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  私の読書日記  2020年4月

18.サンゴの白化 失われるサンゴ礁の海とそのメカニズム 中村崇、山城秀之編著 成山堂書店
 サンゴの生態と、環境変化による「白化」現象の事例と原因等を説明し、サンゴ礁の保全の必要性等を論じた本。
 造礁サンゴの多くは褐虫藻という単細胞の藻類を体内に取り込んで共生し、サンゴは褐虫藻の光合成により酸素と糖類などの有機物を得ることができ、さらには褐虫藻との共生が海水中のカルシウムをサンゴの骨格成分である炭酸カルシウムとして固定しやすくする、つまり造礁を促進する効果がある(22~25ページ)が、水温が高くなりすぎたり太陽光が強くなりすぎると褐虫藻が多くの活性酸素を作り出してそれがサンゴにとって危険なため、サンゴは褐虫藻を体外に放出したり消化してしまって共生を弱め(78~81ページ)、褐虫藻の色素がなくなるために白く見えるようになり、これを「白化」と呼んでいるそうです(64ページ)。水温の上昇や太陽光の強化で褐虫藻の活動度が上がるとサンゴに有害な活性酸素が大量に造られるために共生が維持できなくなるというのですが、そんな微妙な、危うい共生関係が、その共生関係を持ったサンゴを造礁サンゴの大半を占めるほど繁栄させる(そうでない種が淘汰されて滅び去っていく)に足る期間/世代に渡って維持されたというのは、とても不思議に/進化論的な説明として不自然に思えます。そう思って考えてみると、この本では、サンゴと褐虫藻の共生関係がいつ頃から始まったものかの検討はまったくなく、さらにいえばサンゴが地球の年代のいつ頃から生息しているのか、生命樹の中でどこに位置づけられるのか、生物分類の中でDNA等の検討で他のどの種と近縁にあるのか(分類の中での位置は、一応6ページに図はあるのですが、DNA等の検討にはまったく言及もされていません)等の生物学系の書物では今どき必須と言える類いの記述もまったくありません。サンゴについての研究はまだ歴史が浅くわかっていることが少ないのではないかと、素人目には感じられてしまいました。
 サンゴがカラフルな蛍光色を発するのは、白化の過程でのサンゴの防衛なのだという説明もあります(76~78ページ)。水族館等で、カラフルなサンゴを見てうっとりするのは、サンゴにとってストレスフルな状況を私たちが誤解しているのでしょうか。編著者が1998年に慶良間諸島で目にして感動した色鮮やかなサンゴは死にかけた状態だったと後で知ったと書かれています(161ページ)。本当にそうなのか、サンゴがカラフルに見えるときはいつもそうなのかという問いも含めて、私たちのサンゴについての知識はまだまだ少なすぎるのではないかと感じさせられました。

17.成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝 レイ・クロック、ロバート・アンダーソン プレジデント社
 マクドナルドの創業者、レイ・クロックの自伝(ライターが執筆したものと思われます。「共著」者とされているロバート・アンダーソンは「アメリカ在住のライター、ジャーナリスト」とのみ紹介され、生没年さえ不明とされています)。
 さまざまなセールスとピアノ演奏で身を立ててきたレイ・クロックが52歳の時に、マルチミキサー(一度に大量の/同時に6杯のミルクシェイクを作れる機械)のセールスをしていて出会ったマクドナルド兄弟のハンバーガーショップを売れると直感してそのチェーン店化の契約をし、マクドナルドのブランドを巨大な企業にしていく過程を語っています。レイ・クロック自身は、新メニュー開発と不動産開発プロジェクトが、自分が知り尽くしかついちばん好きな分野と述べています(324ページ)が、一般読者が期待するような、ハンバーガーのメニュー開発の苦労話などはほとんど見られず(マクドナルド兄弟がカリフォルニアの砂漠地帯でやっていた方法ではシカゴでフライドポテトがうまくできなかった話(124~125ページ)と自分の好みでフラバーガーを商品化して失敗した話(232ページ)くらいです)、また私たちがマクドナルドというとまず思い起こす製造(調理?)給仕・販売のマニュアルの作成や工夫などはまったく語られていません。他人の作り出したものを事業化した起業家なので、出店、マクドナルド兄弟との関係・確執、オーナーやサプライヤーとの関係、資金と出資の引き出し方、対立し退社した者への評価(非難)、引き入れ任せた人材への評価などが中心です。職人ではない、経営者・社長の視線でのビジネス書として読むべきものです。
