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  私の読書日記  2022年3月

25.古代インカ・アンデス不可思議大全 芝崎みゆき 草思社
 古代インカ文明とそれ以前のプレインカのさまざまな文化について、さまざまな文献と現地の人から聞いた話を取り混ぜてまとめて紹介した本。
 インカ文明とスペインの征服者/略奪者によるその末路に至る解説がメインではありますが、私自身は、インカに惹かれてこの本を手にしたものの、これまでまったく知識がなかったプレインカの方に興味をそそられました。
 砂漠地帯で超乾燥環境のため、ミイラや木、布類が2000年以上前のものでもいい状態で残っているというのがすごい。で、最大で長さ20m、幅6mを超す織布が残っていたとか(46ページ)。いったいどうやって織ったのか(幅6mの織機なんて作れたのか…)、古代文明の技術水準の高さに驚きます。
 自然環境では、ナスカの地上絵が残っていた理由として土壌に含まれる石膏が夜海からくる霧で少し溶かされそれが朝の冷たい空気で固まって作った絵が固定される、小さなつむじ風が四六時中巻き起こって細かいごみを取ってくれるため絵の輪郭がクリアに保たれると解説していて(285ページ)、なるほどそういうものかと思いました。
 イラストが多用されて土器や壁画、織布のモチーフが多数紹介されています。これがユーモラスで、もっと見たいと思いました。モチェの土器ではエロな土器(肛門性交、多しって…87ページ)が有名だそうです。南アジアや東南アジアよりもさらにおおらかな文化だったのでしょうね。
 インカでは月蝕は月が病気で眠り込んだ姿と捉えられそのままでは落下して大地に激突するとあらゆる楽器をかき鳴らし大声で叫び犬を集めて棒で打ちすえて悲鳴を上げさせたとか(22ページ)。でも日蝕は何か悪いことをした者に天罰が下される印として特にイベントなしだとか(同)。風習はさまざまでところ変われば、ですね。

24.いまファンタジーにできること アーシュラ・K・ル=グウィン 河出文庫
 日本では「ゲド戦記」という邦題を付されて出版された EARTHSEA シリーズ等の作者がファンタジーについて行った講演、評論等をまとめた本。
 動物が登場する児童文学/ファンタジーについての評論「子どもの本の動物たち」が全体の半分近くを占め、そこでは多数の作品が取り上げられ紹介されています。
 他方で、裏表紙の紹介で「指輪物語、ピーターラビット、ドリトル先生物語、ゲド戦記から、ハリー・ポッターまで。ファンタジーや児童文学を読み解きながらその本質を明らかに」とされているのは、かなりミスリーディングというか、出版サイドの売らんかなの羊頭狗肉で、このうたい文句に惹かれて読むと失望すると思います。ドリトル先生物語は動物の本ですので「子どもの本の動物たち」の中で他の動物作品と同レベルで触れられており、「ゲド戦記」は「YA文学のヤングアダルト」で説明されていますが、指輪物語とピーターラビットは何度か登場はするものの内容の説明はなく(説明するまでもないということでしょう)、ハリー・ポッターについては、独創的で前例がないと激賞する評論家がいることについて「はっきり言えば紋切り型で、模倣的でさえある作品」を独創的な業績だと思い込むとはなんて無知で素養のないことかと嘆くのみ(51~52ページ)です。
 ル=グウィンらしいプライドとシニカルな筆致、白人を主人公とすることへの疑問と EARTHSEA 3部作の後の17年で得たフェミニズムの視点(3部作のときには「ジェンダーについて問いただす用意ができて」いなかったこと、17年のうちにフェミニズムの第2波が打ち寄せ、そこから学んだことを、ル=グウィン自身が「YA文学のヤングアダルト」で語っています)が全体に満ちていて、それらを楽しめる読者には読み味がいいエッセイ集だと思います。

23.永遠についての証明 岩井圭也 角川文庫
 数学的現象を「見る」ことができる「数覚」に恵まれた天才的数学者三ツ矢瞭司が見いだされて理系の名門大学の特別推薦生となり、そこで初めて得た仲間熊沢勇一、斎藤佐那とともに、小沼教授の指導を受けながら数学の難題に取り組み実績を上げるが、仲間が離れていく中で孤立感に苛まれ、その天才的直感的証明の不完全性を指摘されて苦闘し転落していくという展開の小説。
 才能をめぐる自覚と嫉妬、他人への説明の難しさ、理解を得ることへの渇望とそれが満たされない孤独感、挫折を知らない者の打たれ弱さなどがテーマになっています。
 後半、三ツ矢瞭司はアルコールの力により素粒子/塵が、数学的な理論が「見えてくる」というのですが、経験上、飲んでいるときや疲れているとき、深夜・明け方に、画期的なアイディアを思いついて高揚して書き散らしたものは、後で冷静になって読み返すと間違いや穴だらけということが多いと思います。そう思わずにそれを続けのめり込むというのはちょっと流れに無理があるんじゃないかと感じました。

