎上した場合の対策などを解説する本。
 SNSでの発言等は、仲間内のものと思っても実際にはそうならない(誤って「公開」設定で投稿したり、その仲間が拡散する)かもしれない、匿名で投稿しても炎上すれば興味本位や「正義感」から個人を特定するネット民によって晒しや電凸などの攻撃を受けることになりかねないので、すべて公共空間での発言と考えてやりましょうということが基本線となります。
 ただSNSの怖いところは、過去の発言も検索で拾い出され、間違って投稿してすぐに削除してもスクリーンショット等で保存した者がいれば拡散されてしまうというところです。人間、いくら気をつけても限界があるのに、それを許さない過酷さがあります。
 個人の情報の特定に関しては、投稿した写真の瞳に映っていた風景から最寄り駅が特定された(96~97ページ)とか、ピースサインの写真から指紋情報を取得することが可能(98~99ページ)ということになると、写真の投稿にも慎重を期すべきことになります。嫌な世の中になったなぁとは思いますが、そう言ってみても仕方ないので、さらに注意をしましょうということですね。

12.成しとげる力 永森重信 サンマーク出版
 モーターメーカー日本電産の創業者である著者が、自社の経営の方針と現在の持論を述べた本。
 著者がこれまでの会社経営の方針・理念、自分はこれで成功してきたと述べるのは、基本的には精神論です。「一番をめざせ!」「一番以外は全部ビリ」と繰り返し檄を飛ばし、訴え続けてきた(22ページ)、「携わる人たちの意識をいかに高めるかーそれは経営やビジネスだけにとどまらない。人が生きるあらゆる場面において、もっとも大切なことだと信じている」(同ページ)というのです。M&Aで買収した会社の従業員を解雇はしないと繰り返しつつ、その意識改革を図るとしてトイレットペーパーの購入価格を聞く、ゴミ箱をすべて持ってこさせてひっくり返してみてまだ使えるものはないか確認する(193ページ)、会社の最高責任者が呼んでいるのになんで五分もかかるんだと厳しく教育する(63ページ)などが得意げに書かれています。買収された側、雇われている側は仕方ないのでしょうけれども、こういう会社で働きたいかですね。
 京都から大阪に電車で行くとき、各駅停車が先に来て5分後に来る急行があり大阪には急行が先に着くときにどうするか、先に来る各駅停車に乗って途中駅で急行に乗り換える、何が起こるかわからないから目的地に少しでも近づいておくことが大切だ、創業経営者は、たいていこういう発想をするものだと述べています(65~66ページ)。「乗るはずだった急行が時間どおりに来るとはかぎらない」「定刻通りに来ても満員で乗車できないかもしれない」からというのであれば、急行は予定どおりに運行されているのに各駅停車が急行が止まらない駅でトラブルがあって運転中止して急行に追い抜かれたらどうするのか、乗った駅では満員でなかった急行が乗換駅では満員で乗り換えられなかったらどうするのかと思いました。
 日本の大学教育に欠陥がある、「大学側は、顧客である我々企業家が満足するような卒業生を自信を持って送り出してきたか」(230ページ)といい、大学経営を始めたというのですが、単に自社を初めとする企業に都合のいい人材を求めているだけじゃないですか。大学は企業のためにある、企業に奉仕する存在だと言い放っているのです。2021年からは中学高校を運営する法人も合併して中高大一貫教育に取り組むとか(247ページ)。どんな人材が育成されるんでしょうね。