 そういった本では、ありがちな展開ですが、もともとこのビジネスを考案して実践していたマクドナルド兄弟に対しては、ビジネスは褒めつつも、向上心がない、自分は狡猾な契約で縛られた、騙された、裏切られたと恨み言を綴っています。この本は、レイ・クロック側の視点で評価したものですから、おそらくはかなりバイアスがかかったもので、もちろん相当な対価を得たとはいえビジネスモデルを横取り/乗っ取られたマクドナルド兄弟の側から見ればかなり違った絵も描けるでしょう。レイ・クロック自身が、「私は競争相手と正々堂々と戦う」(182ページ)という同じ口でというかその言葉の直前に「私が深夜2時に競争相手のゴミ箱を漁って、前日に肉を何箱、パンをどれだけ消費したのか調べたことは一度や二度ではない」と書いています(182ページ)。この人にとって、深夜2時に競合店のゴミ箱を漁ることは「正々堂々と戦う」ことなんですね。読んでいて、本当に驚きました。そういう価値観、自分がやることは正しいという方向にかなり偏向した価値観で書かれたものだということを踏まえて読むことが必要でしょう。
 レイ・クロックの人生・経験、マクドナルドの沿革としても、書きたいところが切れ切れにある感じなので、ちょっと読みにくいです。レイ・クロックの主張を理解し、経営者目線での教訓を読み取るという観点では、ユニクロの社長による「付録2 レイ・クロックの金言、私はこう読む」(356~386ページ)を読むのがわかりやすいです。
 邦題の「成功はゴミ箱の中に」は、本の内容からは引き出せない、かなり無理なタイトルだと思います(原題は GRINDING IT OUT : THE MAKING OF MCDONALDS)。このタイトルに関連するのは、先に指摘したゴミ箱あさりの話で「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。知りたいものは全部転がっている」という言葉があるだけです(182ページ)。こういう内容に関係ないというか、テーマから外れたひと言を拾い上げてこじつけたタイトルを付けて本を売ろうとする姿勢には辟易します。

16.レアメタルの地政学 資源ナショナリズムのゆくえ ギヨーム・ピトロン 原書房
 私たちの生活の基礎となってきている機器・技術、とりわけグリーンテクノロジーとデジタルテクノロジーが特定のレアメタルに依存しているが、その採掘・精錬の過程で甚だしい環境汚染を生じており、アップストリームを含めるととても「エコ」とは言えないこと、その産地が中国を始めとするごく一部の国に偏在しており、産業的にも軍事的にもさまざまなリスクを抱えていることを指摘する本。
 従来の酸化鉄を用いた磁石(フェライト磁石)より遙かに強力なレアアース磁石が開発されて同じ磁力を得るのに100分の1のサイズで可能になったことから軽量化・小型化競争が進み、iPhoneなどさまざまなテクノロジーにおいて、レアメタルは必須のものとなっているが、その採掘・精錬の現場では、有毒物質や放射性物質を含む大量の岩石破砕廃棄物、精錬に使用される大量の水と酸(希硫酸、硝酸など)による汚染が避けられず、クリーンなイメージのハイテクノロジーが、中国やアフリカの環境基準が低く労働力や人命が安い地域の環境汚染に支えられて存在していることが、前半で語られます。そういえば、1980年代にマレーシアで放射能汚染が問題になった三菱化成の子会社も、アジアレアアース(ARE)というレアアースの精錬を行う企業だったということを思い出しました(この本の第2章の注53:238ページにも登場します)。