22.カウンセラーが悩み解決! SNSコミュニケーション 浮世満理子 日本能率協会マネジメントセンター
 SNSでのコミュニケーションの仕方、トラブルの回避・解決方法について、Facebook、Twitter、Instagram、LINEに分けてアドバイスする本。
 リアルのコミュニケーションを大切にして、SNSだけで完結/解決しようとせずに、電話やオンライン通話を取り入れて行くことを勧めています。「基本的に、SNSでは、心を打ち明けたり、相手に違う意見をぶつけたりは、すべきではないと思います」(27ページ)という言葉が象徴的です。
 「私はFacebookに投稿するときは、30分は時間を掛けています」(39ページ)って…慎重になる必要があるとは思いますが、そこまでは…まぁ、私も書きかけて、読み返して、やっぱりやめたって思うことは多い(結局書かずにやめることの方が多い)ですけど。
 著者の仕事がらなのか、毅然とした対応を勧めている点もわりとあります。「『死ね』『バカなんじゃないの?』などといった明らかな中傷が書き込まれた場合には、すぐにコメントを削除して、相手を『即ブロック』しましょう」(66ページ)とか、Facebookで「いいね」を押しただけで文句を言ってきて謝ってもなお「あなたは心のケアとかカウンセリングをやられているようですが、そんなことで大丈夫ですか?」と言ってきた輩に対して、これは捨てておけないと思い「お言葉ですが、私は子どもたちの性被害のケアに対して本気で取り組んでおります。私たちの活動のことをご存知ないのに、私のたった1つの『いいね』ボタンで、活動そのものを否定するのはやめていただけませんか。よろしくお願いいたします」と返事をしたというエピソードが書かれています(67~68ページ)。売られたけんかは買わなきゃ、ですかね。

21.女警 古野まほろ 角川文庫
 男社会の警察で6か月前に県警本部長となり「女性の視点を一層反映した県警プロジェクト」の推進を図る深沼ルミA県警本部長の引きで2か月前に監察室長に就任した姫川理代が、新人女警青崎小百合巡査が駅前交番で相勤の年野健警部補を射殺してその後拳銃自殺したという大スキャンダルの真相を探り、事件をめぐる警察内の力関係駆け引きに参加していくというミステリー仕立ての警察小説。
 ミステリーとしては、布石とその回収はたぶんきちんとなされているとは思いますが、第一感を懸命に否定するエピソードを作者が並べるのにしかしどうかなと疑いを持ち続けていたら結局第一感に戻るというのはとても後味が悪く、どんなに説明されてもやられた感がなく鮮やかさを感じません。
 作者が警察官出身(の覆面作家)というだけあって、警察の組織の体質とその中での力関係駆け引きの描写は迫真のものと感じられます。ただ前例のない他県警がやっていない/できていない政策を推進するということは、政策は予算の取り合い、優先順位決定の問題である以上、どこかにしわ寄せが行くのは当然のことで、終盤での姫川理代の動揺/憤激は主人公の理解の程度/底の浅さあるいは器の小ささを感じさせ、違和感がありました。
 女性の警察官の主人公の名前が姫川っていうの、どうなんでしょう。誉田哲也の姫川玲子シリーズに「敬意を表して」っていうことになるんでしょうか。どちらかというと仁義なき戦いのイメージを持ちましたが。

20.親愛なるあなたへ カンザキイオリ 河出書房新社
 中学生で苦もなく書いた小説が出版された引っ込み思案で自意識過剰な「いひひ」と笑うクセがある気持ち悪い少年柿沼春樹と、義母が死んで「フリーのグラフィックデザイナー」の義姉と2人暮らしになりながらアルバイトして稼ごうとさえせずに全面依存して平気な音楽で他人を感動させたいという高校生小倉雪を軸にした青春小説。
 好きなものを好きと言える、それがいいことでそれができる者が羨ましいというテーゼを掲げ、予定調和的に進行する前半から、ストーリーもキャラクター(人格)も破壊していく後半への展開は、ちょっと予想外でした。前半のまま最後まで行ったら退屈したとは思います。いずれの主人公も、周囲からは褒められ評価され持ち上げられているのですが、どうにも共感できないというかわがままぶりが鼻についてしまうので。と言って、こういう壊し方についていき、楽しめるかは、私には難しい感じがしました。この展開だったら、364ページかせめて371ページで終わる方が、さらにいうと後半は半分程度に圧縮してスピーディーにした方がよかったと思います。

19.終恋 高生椰子 幻冬舎
 看護師歴37年のバツ2の61歳小鳥遊志津恵が、45年前の高校生時代からの元彼相原徹也から逢いたいというメールを受け、逡巡しつつも再会しドキドキしながら不倫関係を始める老いらくの恋小説。
 年月を経ての再会で、自分が元彼との過去を美化して記憶を書き換えていたことを認識する経緯は、う~ん、そうだよねと思わせられます。歳をとって丸くなっていることもあり、昔の傷や嫌だったところも、今なら許せるというか、それほど気にならなくなっているということはありそうですが。
 そうは言っても、旧交を温めるのなら笑っていられるけれども、都合のいい女として不倫関係を続けられるかは、どうだろうと思う。たいていの小説では、過去の相手から受けた仕打ちをくっきり思い出したところで思いとどまるのではないか。60歳を超えた主人公を、分別のある者、執着を持たなくなった者、枯れた者として描くのではなく、その寂しさ、開き直り、あるいは人間そんな簡単には悟れないよと描いてみたというところでしょうか。

18.権力にゆがむ専門知 専門家はどう統制されてきたのか 新藤宗幸 朝日選書
 菅首相による学術会議任命拒否問題と新型コロナウィルス感染症対策での専門家会議の位置づけを契機に、政権・官僚と専門家の関係について論じた本。
 大まかには、官僚機構が外部の専門家の知識と専門家に諮ったという外形を利用して政策を進めてきた(原子力問題では官僚には巨大技術を扱う能力・知識がなく原子力ムラに翻弄されたと評価:222ページ等)が、第2次安倍政権に象徴的にみられるような新自由主義政策(小さな政府志向で官僚が扱う領域が減少)の下で官僚の士気が下がり、官邸に人事権を掌握されて官僚が官邸にすり寄り、さらに政権が正規の審議会等を無視して「有識者会議」を駆使して思い通りの意見を出させるようになってきていることを説明しています。著者の怒りは、そういった政治・官僚の思惑にすり寄る専門家の側の浅ましさにも向けられているのですが、全体としては経緯の説明が多くを占めています。
 新型コロナウィルス感染症対策関係では、安倍首相の突然の公立学校一斉閉鎖の「お願い」、菅首相の重傷者以外は自宅療養を原則とする(事実上見捨てる)という方針決定が、専門家会議に事前に諮られずになされたことについて、政権は何のために専門家会議を設けたのか、専門家会議は事後であれなぜ専門家としての意見を表明しないのかと論難しています(158~162ページ等)。まさにそのとおりだと思います。
 司法制度改革では、法科大学院についての大学側の「バスに乗り遅れるな」とばかりの設置フィーバーのすさまじさ、日頃教壇で正義、社会的平等、公正、人権といった価値を強調していたはずの法学者たちが「法科大学院がなければ大学の格に係わる」といった発言をすることはどこで整合するのかなどを厳しく批判しています(201~206ページ等)。法学部の学者さんからロースクール問題での大学側の問題点について自分より厳しい意見を聞くとは思いませんでした。著者の批判精神に敬服します。