11.ほんとうのリーダーのみつけかた 梨木香歩 岩波現代文庫
 著者が「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎、1937年)を意識して書いた「僕は、そして僕たちはどう生きるか」の文庫本化の際に2015年に行った講演をベースにして、他の原稿と合わせて出版した本。
 秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律)制定という時代状況が日中戦争へと突き進んだ戦前の閉塞状況と重なり合うという危機感の下で行われた(4~6ページ)講演で「ほんとうのリーダーのみつけかた」というタイトルですので、政治の、あるいは選挙の話かなと思って読んだのですが、著者の言う「リーダー」は、自分の中にあって自分の行動を見て支えてくれる存在、ある意味で信念であり信条であるとともに、堅いだけでなく柔軟なしたたかさも兼ね備えた生きる姿勢のようなもののようです。
 「みんなちがって、みんないい」という発言をめぐって、著者は、「『みんな同じであるべき』という同調圧力や『優秀なほど偉い』という能力主義があまりにも強烈に現場を縛り始めたときに初めて、「みんなちがって、みんないい」という一言が発せられることで、緊張を緩和する力を持つのです。怖いのは、『みんな同じであるべき』『優秀なほど偉い』という考え方が当たり前のように場を支配しているのに、指導者が「みんなちがって、みんないい」と、その言葉のほんとうの意味も考えず、さして慈愛の気持ちも持たずに、型どおりにそれを繰り返していることです。そうすると、言葉が空疎になり、なんの力も持たなくなります」と論じています(13~15ページ)。農村での選挙の不正を告発した高校生のエピソードを紹介しつつ告発者を批判する同級生の立場にも理解を示していることも併せ、理念、理論を前面に出すのではなくある種現場力というか、より状況に応じた是々非々をいう著者の立場は、現在の日本ではより大事なのかもしれません。

10.ブラックホール 宇宙最大の謎はどこまで解明されたか 二間瀬敏史 中公新書
 重力が大きいために光さえ脱出できない天体としてその存在が予測・議論され、最近その観測に成功したと報じられた「ブラックホール」を題材にした宇宙論。
 率直にいうと、私の頭ではついて行けませんでした。たとえばブラックホールに自由落下していく探査船の落下速度がブラックホール表面(シュワルツシルド面:事象の地平面 Event Horizon )で光速に達したとするとその内部では光速を超えるなどと論じ、相対性理論の前提となる光速を超えるものは存在しないという原則を、相対性理論は「空間の中を光速度以上で運動することはできない」といっているだけで空間そのものが光速度以上で動くことは禁止していないから矛盾していない(30~33ページ)とか、巨大な質量故に大きな重力が生じているはずなのにブラックホール内ではものは無限に落下し続ける/収縮するからブラックホールの中身は「空っぽ」である(37ページ)と言った挙げ句、ではブラックホールを作った物質やその後にブラックホールに落ち込んだ物質はいったいどこに行くのかは「いまだに答えが見つかっていない現代物理学の『宿題』です」(同ページ)とか言われたら頭がおかしくなりそうです。後者については、「ブラックホールの中に特異点があるという話をしてきましたが、特異点はそもそも時空ではないので、そのふるまいを支配する物理法則がありません。少なくとも現在、そのような物理法則があるのかないのかもわかっていません」(69ページ)とまで書かれているのです。特定の主張を正しいと言うために前提も外し、論証も放棄して、ただこうなるはずだと言っているようにさえ聞こえますし、科学的な論証ではなく禅問答にようにも聞こえます。
 ミクロの世界の論理として登場した量子力学を宇宙論につなげることに腐心していることも私の理解を妨げているものと思えます。量子もつれの問題(200~201ページ。対生成された光子は理論上必ず逆方向のスピンを持つが、スピンの方向を含めた量子(光子)の要素は観察するまで確定しない(不確定の確率の束である)から両者が反対方向に進行している場合、一方のスピンを観測したときに他方のスピンが確定することになるところ、そのスピンの情報は光速を超えて伝達することになる)も、量子力学でそのように約束しているからそれは必ず成り立たねばならないという話で、私には昔から学者さんたちの自己満足の話のように思えてなりません。高校生のときに、講談社ブルーバックスで、ブラックホール、相対性理論の本を読み、そこまではそれなりに理解できたので量子力学に手を出したら途端にわからなくなりギブアップした(文転しました)私には、量子力学に対するコンプレックスと偏見があるということなのでしょうけれども。