 製品の製造だけではなく、デジタルツールの使用による環境負荷も指摘されています。電子メールは送信から受信まで「1万5000キロメートルを駆け抜ける」「添付アイテムのついた1本のメールは低消費電力の電球の1時間の使用に相当する」「毎時間、世界中で100億本のメールが送られると『50ギガワット時となり、これは15の原発が1時間に生産する電力に当たる』。中継されるデータを管理し、冷却システムを機能させるために、データセンター1つだけで人口3万人の町が必要とするエネルギーを毎日消費する」のだそうです(51ページ)。
 現代のテクノロジーと私たちの生活は、一見クリーンでありまたクリーンが謳われていても、それは環境負荷/環境汚染が見えない地域に移され/隠されているだけで、虚妄だという指摘ですね。どうすればいいのかは難しく悩ましいところではありますが。
 後半は、現代の産業と社会に必須の資源となったレアメタルの多くを産出する中国がレアメタルのOPECとなって、その価格や輸出量を支配・操作して技術を手中にしハイテク製品の製造工程をも支配し、軍事的にも優位に立つべく立ち回っていることを指摘し、欧米が対抗戦略を持つべきことを論じています。
 なかなかに悩ましい問題提起の多い本です。

15.家族を「争族」から守った遺言書30文例Part2 一般社団法人相続診断協会 日本法令
 一般社団法人相続診断協会という民間団体が独自に認定している「相続診断士」30名が自分が経験した遺言作成事例を、相続診断士に相談して遺言を作成して良かった事例として紹介し、宣伝する本。
 相続診断士というもの自体が、耳慣れない初めて聞くものだったので、何だろうと調べたら、もちろん国家資格ではなく、2011年12月に設立された民間団体がパソコン端末上で随時実施している○×・三択・穴埋め問題の試験で合格すれば、その団体によって認定されるというもので、相続診断協会のサイト掲載の2020年4月24日のプレスリリースでは「合格者4万人突破!」とされていますので8年数か月で、4万名もの相続診断士が量産されているようです(この本の奥付の記載では2019年11月現在3万8500人とされています)。この本の16例目には、お世話になった知人に遺言で遺贈しているものを「寄与分」と書いている(115ページ。遺言の記載が誤っていてその遺言はこの「相続診断士」が関与していないのかも知れませんが、その誤りをまったく正さずに地の文でも「寄与分」と紹介しています)ところがあり驚きました。「寄与分」(相続人の中で相続財産の維持増加に特別の寄与をした者に対してその貢献を評価した取り分。2019年7月1日施行の相続法改正後の「特別寄与料」も親族のみが対象。親族でない知人に対するものは認められていません)の概念も理解しないで相続の専門家であるように名乗っていていいのでしょうか。さらに、27例目では、自筆証書遺言の財産目録をパソコンで作成することを相談者に勧めたと書いています(203ページ)。自筆証書遺言の財産目録をパソコンで作成してもよくなったのは2019年1月13日以降です。それ以前に作成した自筆証書遺言で財産目録をパソコンで打ったものは無効です。このケースは遺言者が「翌年」「亡くなりました」と書かれている(205ページ)ので、遺言作成(少なくとも遺言作成のアドバイス)は2018年かそれ以前です(この本の出版が2019年ですから遺言者の死亡は遅くとも2019年、したがって遺言作成のアドバイスは、その前年である以上、2018年かそれ以前しかあり得ません)。そうすると、この「相続診断士」(「上級相続診断士」だそうです:198ページ)は自筆証書遺言が法的に無効になるようなアドバイスをしたわけで、このケースでは相続人が全員内容に納得していたので事なきを得たのでしょうけれども、遺言作成に関与する者としては大ポカ、明らかで重大な過誤です。それを本に自慢げに書いているのですから、未だに気づいてもいないのでしょう。やはりそういうレベルの人に相続の専門家であるかのように名乗らせてよいのでしょうか。