17.ヨーロッパ・コーリング・リターンズ ブレイディみかこ 岩波現代文庫
 イギリス南端の街ブライトンに居住する著者が、主としてイギリスの政治、経済政策、福祉・医療・教育政策がイギリス社会の庶民層・底辺層に及ぼしている影響についてレポートした文章を取りまとめて出版したもの。
 2016年に「ヨーロッパ・コーリング」(岩波書店)として出版されたYahoo!ニュース掲載記事に、その後執筆した2021年までのコラム等を追加したものだそうです。性質上古くなると価値が下がる時評類はそのまま文庫化するわけにも行かなかったのでしょうけど、別の本として売りながら前の本と同じ文章を多数掲載されると、多数の同じ曲が入ったアルバムを量産するミュージシャンをみるような気持ちがします。
 基本的に堅めのテーマではありますが、文章が短めで読みやすく、傾向としていえば福祉・教育の充実を求め、そのための予算を削減して底辺層をいじめる保守党の緊縮政策(象徴的にはサッチャー)を批判するものが多く、日本でいえば安倍・菅とか維新とか大嫌いな読者には耳に心地よい読み物です。
 グローバル経済を批判し自給自足経済を求める主張(民族派のみならず緑派にも例えば「これってホントにエコなの?」(2022年3月10日の記事で紹介)でも重視されている視点です)に対して、経済の自給自足が進めばもっともダメージを負うのは貧しい国々だ、経済の自給自足という概念は自助の概念によく似ている、自給自足や自助は本質的にそうする力のある強者の弁なのだとするコメント(418~419ページ)にハッとさせられました。

16.黄色い夏の日 高楼方子 福音館書店
 美術部の宿題でスケッチの題材にするために以前見かけてお気に入りだった古い家を覗き込んでいたらその住人が祖母の入院時の同室者であったことから中に案内され、そこで同年代の美少女と出会って夢中になり何かと口実を作ってその家に通うようになった中1の藤原景介と、その景介の様子に不審感を持ち心穏やかでいられず景介の後をつける景介の幼なじみの平田晶子の視点で描く青春不思議経験小説。
 冒頭から一応「謎」が提示され、まぁ大方幻想に行くのか、霊に行くのかという予想はつくのですが、そういう展開からして何か合理的に納得できる説明はもともと期待できないところではあるのですが、「どうして?」部分はやはり結局よくわかりません。そのあたりは、不思議な体験を味わうでいいじゃない、昔話・民話の類いはそういうもんでしょと流せるかどうか、でしょうね。

15.不当労働行為法 判例・命令にみる認定基準 山川隆一編著 第一法規
 集団的労使関係での使用者の労働組合等に対する不当労働行為(原則として労働委員会で救済)の成立要件について、判例と労働委員会の命令を挙げて解説した本。
 教科書的な本よりは判例・命令の中身も説明していますが、判例・命令を実務で使うには理由や事実関係にもっと踏み込んでもらう必要があり、判例を調べるとっかかりにするか、ざっと通し読みして不当労働行為/労働組合法の全般を把握する勉強用の本かなと思います。
 今回読んでみて、私が日常的に取り扱っている民間個人労働者の裁判の世界と公務員の団体交渉(労働組合)では、いろいろ違うなぁと認識を新たにしました(労働組合の顧問やってませんので、そういうケースはあまり知りませんから)。雇止めについては、公務員の場合、裁判では絶望的(民間労働者なら契約更新が繰り返されていたり契約や使用者の言動で更新が予定されていたりすれば闘えますが、公務員の場合はまるでダメ)ですが、労働組合が団体交渉を申し込めばそれは義務的団交事項で使用者は団交を拒否できず、「誠実に」団交に応じなければなりません(154~156ページ)。民間労働者の場合当然に義務的団交事項になると考えられている労働者への懲戒処分は、公務員の場合は「管理運営事項」とされて団体交渉の対象外(154ページ、156ページ)だが、懲戒処分によって賃金・賞与の減額、昇給の延伸、人事考課の低査定による昇格・昇進への影響などがあるとそれは義務的団交事項になる(156ページ、172ページ)んだそうです。ふだん扱わない公務員と団体交渉がクロスする分野だから、ではありますが、労働法もまだまだ奥が深いですね。勉強になりました。