09.進化のたまもの! どうぶつのタマタマ学 丸山貴史 緑書房
 動物の生殖器・睾丸について説明した本。
 哺乳類の大部分(9割くらい)の睾丸が陰嚢に収められて体外でぶら下がっている理由について、体内の高温下では精子の生産能力が落ちるためというのが一般的な説明ですが、単孔類(カモノハシ等)、有袋類(カンガルー、コアラ等)の他、ゾウなど、哺乳類でも睾丸が体内にある種も少なからずあることなどから、著者は疑問を呈しています(60~63ページ)。もっと論争を深めて欲しいなと思います。
 ウズラは(ニワトリも)商品となる卵は有精卵である必要がないので、飼育する人間の都合により卵を産めないオスはヒヨコの段階で殺されてメスだけが育てられるのですが、ウズラの雌雄の判定は難しくてプロの初生雛鑑別師でもときどき判断ミスをする結果、オスが間違えてメスとして育てられケージの中でメスと交尾しまくる(おぉ、ハーレム!)ため、20個に1個くらいの割合で有精卵が混じっているのだそうです(67~69ページ)。
 ウニは、ウニ専門の業者でなければメスの卵巣とオスの精巣がほとんど見分けがつかず、ウニ専門の業者でなければ市場関係者でもウニにオスメスがあることさえ知らないことも多く、食用にされているのは卵巣と精巣が半々の確率なんだそうです(96~98ページ)。
 睾丸そのものの話よりもそういうあたりで知的好奇心をそそられました。

08.若者言葉の研究 SNS時代の言語変化 堀尾佳以 九州大学出版会
 1990年代後半から2000年代(2007年頃まで)の若者言葉について言語学的に分析した本。
 2015年の著者の博士論文を元にしたものということで、研究論文的な色彩があり、そこでは先行論文との違いとか、検討対象とする資料及びその範囲の客観性等が意識され、そのあたりは部外者にはその当否も判断しにくく、また若干の読みづらさの元になっています。
 若者言葉というくくりで見ると、自分たち(の世代)が用いてきた日本語とは異なるところに目が行きますが、著者が若者言葉に興味を持ったきっかけだという「告る」のような「動詞化接辞『ーる』」にしても、「サボる」「アジる」など私たちが若い頃から使われていましたし、固有名詞+るという用例では私たちが若い頃に「江川る」っていうのが流行りました。その意味で、昔から若者は、その頃の高年齢層からは異文化的に見られ嘆かれてきて、ただ自分が若者側から高年齢層に移って「若者言葉」が特別に見えるということなんだなぁと改めて感じました。
 2010年代の分析で、「くない?」「って感じ」「よさげ」などは「廃れた可能性のあるもの」とされています(122ページ)。そうか、ときどき使うかも。おじさんが使うようになっているのだから、もう廃れているんでしょうね。
 「ほぼほぼ」が「『ほぼ』よりも確実性の高いときに使う」もので2010年代の若者言葉と紹介されています(122ページ)。私は、この言葉、原子力規制委員会の更田委員長が使っているのが初見(初聞?)だったのですが…(それに関する裁判で提出した準備書面はこちら、更田委員長の発言動画はこちら

07.エビはすごい カニもすごい 体のしくみ、行動から食文化まで 矢野勲 中公新書
 エビ、カニの体の構造と生態について解説した本。
 カニがつま先立ちで(ほとんどのカニの歩脚の先は尖った爪状になっている)歩くのは、海や川の水底にはエビ・カニの外骨格を構成しているキチンを最終的にグルコースにまで分解するキチン分解細菌やタンパク質を最終的にアミノ酸にまで分解する細菌が多数いて(例えばクルマエビが脱皮した抜け殻を放置して観察すると3、4日もすれば跡形なく消えてしまう)大きな傷口でもできれば免疫システムによる血液凝固や細菌死滅が間に合わず死に直面しかねない、その危険を最小限にするためなんだそうです(125~129ページ)。
 カニ味噌って、カニの肝膵臓なんですね(43ページ)。海に生息するエビ・カニは体内の浸透圧を上げるためにアミノ酸も使っていてそのアミノ酸にはエビ・カニの甘みの素になるグリシンなどが含まれているので海から漁獲されたばかりのエビ・カニは甘くおいしく感じるが、捕獲後に塩分が海水より低いいけすや水槽で活かしておくと浸透圧が下がりグリシンなどが減少して食べても甘くおいしく感じなくなるって(40~41ページ)。
 タイトルに合わせて、いちいち「すごいと思える」というフレーズが使われるのがうるさい感じがしますが、いろいろに好奇心を刺激される本でした。