それぞれの事例の最後に「笑顔相続のカギ」と題するまとめがあり、これは相続診断協会の人が書いているとみられます(この本にはそういう紹介もありませんが、さすがに「見事としか言いようがありません」「相続診断士のお手本のような事案です」(182ページ)とか、自分では書かないでしょうから)。それを書いている相続診断協会の人は、「寄与分」も理解していないとか、2019年1月13日より前は財産目録をパソコンで作成したら自筆証書遺言が無効になることも知らなかったとか、こういう相続の専門家にあるまじき記述を読んで問題だと思わなかったのでしょうか。法的な根拠もなく勝手に作った知名度の低い相続診断士なる事業者の団体が、世間にその存在をPRする本という位置づけで読むべきでしょうけれども、それにしてもお粗末に思えます。
 この本の1例目、つまり最初に置かれている事例(2~9ページ)は、1人住まいの相談者が今後寝たきりや認知症になった場合の不安に備えることがテーマとされ、どう見ても遺言そのものではなく、財産管理委任契約や任意後見契約の方に意味があることが明白なのに、そちらの内容も費用もまったく紹介されていません(死後事務委任契約書については、20例目に文例があります(148~151ページ)が、やはり費用についてはまったく説明がありません。葬儀を執り行う等の事務だけでいったいいくら取るのでしょう)。内容も費用も書かずに、相続診断士に相談して対処すれば安心という書きぶりは、広告以上のものではないでしょう。こういうのが最初に置かれているあたりにもこの本の性格がよく表れていると感じられます。
 紹介されている事例の多くで、遺言の内容(条項)自体(その点では平凡な事例が多い)よりも、付言事項として作成された相続人や関係者へのメッセージが、効果を生んだとされています。遺言作成に際して、残された関係者に対する遺言者の思いを記録しておくことの重要性は、今後特に意識し意を用いた方がいいでしょう。そのことはそのとおりだと思います。もっとも、現在では、それを遺言書に文字で残すよりもビデオレターにした方がベターだという気がしますが。

14.eクチコミと消費者行動 情報取得・製品評価プロセスにおけるeクチコミの多様な影響 菊盛真衣 千倉書房
 ウェブ上のクチコミサイトにおいて、正のクチコミと負のクチコミが混在している場合に、負のクチコミの存在やその割合、掲載順序が、閲覧者/消費者の製品評価に対しどのような影響を与えるかについて、著者が行った一連の実験結果をまとめた研究発表の本。
 製品が快楽財(主観的評価が主:「実用財」との比較において)の場合、専門性の高い消費者が属性中心的クチコミ(客観的に評価できる事項:「便益中心的クチコミ」との比較において)を読む場合、クチコミサイトがマーケター(当該製品メーカー・販売元)のサイトの場合には、正のクチコミばかりよりも負のクチコミがあった方が製品の評価が高まる、快楽財の場合と専門性の高い消費者が属性中心的クチコミを読む場合ともに、負のクチコミの影響(製品評価を低下させる力)はそれが最後に掲載されている場合の方が大きい、負のクチコミの影響は探索財(購入前の調査で製品評価が可能)の場合及び製品に精通した消費者の場合は負のクチコミが0から少し増えても(著者の実験では10対0→8対2の範囲では)製品評価への影響は小さい(8対2→6対4では製品評価が大きく低下する)などの各実験の結果を説明した論文が順次並べられています。基本的には各論文とも同じ枠組み同じ手法のものであるため、ほぼ同じ言葉ないしほぼ同じ事項が繰り返し繰り返し書かれており、もちろん論文として正確を期するためにはそれが必要なのでしょうけれども、1冊の本として研究者でない者が読むには、かなり苦痛です。率直に言って、全体を統合しわかりやすさを優先して繰り返しを回避した書き方をすれば、3分の1くらいの厚さで書けると思います。
 著者による研究・実験の部分は、具体的な内容と結果が、統計に詳しくない私には、今ひとつ把握しにくく思えました。