14.麻薬と人間 100年の物語 薬物への認識を変える衝撃の真実 ヨハン・ハリ 作品社
 アメリカで約100年前に始められ全世界に拡がった麻薬戦争の経緯とその弊害、脱麻薬戦争(薬物の非犯罪化・依存症患者支援)に取り組む人々の闘いについて当事者への取材・インタビューに基づいてレポートした本。
 麻薬戦争が、禁酒法が廃止されて仕事を失った酒類取締局が組織変更された連邦麻薬局の局長に就任したハリー・アンスリンガーが少年時代に見た薬物依存者の禁断症状への恐怖という個人的な経験と、組織存続のため、薬物依存者による犯罪の恐怖を煽ることで開始されたことが冒頭で印象的に語られています。その中でハリーが南部での黒人に対するリンチを告発する「奇妙な果実」を歌う人気ジャズシンガービリー・ホリデイに狙いをつけていく経緯は、「ザ・ユナイテッド・ステイツvsビリー・ホリデイ」として映画化されました。この本では、そのエピソードはその後も繰り返し触れていますが、全体の中では人目を惹くけれども本筋ではない気もします。
 著者の主張では、薬物を使用しても大半の人は娯楽のためにときおり使用するにとどまり依存症になるのは10%かせいぜい20%で、それも薬物の化学的な効力よりも孤独やトラウマのために依存状態になるということ、依存症者が薬物の効果で他人に危害を加える例は少なく、薬物をめぐる犯罪は薬物を買うための金欲しさの犯罪と薬物販売の利権を奪うための抗争によるものが多く、それは薬物を禁止しているために生じている、薬物注射による健康への悪影響も禁止により不純物を混ぜた薬物が多いことや不潔な注射針の使用が原因、非犯罪化しさらには合法化した方が安全な薬物を廉価で供給できたり未成年者への販売を阻止することもできてよほど社会を健全化できるというようなことが、より中心的な議論のように思えます。
 薬物を使用した場合の常習化率というか依存症罹患率が10%~20%程度という数字は微妙なところで、その程度なら解禁した方がいいんじゃないとすんなり言えるかやや躊躇を感じるところではありますが、さまざまな点で目からうろこという思いをし、いろいろと考えさせられる本だと思います。

13.会社法は誰のためにあるのか 人間復興の会社法理 上村達男 岩波書店
 株主は会社の所有者であり会社経営の目的は株主価値の最大化にあるという日本での主流の見解に異を唱え、会社の目的は定款上の目的の最大実現にあり議決権は1株1議決権である必要はないと主張し大株主の議決権を逓減させたり長期保有株主の議決権を増やしたり支配株主に会社に対する誠実義務・忠実義務を課するなどを提言する本。
 本来的には多数の株主から資金調達し証券市場を駆使する会社を想定すべき株式会社について、最低資本金制度を導入せず個人・同族企業の株式会社化を容認した挙げ句、小規模閉鎖会社向けの制度の有限会社を廃止してこれをすべて株式会社化した日本の会社法では、会社法の手続(設立手続、取締役会・株主総会の開催、計算書類の作成等)をまったく守っていない会社があまりにも多く、裁判でもその実態に適応するために小規模閉鎖的株式会社向けの判例が積み重ねられ、本来の会社法の理念・原則がズタズタにされているという趣旨の指摘(43~44ページ等)は、今では会社側の事件をやらないため会社法から遠ざかってはいるもののかつて商法を学んだ者として頷けるところです。
 著者の主張の主眼は、本来の株式会社は証券市場を駆使する株主多数の大規模会社であり、会社法でも有価証券報告書提出会社の特例を定めてそのような会社向けの制度を明示し、M&Aで儲けることを目的とする巨大ファンドや超短期保有株主の恣意的・利己的な議決権行使を制約するということにあると読めます。それはそれで意義のあることだと思いますが、それをいうのに「人間復興」というのはちょっと大仰な感じがします。買収者を批判し抑制することは一面で現経営陣の利害に与するともいえ、著者が取締役の個人責任についての現在の判例(それを「人間疎外の責任論」と呼んでいる:160ページ)が厳しすぎると述べてやはり経営者を擁護する姿勢を見せている(160~171ページ)こと、最初の方では触れていた債権者の保護はその後顧みられず立法提言にもまるで登場しないというのを見ると、著者の主張は株主の発言力を削いで経営者が自由にやれるようにすることにつながっていく可能性もありそうです。
 最後に会社法とは関係なく、ロースクールが法学部と法学研究者養成を破壊したという苦言を呈しています(248~256ページ)。弁護士業界側から見ると、ロースクールの失敗は、8割合格する制度という構想なのだから入学定員は想定されている司法試験合格者数の若干増でとどめなければならないとわかりきっているのにロースクールを設けなければ負け組とみられると我も我もと無制約にロースクールを設置してとんでもない入学定員にした大学と文科省のせいだと思えるのですが、反対当事者から見える風景はまったく別なのですね。日頃民事裁判で説明していることではありますが、改めて勉強になりました。
 そういうことも含めて、ふだん考えていることとは別の視点を見ることができて刺激を受ける本でした。法律関係者以外の人が読み通すには強い意志が必要だとは思いますが。

12.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2 ブレイディみかこ 新潮社
 イギリス南端の街ブライトンの元公営住宅地に住む福岡県出身のライターの著者が、アイルランド人の夫との間に生まれた中学生の息子のスクールライフや地域のできごとを題材に、イギリス社会、特に底辺地域の住人たちの様子、レイシズムなどをレポートし、Yahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞した本の続編。
 元公営住宅地の図書館が廃止された跡地にホームレス受け入れ施設が計画され、それに対して地元住民から反対意見が噴出して計画が頓挫する様子など、イギリス社会と地域の変化と人間関係の変化、他のさまざまな事情も含めて移ろいゆく人間関係の中で子どもたちも翻弄されながら成長していく様子などが読み取れます。そういった点、前作同様に、子どもの応答と、その成長に、共感します。
 貧困世帯の子どものために制服リサイクルを企画運営していたミセス・パープルが、そこから女子生徒に生理用品を配る運動へとシフトしていったことに関連して述べている次のパラグラフに、私は感じ入りました。「社会活動に熱心な教員たちにも、それぞれの持ち場があるというか、みんな考え方も、優先順位も違うんだなという当たり前のことに気づいた。誰のやっていることが正しいとか、誰の活動のほうが重要というわけでもない。互いを少し批判したり、疑問視したりしながらでも、それぞれの持ち場でやっていく。これもまた多様性なのだろう。いろいろと違う考え方を持ち、いろいろ違う活動をしている先生たちがいるからこそ、それぞれ違う個性や問題を抱えた子どもたちに対応できる。多様性のある場所は揉めるし、分断も起こるが、それがある現場には補強し合って回っていく強さがある」(57ページ)。後半は教師の仕事に絡めていますが、職業に関係なく、生き方/生き様の問題として噛みしめておきたいと思います。