06.世界で一番くわしい木材[最新版] 「世界で一番くわしい木材」研究会 エクスナレッジ
 木材についての基礎知識と構造材・造作材等としての適性や使用例等を解説した本。
 さまざまなことが説明されてはいますが、これくらいの情報量で「世界で一番くわしい」と言えるのかには大きな疑問を持ちました。
 写真が多数掲載されているのですが、執筆者が撮影あるいは準備したものではないのか、本文での説明からすればもう少しそれがわかるような写真を掲載するなりより具体的な図示や書き込み説明が欲しいと思うところが少なからずありました。他方で、解像度不足やピンボケ写真もあり、残念に思えました。
 集成材について、「接着剤に含まれるホルムアルデヒドについても、その放散量の表示が義務づけられているため、住環境の面からも優しい素材といえる」(54ページ)、均質な強度を持っているので構造用材として製材品よりも構造解析上扱いやすい(74ページ)などの記述は、いかにも建築施工サイドの都合に偏したもののように感じられます。
 材料強度の比較表(114ページ)で、コンクリートについて引張強度の数値が圧縮強度の10倍になっているのは驚きました。素人目にも逆だとわかります。「はじめに」では「木材の事情は日々刻々と変化し、10年前の情報ではいささか古めかしさを感じるようになりましたため、今回の最新版を作成いたしました」とあるのですが、国産材の素材供給量や木材輸入量の推移の表とグラフ(118~119ページ)が平成23年(2011年)までってどういうことなんでしょう。前の版(2012年発行)のをそのまま掲載してるんでしょうね。

05.紙ヒコーキで知る飛行の原理 身近に学ぶ航空力学 小林昭夫 講談社ブルーバックス
 思うように飛ぶ紙飛行機を作成するというテーマで航空力学の基本を解説する本。
 飛行機が飛ぶために不可欠の揚力を得るために主翼の面積と迎え角(風の方向と翼断面の角度)が重要であり、フラップにより揚力を増すことができ、主翼の断面形を含めた設計が決め手となること、飛行機の揺れ(回転力)に対しては、ピッチング(機首の上下方向の揺れ)は水平尾翼があることで抑制されさらにこれに付けられた昇降舵(機首が機首が上がったら下向きにして尾翼に上向きの揚力を、機首が上がったら下向きにして尾翼に上向きの揚力を生じさせる)でコントロールでき、ヨーイング(機首の左右方向の揺れ)は垂直尾翼があることで抑制されさらにこれに付けられたの方向舵(機首を右方向に向けさせる横風やエンジン不調には左に切って尾翼側に右方向への回転力を生じさせてバランスを取る)でコントロールでき、ローリング(軸まわりの回転)は主翼に上反角(水平方向よりも上向きの角度)があることで抑制されさらに主翼に付けられたフラップ(左翼が下がる回転には右翼のフラップを上げて右翼に下向きの「揚力」、左翼のフラップを下げて左翼に上向きの揚力を生じさせる)でコントロールできることなど、飛行機の基本形が理にかなったものであるとこが理解できます。
 滑空状態では、機首が下向き(降下姿勢)である限り自重(重力)が(進行方向の)推力となる(79~81ページ)ことが明快に説明されており、六ヶ所再処理工場の裁判で国側がエンジン停止して滑空状態の戦闘機の速度は「最良滑空速度」以上にはならないかのように主張するのに惑わされていた私には助かりました。
 紙ヒコーキといっても、そういう説明ですから、折り紙で作るようなものではなくて、主翼、水平尾翼、垂直尾翼を整えた本格的なものが想定されており、やってみよう部分は手が出ませんでしたが、勉強になりました。