 第4章で、専門性が高い消費者が(製品の)属性中心的クチコミを読む場合に負のクチコミがあった方が「そのページ上のメッセージの質が高いと知覚し」その結果「消費者はクチコミ対象製品に対する好ましい評価を下す」と考えられるとしてそういう仮説を立て(92ページ)、その仮説が実験により裏付けられたとしている(100~102ページ)のですが、注で示されている第4章で用いられた正の属性中心的クチコミの例が「115万色という液晶画面の画質の高さ、本体が19.1mmという薄型ボディの条件を見ると満足です」、負の属性中心的クチコミの例が「液晶画面は115万色とあるが、他社と比べるとさほど高画質とは言えない。売りの19.1mmの薄さも実際に持ってみると重く感じるから良くはないでしょう」(103ページ)と矛盾する内容(評価)になっています。客観的な事項に関するクチコミである属性中心的クチコミについて、「専門性が高い消費者」が、矛盾しているクチコミが併存する方が「そのページのメッセージの質が高い」と評価したというのでしょうか。実験結果に対する著者の解釈に疑問を感じました。そう思って最後まで読むと、著者自身、第10章では、「属性中心的クチコミの正負のばらつきが大きいウェブページを閲覧した消費者は、正しく知覚符号化を行えないクチコミ発信者が発信した属性情報、および、その情報を掲載しているウェブページに関して、信頼性の低いページであるという評価を下し、情報探索の対象とすることを停止してしまうだろう」と書いています(196ページ)。第4章は2014年に発表済みの論文(102ページ)で、第10章は初出の記載がないのでこの本のために近時実験を行ったものと解され、そうすると第4章の記載というか、仮説ないし実験評価に見直すべき点があることがわかったということになるのではないかと思われますが、その点にまったく言及がないのは残念なことです。
 著者の実験は架空のサイトを作成し、クチコミ数がすべて10でその中で負のクチコミの割合(数)を操作して実験を繰り返しているのですが、現実のクチコミサイトでの閲覧を考えると、まずはそのクチコミの中身が数や掲載順以上に影響を持つことが考えられること、現実の閲覧者がどこまでクチコミを読むのかは一定ではないこと、それに影響する要素はさまざまでありまたわからないこと(実験では必ず10のクチコミを読む前提なので、最後に負のクチコミが2つあることの影響が指摘されますが、現実にはそこまで読まないかも知れないしその後さらに読むかも知れない、閲覧者が負のクチコミの、「質」「内容」を置いても、その「割合」に影響を受けているのか「数」に影響を受けているのかも定かではない)など、著者の導いている結論が現実のクチコミサイトに当てはまるかの評価は難しいと思います。
 さらにいえば、クチコミサイトを利用する消費者は、クチコミサイトの掲載/表示順にクチコミを読んでいくのでしょうか。私自身が、この著者の研究の関心と同じく製品購入のためにクチコミサイトを利用する場合、基本的に正のクチコミは読まずに負のクチコミだけ読みます。特定の製品についてチェックする以上、すでにその製品のスペックなり長所は把握済みでそれ自体は購入するに足りると評価しているわけです(そうでなければ、購入するかどうかのチェック段階に達しません)。クチコミサイトで確認したいのは、自分が知らない問題点/欠点がないかです。ですからむしろ悪い評価だけを選んでその内容が自分には大して意味がないポイントなのか、それは困るというポイントなのかにこそ関心があるわけです。ですから、私の感覚では、負のクチコミの割合はあまり気になりません。逆に負のクチコミの割合を気にする人は、総合評価点とかでもう心証が決まって個別のクチコミを読み込まないんじゃないかという気がします。またクチコミサイトといえばまずは思い浮かぶ食べログを利用する場合だと、態度未定でクチコミを見ることが多いですが、この場合は、訪問時期順に並び替えて、最近のクチコミから順に読み、古い時期のクチコミは評価対象外にします。1年も2年も前の評価を見ても参考になりませんから。その場合に終わりの方(古い時期)に負のクチコミが連続してあっても、最近のクチコミでは改善されているならそれで低い評価をすることにはならないでしょう。そういう自分のクチコミサイト利用状況を考えると、学者さんの研究の多くはそういうものですが、あまり現実的ではないように感じてしまいます。