11.「書き出し」で釣りあげろ レス・エジャートン フィルムアート社
 現代において編集者や読者が読み進めてくれるような小説を書くための書き出しとその後の進め方について論じた本。
 フィクション作品/小説の市場が縮小し、読者が退屈な説明に気長に付き合ってくれなくなっている現在(といいながらこの本の原書の出版はすでに15年も前 (-_-;)では、書き出しで読者を引き込む必要がある、そのためには説明ではなくシーンの描写(映画を見習おう)で入り、主人公に何らかのトラブルが生じたところからスタートし、主人公をさらにトラブルが襲い、最初は主人公が気がついていないより核心的な問題の解決に至るまでトラブルを最終的に解決させずにストーリーを展開させ続けるべきことを主張・主唱しています。その上で、書き出しを後に明らかになる核心的問題や結末と関連付けておくこと、読者の気を惹いてもその後の展開と無関係な書き出しではいけないことも注意しています。言われてみればそうかなと思いますが、そう言われてしまうと小説の自由度がかなり低くなるように感じます。そのパターンから外れるものが売れることもあるが、それはすでに売れている作家、シリーズもので読者がついてくる・我慢してくれる場合に許されることで、新人作家が試みることではないとか (-_-;)
 書き出しを会話から始めることについて、著者は否定的です。「いきなり会話からはじめるとたいてい失敗する」(46ページ)、「避けるべき書き出し」「注意信号その五 会話ではじまる」(237ページ)、「ぜったいとは言わないまでも、ほとんどの場合、ストーリーの書き出しは会話以外にしたほうがいいでしょう」(238ページ)…私のサイトに掲載している小説「その解雇、無効です!」は、その1もその2もその3も会話から始めています。私としては、魅力的な書き出しと思っていたのですが…(特にその2のプロローグは、続きを読みたいと思わせると思っています。もっとも、この本で戒められているその後に別の話になっていて書き出しから続かない-作品の中盤になってプロローグに至る-という問題がありますが)

10.これってホントにエコなの? ジョージーナ・ウィルソン=パウエル 東京書籍
 日常生活のさまざまな場面で、より“エコ”( green )な選択をするために何(どのような要素)をどのように考慮すべきかを論じた本。
 サブタイトルの「日常生活のあちこちで遭遇する“エコ”のジレンマを解決」からは、それぞれの問題についてこの本が結論を示してくれていることが期待されますが、国と地域によって事情が異なるとか、何を優先的に考えるかで変わってくるような問題も少なくなく、考え、決定するための材料を提供している本だと受け止めた方がよさそうに思えます。
 そして、ここでいう“エコ”( green )自体何を指しどこまでのことを含むのかについて、著者と読者の考えが一致するのかも問題となりそうです。この本で一番問題とされているのはサプライチェーン(生産者から最終消費者までの供給ルートの長さ・複雑さ)で、サプライチェーンが長いと消費者に届けられる前段階での廃棄等が増え、プラスチックを中心とするパッケージが増え、運送による負荷が大きくなるので、地元の中小の生産者から直接買いましょうという話が繰り返されます。それ以外では、二酸化炭素排出量と生産工程等での水使用量、リサイクル等がなされないプラスチック量等が主として問題とされます。そのあたりは、“エコ”の問題として理解しやすいのですが、動物実験をしないとか児童労働や過酷な労働を強いていないなどが基準とされるところが出てきます。動物虐待や児童搾取も批判すべきでしょうけれども、それは“エコ”の問題なんでしょうか。総論で指摘している「地球に立ちはだかる9つの問題とは」(12~15ページ)では、地球温暖化、森林伐採、水の安全保障、汚染、廃棄物、生物多様性、海洋酸性化、土壌浸食、枯渇しつつある資源が挙げられ、動物実験とか児童虐待とかには触れられていないのですが。他方で、著者は、火力発電には否定的な姿勢を示しつつ原子力発電についてはコメントは避け「事業者の価値観が、自分の価値観と一致しているかどうかを確認しましょう」(135ページ)というだけです。その問題には触れたくないのであなたのお好みでというところです。
 食器を洗うのには手洗いより食器洗浄機の方が水が節約できるという理由で、食器洗浄機を明確に推奨し(23ページ)、トイレットペーパーを使用するより温水洗浄便座の方がトイレットペーパー製造の工程で必要な水を節約できるという理由で温水洗浄便座を推奨しています(76~77ページ)。温水洗浄便座など日本以外では普及率が低迷しているのにイギリスから予想外の応援がなされ、メーカーが泣いて喜んでいるでしょうね。しかも温水洗浄便座については、他の機械類が問題となるときには必ずといっていいほど製造工程での二酸化炭素排出量やリサイクルできない部品・プラスチックに言及されて望ましくないと指摘されるのに、その点にまったく言及されていません。著者が温水洗浄便座ファンなのでしょうか。紙おむつが分解できずに廃棄物処分場に山積されているのに、洗濯に要する電力の二酸化炭素排出量が紙おむつ製造の二酸化炭素排出量より多いとして紙おむつを擁護しています(185ページ)。意外性をある指摘によって考えさせられるという面はありますが、同時に、エコロジーの本として、大丈夫か?という疑問を持ちます。
 この本では、度々、生産・製造や廃棄までの全工程での二酸化炭素排出量や水の使用量が挙げられて、それ故に“エコ”でないとされるのですが、その数字がどういう前提で何をどこまで考慮(カウント)して出されたものかが示されていません。計算式や元報告まで示せとはいいませんが、ぎょっとするような数字が少なからずあり、どういう前提の議論なのか、どこまでの工程を含むのか気になる場面が多々ありました。