04.クモの世界 糸をあやつる8本脚の狩人 浅間茂 中公新書
 クモの生態についての解説書。
 糸を出すことがクモの特徴とされており(4ページ)、クモの糸はタンパク質(フィブロイン)でできていて体内では液体状で体外に出ると空気に触れて糸になり、糸の種類に応じて異なる腺で作られ異なる糸疣から出てくる、粘着性がある糸とそうでない糸があり粘着性のある糸は粘着物質による場合と微細な糸(梳糸)の絡みつき・ファンデルワールス力による場合がある(66~68ページ)、同じ太さでは鋼鉄以上の強さを持ちしなやかという素晴らしい素材で人工的にはクモの糸を超えるものはまだ合成できない(166~168ページ)が、クモが何故糸を出すように進化したのかははっきりとはわかっていない(23ページ)のだそうです。
 第5章では、交尾をするために雌を眠らせ(催眠術をかける)たり糸で縛り付けたり脱皮直後の動けないときを狙って交尾するというような話が続きます。ふつうは雌の方が雄より大きく雄が不用意に雌に近づくと食われてしまうのだそうです。他方で生まれてきた子に母親が食われる種(カバキコマチグモ)も紹介されています(30~31ページ)。厳しい世界ですね。
 種類と個体数の多さからでしょうけれども、世界中でクモが食べる餌の消費量は人間が魚と肉を食べる量に匹敵するそうです(108ページ)。塵も積もればということですが、こういう数字(クモが食べる昆虫の量は毎年4億~8億トン)を聞かされると驚きます。
 カラー図版で、ふんだんにクモの写真が出てきます。美しいとも言えますが、読者の多くにとっては気持ち悪くなる方が強いのではないかと思ってしまいます。

03.彼女が知らない隣人たち あさのあつこ 株式会社KADOKAWA
 政治的な意識・関心がない39歳のパートタイマーが、職場の外国人実習生や難民支援団体を立ち上げたママ友との交流により目覚めて行く姿を通じて、外国人実習生の置かれている状況や排外主義/ヘイトクライムについて問題提起をする小説。
 前半では、共働きだがまったく家事分担を申し出ず家事がおろそかになるなら仕事をやめればいいという夫に対する不満、高校生になりほとんど関われなくなった息子の態度に対する不満、そして肥満気味のためダイエットを言い渡してあるが食欲旺盛な小学生の娘への不満など、自分が頑張っているのにそれが評価されないことへの不満を募らせ自分のことだけでいっぱいいっぱいになってまわりの者の悩みや実情に目が行かない主人公の姿に少し辟易します。自分は父母に虐待/ネグレクトされたという強い被害感情を持ち、自分は父母のようにならないといいながら、娘に対して強圧的に迫るというのもいただけません。もっとも、この段階で、女は仕事をしても家事育児もしなきゃならず、それでも評価されないからねと共感する読者も相当数いるものと思えます。
 その主人公が、同僚の外国人実習生との交流やママ友との交流を通じて、会社の外国人実習生ひいては労働者に対する姿勢、地域社会あるいは匿名の誹謗中傷者たちの排外主義的な意識・行動に対してごく素朴な正義感から憤り、問題意識を持っていく様子、並行して家族との間でも娘と和解し、息子に対しても理解する姿勢を見せて行く展開は、前半の主人公に共感する場合はもちろん、そうでない場合でも、自分のことしか考えられなかった主人公でも視野を広げていける、その中で問題を意識し関わっていけるという感覚を持ちやすく、また主人公の成長に共感を持てることから、読者に前向きの問題意識を持たせやすい巧みな構成と、読んだ後では思えました。