13.海底の支配者 底生生物 清家弘治 中公新書ラクレ
 海底に巣穴を掘ってその中で隠れて生息している底生生物について解説した本。
 よく干潟に生息する生物が海水を濾過しているという話を聞きますが、底生生物の大きさと海・湾の大きさから今ひとつピンときませんでした。この本では、体長数センチ(大きくてもせいぜい10センチ程度)のアナジャコが深さ2メートル以上にも達するの巣穴を掘り、Y字型の巣穴に海水を取り込んでプランクトン等を濾し取り、条件のよい場所だと1平方メートルあたり200匹以上もの高密度で生息している、干潟の地面の下はアナジャコの巣穴だらけ(42~46ページ)とか、著者が2010年に鹿島灘沖約2kmの水深約20メートルの海底に潜水してみたところ、海底はアナジャコ(ナルトアナジャコ)の巣穴だらけであり、穴だらけの状態は岸沿いに数十kmに渡って続いており、1平方メートルあたり最大425匹にも達したこと(93~96ページ。94ページの写真が印象深い)などが書かれており、これを読むと、決してオーバーではなく、海水の濾過(海の清浄化)は砂中の底生生物に担われているのだと感じられます。それだけのアナジャコなどの底生生物を養うほどのプランクトン(の死骸)などが日々海中を沈降して海底に達しているという地球の物質/生物循環の大きさに驚き、そこに大量のマイクロプラスチックが混入し襲ったときにどうなるのか/現にどうなっているのかを考えさせられます。

12.黒い司法 黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う ブライアン・スティーヴンソン 亜紀書房
 ハーバードロースクール出身の、したがって金儲けをしようと思えばそれが可能な地位にあった黒人弁護士が、南部で黒人死刑囚らのために働き、活動している様子を綴ったノンフィクション。
 アメリカでは、1967年になってようやく連邦最高裁が人種間通婚禁止法を無効としたこと、それでも南部ではその後も人種間通婚禁止法が存続し、アラバマ州では1986年時点でも州憲法が「立法府は白人と黒人あるいは黒人の子孫との結婚を認可もしくは合法化するいかなる法律も可決してはならない」と定めていたこと(43ページ)には、唖然とします。1960年代の公民権運動で法的な差別はなくなったのではないのですね。
 著者は、連邦最高裁で、2010年5月に、殺人以外の罪で有罪となった子どもに仮釈放なしの終身刑を科することは許されないという判決を勝ち取り(355~357ページ、388ページ)、さらに2012年6月には、殺人で有罪になった子どもに対して仮釈放なしの終身刑を科することも違憲であるとの判決を勝ち取っています(388~389ページ)。ふつうの弁護士の感覚でいえば、そちらの方が画期的な業績であり、それを中心に据えたくなると思うのですが、著者は、黒人死刑囚ウォルター・マクミリアンの冤罪事件を軸に、この本を書いています。やはり無実の者を救ったということの方が、多数の未成年者への仮釈放なしの終身刑を科せなくしたという影響力としては圧倒的で世間では評価される(司法界以外では悪評の方が強いでしょうけど)ことよりも、弁護士冥利に尽きるということでしょうか。
 高い志を持つ者が、著者のような人権活動や権力と対峙する活動を実行し継続できる背景には、政府自身が公選弁護士事務所(パブリック・ディフェンダー・オフィス)を設立運営し、草の根の運動に対して寄付が集まるというアメリカ社会の体質があります。とんでもなく乱暴で人権を無視した考えを持ち実行する人物・団体が幅をきかせる一方で、そういうカウンター勢力も有力になり得るところがアメリカ社会の面白いところです。

11.ジャーナリズムなき国の、ジャーナリズム論 大石泰彦編著 彩流社