09.裁かれた絵師たち 近世初期京都画壇の裏事情 五十嵐公一 吉川弘文館
 京都所司代板倉重宗の裁判に関する資料「公事留帳」と板倉家に伝わる「板倉政要」に記述されている江戸時代初期の京都の絵師が当事者となった3件の裁判を題材として、それぞれの絵師とその一族の画業や人間関係、裁判の経緯とその影響等を探求した本。
 元資料の「公事留帳」にしても「板倉政要」にしても、それぞれの裁判の記載は「概要」というか、概要というにも簡単すぎる記載であることに加え、著者が法律関係者でもない近世絵画史が専門と思われる学者であることから、裁判の内容や当時の法制、法的な思考に関する記述は、それがテーマとされているもののこの本の多くを占めるわけでもなく推測によるところも多いので、そちらを極めたい者には隔靴掻痒感と不満感が残るでしょう。それにしても、裁判の結果主張が誤りと判断されると訴えた者が牢屋に入れられる(64~65ページ、77ページ、78~79ページ等)というのは、今でも言いがかりをつけて裁判を起こされるとそういう制度の方がいいという意見も出そうというか、裁判業界以外の世論はそうかも知れませんが、手荒いですね。それでは本当は正しい/権利がある者も萎縮して裁判を起こせなくなってしまいます。まぁ、民事裁判なんて裁く側には面倒で起こして欲しくないものでしょうから、萎縮させて裁判件数を減らした方がいいという考えかもしれませんが。
 著者の専門と興味もあり、実質は江戸時代初期の京都の絵師の生涯や画業、人間関係等の研究の方が中心で、そこに裁判が大きな影響を及ぼしたということから裁判が取り上げられているというくらいの位置づけで読んだ方がいいかなと思います。

08.電子証拠の理論と実務[第2版] 収集・保全・立証 町村泰貴、白井幸夫、櫻庭信之編 民事法研究会
 裁判での電子証拠の取扱について、理論(学説)的な側面、アメリカ・ドイツ・フランスの立法例と裁判例、日本での裁判実務等に基づいて解説した本。
 デジタル・フォレンジック(デジタル・データ(「電磁的記録」)の保全・解析、改ざんの分析等)に関しては、たぶんこの本の想定読者層の弁護士等法律実務関係者が読んでもわからないであろう技術的解説がなされ(でも、それを弁護士が書いていたりする (@_@))、わからないままに、でも重要な技術・手法と認識することが求められている感じがします。むしろ現実の事件でありがちな事例・パターンを挙げながらこういうときにはこういう方法で何が発見・分析できてそのための時間とコストはこれくらいと説明してくれた方が、弁護士には便利だと思います。技術力もコストも業者によってさまざまなので書けないということかとは思いますが。
 「電子証拠の原本の取調」に関する記述では、電子証拠の改ざんの容易さとそれを見抜くことの困難さが強調された上で、改ざんを見抜く方法の例が解説されていますし、TeamsによるWeb会議で、証拠提出者に対してオンラインで提出データを格納していたパソコン等にある電子証拠の原本やメタデータ等を裁判官に確認させるべきとして、さらに裁判官がどのようなデータを確認すべきかをも解説しています(154~173ページ)。この部分を読むと、電子データは改ざんし放題ですべての電子証拠を疑ってかかれと言われているようで、この本の他の部分とは熱さが違う感じがしますが、電子データの改ざんを見破るために比較的容易な手段がある(でも、知らなかったし、一度読んでも身につきそうにない)ということは頭に置いておきたいところです。その意味で、このあたりは、裁判実務関係者には必読なのかもしれないと思います。もっと詳しく実用的な解説書も、私が知らないだけであるのかもしれませんが。こういう指摘(Teamsを利用したWeb会議なら電子証拠の改ざんを弁論準備期日/書面による準備手続期日に見抜ける可能性があるという指摘)を読むと、Teams嫌い(Web会議嫌い)の私も、TeamsによるWeb会議を見直さねばという反省の気持ちが生じます。といって、この本で求めているような電子証拠のチェックを現実に率先してやる裁判官や、当事者が求めた場合にその場で実行する裁判官が現実にいるかは、たぶん期待薄でしょうけど。
 この「電子証拠の原本の取調」関係部分と、あとはアメリカでの実践関係が日本の実務でもひょっとしたらという未来図を感じさせてくれて(でも日本ではディスカバリーはやっぱり導入されないだろうなと、現実には思いますが)刺激的でした。