02.不貞行為に関する裁判例の分析 慰謝料算定上の諸問題 大塚正之 日本加除出版
 東京地裁で2015年10月から2016年9月までの1年間に言い渡された不貞行為慰謝料に関する判決123件と、2016年12月から2019年2月までに言い渡された不貞行為慰謝料に関する判決150件を分析して解説した本。
 元裁判官(現弁護士)である著者が法律雑誌に連載した論文が第1部(2015年10月から1年分の判決の分析)の元になっていることから見て、(抽出の際の判断が微妙な判決もあるでしょうから完全とは言えなくても)実質的に一定期間に東京地裁が言い渡した不貞行為慰謝料に関する判決全件を検討したものと評価してよいと思います。私たちが通常読むことができる判決の検討は、法律雑誌に掲載されたものに限られ、また著者の関心等により選別された判決を検討したものです。東京地裁が一定期間に言い渡した判決全件の検討の場合、裁判所の判決の傾向が見えるわけで、それだけでも私たち弁護士にとっては大変貴重な文献と言えます。
 大量の判決を紹介する関係上、判決文の引用がなされず著者が論点ごとに要約して紹介していてそこは本当はより判決文に近いものを読みたいという思いはありますが、それでも不貞行為の有無の認定(何を根拠にどう評価して認定したか)についての事案と裁判所が考慮した事情の一覧表、不貞行為時の婚姻関係の破綻の認定や相手方の故意・過失(配偶者がいることの認識、破綻しているという認識)の判断についての双方の主張と裁判所の判断の一覧表は、弁護士にはとても参考になります。
 私としては、これが一定期間とは言え東京地裁の全判決とすると、不貞行為時には婚姻関係が破綻していたという主張がほとんど認められていないことに衝撃を受けました。そう簡単ではないとは思っていましたが、これほどまでにほとんど認められない(被告側の主張立証責任のハードルがここまで高い)とは…
 私の感覚では、不貞行為では男性が主導的なパターンが多く女性が被告の場合にはそれほど高い慰謝料の支払いは命じられないと思っていたのですが、女性被告に対しても、男性が主導的だったとは言えないと認定され、200万円、300万円の支払が命じられているケースが散見され、慰謝料額に性差はあまり感じられません。私の感覚はもう古いというか、先入観にとらわれたものだったのですね。
 第1部の74番の判決(126ページ等)。妻がソープランドで働いていて(夫は知らなかったと主張)そこに客として週1、2回通った被告に対して慰謝料150万円、弁護士費用15万円の支払いが命じられているんですが、これって…違和感ありませんか?
 興信所の調査料、数十万円が多いですが、304万4609円(20万円だけ認容:381ページ)とか237万円(60万円だけ認容:378ページ)なんていうのもあります。高っ! 請求しても支払が認められないケースも多いですし(380~381ページ等)。

01.沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫
 天才的な歌声を見出されプロの歌手を目指していたが3年前に19歳で行方不明となっていた並木佐織の遺体が、23年前に行方不明となり4年後に遺体が発見された12歳の少女本橋優奈の殺人容疑で起訴されたが黙秘を貫いて無罪判決を受けた元被告人蓮沼寛一の母芳恵が居住していた静岡県内の家で芳恵の遺体とともに発見され、本橋優奈の事件の捜査を担当して苦杯をなめた刑事草薙が、今回は警視庁捜査1課の係長として並木佐織の事件を担当することとなるが捜査は行き詰まり、草薙の学生時代の友人である物理学者湯川(ガリレオ)に協力を求め…というミステリー小説。
 タイトルは、舞台となる東京都「菊野市」の名物イベント「キクノ・ストーリー・パレード」と蓮沼の黙秘権行使(あるいは死者は語れない)から。
 裏の裏の裏のような考え込まれた/考え抜かれたプロットで、ミステリーとしては楽しめますが、黙秘権行使によって犯罪者が無罪となって野放しになり刑事補償を1000万円以上受け取って儲けているというようなことが強調されて論われているのには閉口しました。警察が正義のミステリー(少なくとも最後には必ず真実が明らかにされ正義が実現する)ではありがちな姿勢ですが、現実の世界では圧倒的な権力の前に刑事被疑者・被告人の力はあまりにも弱く、権力行使には濫用の危険と誘惑がつきまとい、人間が行うことである以上捜査もまた裁判も過ちを犯すことが避けられないということから、公正のためにあるいは人類の知恵として歴史的に確立されてきた被疑者・被告人の権利である黙秘権や刑事補償の権利が、非難され貶められ蔑ろにされることは、大変残念です。

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