 ジャーナリズムを「世の中の事実(人間の営み)を被治者の視点で観察して、それを整理して問題点を摘示する営み、およびそれを支える理念」と定義し(12ページ。ここでは「被治者の視点で」がポイントになります)、取材の自由が保障されているという状態は「政府などがメディアやジャーナリストの要求に応えて、その保有する情報を開示し説明しなければならない、あるいは、情報を開示できない場合には、その理由について明確に説明しなければならない義務」が政府に課せられていることを意味する(15ページ)とした上で、日本では法的に取材の自由は保障されているとは言えず、「日本における取材は、何らかの自由や権利に基づいて行われている活動ではなく、究極のところ、権力との『折り合い』によって営まれている」とし(21ページ)、「報道機関」はほどよいうるさ方として統治機構の一翼を担い、それを踏み外した記者はパージされている、現在の「日本型ジャーナリズム」の中で本来のジャーナリズムを見いだそうとしても無理がある、現実には日本に取材の自由もジャーナリズムもないことを認識した上で、新たな探査ジャーナリズムの生成やマスコミの衰退の中から生まれてくることを期待するしかないという趣旨の編著者が2018年5月3日に行った講演の問題提起を元に学者・ジャーナリスト(元記者)が論じた本。
 報道機関の報道の大半が行政等による発表の報道で、その実質が政府広報に近いこと、組織の中の記者の大半が権力者との親密な「信頼関係」に基づいて情報を得ようとしていることは、そのとおりだと思いますが、そういう報道も一定の必要性があり、またそういった組織ジャーナリズムの中でも権力の問題点を暴く報道を試みている記者も、多くないとはいえ存在することを考えるとき、あるかないかの2分法的な評価をすべきかには疑問を持ちます。編著者のように「ほどよいうるさ方」に過ぎないと評価することも含めて、現状を現状として評価しておけばいいかと思います。
 組織ジャーナリズムに対して、フリーランスないしは独立・小規模の団体による探査ジャーナリズムの生成については、寄付が根付いていないこの国ではあらゆる領域で権力と闘う/対峙する市民的な運動/団体が活動を拡大することはおろか継続することにさえ苦戦し続けているのを見れば、理念的にはもちろん期待したいところではありますが、現実には厳しいと思います。歴史的な検討では、「編集権」が経営者にあるという宣言、今も日本新聞協会が錦の御旗とする宣言が、労働組合による読売新聞の職場占拠と新聞発行に対抗するものとして出されたこと(143~145ページ)、日本初の産業別全国組織は日本新聞通信放送労働組合(新聞単一)であったこと(59ページ)などは興味を惹かれました。現場の記者・ジャーナリスト個人からの要求と運動があったこと、それを企業経営者が抑圧したこと、それが現在に続いていることを再認識しておくべきでしょう。そして、あらゆる場面で経営者に肩入れするこの国の政府と原則としてそれを容認する裁判所の存在も、厳しい現実として認識せざるを得ません。その上で何ができるかの展望は、例によってなかなか持てないのですが。

10.実践!繁盛立地の判定・分析・売上予測 林原琢磨 同文館出版
 店舗立地コンサルタントの著者が、店舗立地を判定するための要素や評価方法、候補物件に立地した場合の売上予測の方法等について解説した本。
 商圏の規模(来店可能な範囲に居住し、または昼間に流入する人口:どちらを重視するかは店の性質による)、商圏の質(流入する人の目的:通学・就業目的・購買目的、居住する人の属性)、接近容易性(交通アクセス、人が集中する場所の存否、そこからの動線、「入りやすさ」等)、知覚突出性(近隣を通行する人からの見えやすさ:視覚障害物の有無、看板等の設置可能位置等)、土地・建物制約(物件の大きさ、間取り、階層、入り口の入りやすさ、周辺の環境等)、競合制約(周辺の類似店・競合店の影響)などを立地判断上どのように考えるか、改装や看板の設置等の努力と工夫でどこまで改善の余地があるかなどが説明されています。店舗の種類、性格などにより、評価が変わることが強調されています。私の事務所のように、ほぼすべてのお客さんが「目的来店」(「あのお店に行きたい!」という強い意志を持って、多少遠くてもわざわざ来てくれる)の場合、わかりやすい(覚えやすい)立地が重要で、可能ならば誰でも知っている大都市で、目印(ランドマーク)があり、「3つ以内のキーワードでお店の場所を表現できる」のがカギだそうです(24ページ)。