07.5日で学べて一生使える!プレゼンの教科書 小川仁志 ちくまプリマー新書
 大学教授(哲学)の著者が大学生に対しプレゼンの重要性を説き大学生向けにプレゼンの仕方を指南するという本。
 プレゼンは何か原則、言いたいことをポンと掲げてそれを説得的に論じていくべきなので、演繹法(一般的な原則から敷衍していく)方がいい、自分の言いたいことを一言でいうとどうなるかを考える、それがキーワード、キャッチフレーズになり、それを「少なくとも3回はくりかえす」、主張をしてすぐに理由で補う、ではなぜ○○なのでしょうかと問いかけていったん考えさせるなどを勧めています(49~56ページ)。声(の大きさ)はふだんの3割増し、話すスピードはふだんの3割引(37~40ページ)…ここも大事なところですね。スピードの点、私はいつも抑えが効かないのですが。
 プレゼンでのスピーチの進め方について、初めに話者自身の体験したコアメッセージに直接関連したストーリーを語る、パートのつなぎの部分で前のパートのおさらいをしてさらに次のパートの予告をしてから次のパートに進む、締めくくりには締めくくりとなることを、最終的な考えもしくは例、心に留めておいて欲しいこと(話の要点)、行動を起こそうという呼びかけ、明るい未来への予感の4パターンのうちいずれかで明確に伝えるということを勧めています(167~173ページ)。なるほどですが、帰納法(個別事例から結論を導く)はダメと言ってた(50ページ)のとはどういう関係になるのでしょう…

06.腰痛は座り方が9割 碓田拓磨 主婦の友社
 骨盤を立て、背中をまっすぐというか背骨がS字カーブを維持できるように立てて頭を前掲させない「基本の座り方」(「正しい座り方」という言い方はしないそうです:16ページ)をすることで腰痛を改善するように勧める本。
 ぎっくり腰について、日常的な筋肉疲労があるところに腰に負担をかけることで起きる、「コップの水が縁からこぼれそうになっても、表面張力でなんとか持ちこたえていたところ、もう1滴か2滴の水が加わると途端に破綻して、水があふれ出すようなものです」(30~31ページ)という説明は、なるほどと思いました。実際、そんな強い力をかけてないのになりますもんね。
 「長時間連続して座り続けると、筋肉が集中している下半身の活動が低下するため、血流や筋肉の代謝が低下。肥満や糖尿病、高血圧、心筋梗塞、脳梗塞、がん、認知症などのリスクになるといわれています」(40ページ)と脅かされ、極めつけは「WHOは2012年に『座り続けることは、タバコと同じくらい、健康への害になる (sitting is the New Smoking)』と発表し、長時間座る生活に警鐘を鳴らしています」(40ページ)って…
 著者の言う「基本の座り方」は、写真で見るにはそんなに困難なものとは思えないのですが、「『基本の座り方』は、意識しないとできません。最初のうちは、1分間続けるのがせいいっぱいだったりします」(46ページ)、「姿勢を改善するうえで、とても大事なことは『順番』です」「自転車に乗れない人が、いきなり肩手離しで乗ろうというようなものです」(50ページ)、「『腰痛の改善は、骨盤を立てて座ることから』…と口で言うのは簡単ですが、みなさんが苦労するステップです」「そう言う私ですら、最初は1、2分しかキープできませんでした」(52ページ)とか言われると、初心者には自力でできないように思えてしまいます。写真どおりにやってみても、それは実はできてないってことなんでしょうか。
 他方で、「基本の座り方」ができてもそれを30分以上キープする必要はない、どんなにいい姿勢でも同じ姿勢で座り続けると血流や代謝が悪化することがある、体がきついときは途中で楽な姿勢を取っても構わない(53ページ)という著者の指導には、ホッとします。まぁ、無理しないで少し姿勢をよくするよう気をつけておきましょうということですね。

05.人間であることをやめるな 半藤一利 講談社
 元「週刊文春」「文藝春秋」編集長の著者の雑誌等に掲載された文章を単行本化した一種の遺稿集。
 日清・日露戦争での英雄を讃えつつ、それが日本と日本軍の限界までやった上での成果だったのだから、それ以上に勝ち続けられるという幻想を持たずに冷静に分析し、道義的に国の進む道を決めていけばよかったのにというような思考が根底にあるように見えます。
 タイトルの「人間であることをやめるな」は強烈な印象を残しますが、宮崎駿監督の「風立ちぬ」に寄せたわずか11ページの短い原稿のタイトルです。「明日に光明をもてない、『行き止まり』であればあるほど、物事をきちんと考え、真面目に、自分のなすべきことを困りつつウンウンと唸ってやりつづけながら、君たちは人間であることをやめないで生きなさい、と」(147ページ)宮崎駿は「風立ちぬ」で言っているんだということなんですが、福島原発事故の記憶もまだ新しい時期(2013年夏)に、兵器である戦闘機の開発者が、美しい飛行機を作りたかったというのを「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物」(「風立ちぬ」の企画書の表現)と正当化し、結核患者の妻の前でタバコを吸い続けることに違和感も見せない「風立ちぬ」(映画についての私の感想記事はこちら)について、それが「人間であることをやめない」姿だと言われても、釈然としませんし、そのタイトルに惹かれて読んだ挙げ句に、最後でそのタイトルの意味がそうだったとわかるとちょっとガッカリします。

04.鳥辺野心中 花房観音 コスミック文庫
 祖父と母は高校教師、父は大学教授、兄も教師という教育一家に育ちながらそれを避けて教材販売会社に就職したもののまるでものにならずに半年で退職し父親のコネで京都の女子校の国語教師となった樋口篤郎が、父親がなく母親が死んだ教え子の志水音葉の自宅を訪れて抱きしめ「俺が守る」などと言ったのをきっかけに音葉から好かれ告白されて、このままではまずいことになると音葉を避けて教頭の紹介で小学校教師まり子と見合い結婚したが、子どもを産むことに執着するまり子に辟易していたところに音葉と再会し…という展開の小説。
 主人公の樋口篤郎の小心でダメダメで身勝手な様子にはほとんど共感できません。同僚の女性教師水野の「あなたのような、恵まれているくせに満たされなくていつも寂しい寂しいって母親に捨てられた子どものように泣きそうな心を持ってて、ただ生きてるだけで人を傷つける男の人が、どういう一生を送るのか興味あるもの。苦しんで生きてね。ああ、楽しみ」という言葉(228ページ)が象徴的です。その樋口を終盤で娘が自分は父が好きでしたと述べて正当化するのは、皮肉にさえ思えましたが、重層的多面的な評価なのでしょうか。
 鳥辺野は清水寺南側の平安時代からの葬送地で、この作品では清水寺を中心に産寧坂(三年坂)、二年坂、高台寺、八坂神社あたりが舞台となり度々登場します。京都女子大出身の作者の地理感が発揮されるところでしょう。そのあたりの情景は、京都で学生時代を過ごした者には懐かしく思えました。

03.昔話法廷 Season5 NHK Eテレ昔話法廷制作班編 金の星社
 NHK Eテレの子ども向け番組「昔話法廷」の「桃太郎裁判」を出版したもの。
 桃太郎が「鬼退治」を強盗殺人として起訴されて裁判員裁判で審理され、殺された鬼の妻、おばあさん、犬が証人として尋問され、被告人桃太郎の尋問があり、裁判員が評議するという展開を見せます。
 「何がなんでも長編小説が書きたい!」(02.↓で紹介)で「桃太郎」はテーマも登場人物の役割もろくに考えられていないし、桃太郎が鬼退治をした動機もわからないと批判されていたことからしても、刑事裁判では、桃太郎の動機を明らかにするため、補充する必要があったとは思います。しかし、それにしても、ここで語られる桃太郎の動機は、いくら何でも作りすぎに思えます。「昔話の登場人物が現代の法廷で裁かれる」(表紙見返しと扉にそう書かれています)というのに、桃太郎のお話から想定される範囲を大きく逸脱しては、すでに昔話の桃太郎を裁いているとは言えないんじゃないでしょうか。
 次々と証人が新たな事実を証言し、反対尋問で別の面が暴かれたりして、さまざまなことを考える必要があることを示すという試み自体は、裁判だけじゃなくてあらゆることを通じて考える力と安易な決めつけをしない姿勢を育てることに通じて、いいことだと思います。しかし、「昔話法廷」と名乗る以上は、昔話の内容と登場人物のキャラクターは維持した上で多面的に論じる姿勢を持って欲しいと思います。

02.何がなんでも長編小説が書きたい! 進撃!作家への道! 鈴木輝一郎 河出書房新社
 1年間に作品講評する受講者(要するに受講者中長編小説の原稿を仕上げた人)が35、6人、新人賞の予選を通過するのが毎年20~30人(12~13ページ)という小説講座を開講する著者が、長編小説が書けない、行き詰まる原因を指摘し、叱咤する本。
 登場人物の設定について、あれが決まってないのはこれを考えていないからという指摘がわんさかあります。登場人物の住所が番地や部屋番号まで決まっていなければ「それは、あなたがその登場人物の収入と金銭管理能力と生活哲学を把握していないからです」(118ページ)とか…登場人物のキャラ設定を作り込むことの重要性や、キャラ設定を作り込むことで人物が動いていって書きやすいというのはわかりますが、そこにそこまでの労力を注ぎ込むことが得策なのか、そこで止まってしまうリスクをどう考えるのか。
 「主人公を女子大生にしてしまう失敗。これはけっこうあります。中高年男性の著者が、たいした思い入れもなく主人公を女子大生にするケースは、とてもよくみかけます」(193~194ページ)って。私も中高年男性で、自分のサイトに掲載しているラブコメ仕立ての解雇事件解説小説「その解雇、無効です!」の主人公(視点者、語り手)は、女子大生ではないものの20代後半の女性です。解雇事件の得意なベテラン弁護士のスキルを説明するのにベテラン弁護士自身が説明したら読者にわからないので、新人弁護士の目から見て語らせるため、年齢は若く設定し、ラブコメにするために異性でないと(と言ったらLGBTに配慮がないとか言われかねませんか…)ということで20代後半の女性にしたのですが…
 「桃太郎」はテーマから何からほとんど考えられていない、それに引き換え「カチカチ山」はテーマも登場人物の役割や設定も明確でわかりやすいということと、あれがダメ、これがダメという怒られている印象が残り、他方でこうやれば書ける!という希望が今ひとつ持ちにくいように思いました。

01.即!ビジネスで使える新聞記者式伝わる文章術 白鳥和生 CCCメディアハウス
 新聞記者による文章術の解説書。
 「文章は基本的に『読まれないもの』なのに、多くの人が『読んでもらえる』と思いすぎ」(20ページ)、「文章も『自分が読む立場である場合、それを読みたいか?』を常に考える習慣をつけたい」(21ページ)、「読まれる文章は『導入部が命』です」(31ページ)などは至言というべきでしょう。「最初の基本は『一文に入れる要素は1つに絞る』ということ。結果として『一文は60~100字以内に収める』ことにつながります」(38ページ)とかは…努力したいとは思いますが。
 「ビジネス文章は読み手が誰なのかをきちんと想定し、その人に何を伝えるのかという目的を考えることが第一歩」(23ページ)とされ、その後も同趣旨のことが繰り返されています。それはまったくそのとおりだと思うのですが、この本はビジネスの文章、特に企画・提案書の作成を念頭に書かれた本(5ページ等)だというのに、ビジネスパースンを想定読者とした会議等の資料とする目的の文章の文例(第8章)がみんな新聞記事のような文章です(最後の236ページからの文例は提案が入っているのでようやくビジネス文書に見えますが)。会議資料にするという限り、新聞記事を参考資料にすることも多いと思いますからダメとはいいにくいですが、上司や顧客・取引先との会議・打ち合わせに使うことを目的として作成するのに、こんな文章を作るものでしょうか。読者と文書の目的をきちんと考えて文章を作れといいながらこういう文例を示されると、ちょっと違うんじゃないかと思ってしまいます。

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