 売上予測についてさまざまな手法を紹介していて、統計データや既存店データを用いて勘やざっくりした計算で評価するもの、エクセル等で処理して相関式を出したり重回帰分析をするものが挙げられていますが、業種、さらにはチェーン毎にチューニングが必要で、そこではやはり一種の勘とセンスが必要になる上、トレンドもあるので評価システムを作っても結局出店毎に微調整したり、2~3年も経てば大幅に見直しをする必要があるとされています。そうですよね。そうでないと、コンサルタントがやり方を具体的に説明して手の内を明かすと商売になりませんからね。私もよく、裁判の手続や実務についてこんなに詳しく書いてしまって大丈夫かと聞かれますけど、弁護士の仕事は個別の事件毎に違う事情や証拠をどう読み評価するか、そこから何ができるかの勝負で、一般論だけで素人や経験不足の同業者がまねできるわけでもないので、全然気になりません。そのあたりの、売上予測の方法(エクセルでの処理の仕方)まで書いても平気な自信に、ちょっと共感しました。
 上司を納得させる売上予測報告書の書き方について、まず結論を書く、地図と写真(人が集合する施設等の位置、人の流れ、競合店の位置などを示した地図、物件の構造や見えやすさがわかる写真)を付ける、プラス点とマイナス点を整理する、比較表(候補物件と既存店・類似店との比較等)を付けるの4項目を挙げています(180ページ)。立地・物件という特殊性はありますが、プレゼンの考え・センスとして参考になります。

09.医療コーディネーターが教えるヤバい医者の見分け方 三田はやと 自由国民社
 医療コーディネーターだという著者が「行ってはいけない病院」を見抜くためのポイントを20列挙した本。
 基本的には、診療や研鑽(最新の医療技術・知識の習得)よりも他の事情、例えば営業(患者集め、提携業者)を優先している医師や、向上心がない医師、薬学の知識(併用禁忌等)がない医師がやり玉に挙げられ、それが表れる指標となる項目を立てていますが、医療業界の知識というよりも単に自分が患者としてこういう医師は嫌だなと言っているだけの項目(キレる医師等)も見られます。
 「医療コーディネーターとして、星の数ほど医療現場を見てきた私」(6ページ)というのですが、それぞれの項目で書かれている情報は、かなり薄いもので、「医療現場のウラを知る医療コーディネーターだからこそ書ける!」(表紙見返し)というほどディープな記述は見られません。たとえば「本当はヤバいクリニック⑤ 眼鏡の医師がレーシックを勧めるクリニック」という項目(65ページ~)では、「視力の低い眼科医のうちで、自らレーシック手術を受けている人は非常に稀であって、多くの人はなぜか眼鏡をかけているという印象があります」(68ページ)という記載があり、これはこれで1つの発見です(「印象があります」レベルですが)。しかし、それが「ヤバい医者」だという根拠は、旧知の眼科医に尋ねてみたら「眼科医の集まりに出ると、確かに眼鏡率が高いよね…。ドクターはさ、レーシックの手術はやりたい…でも自分では受けたくない。そういうことなんじゃないの」と言われた(70~71ページ)という、ただそれだけです。「本当はヤバいクリニック③ 標榜科にムリがあるクリニック」では、「私が長年の経験から得た、標榜科が多過ぎる大盛りラーメン・全部入り型のクリニックの本当の専門分野を見極めるコツを伝授しましょう。その見極めのコツとは、数多く掲げられた標榜科のうち、最初に掲載されているのが最も自信のある診療科である場合が多いというものです。」などと書かれています(56ページ)。それが、長年の経験から得た見極めのコツ、なんですか…。一番目につくところに一番アピールしたい項目を持ってくるのは、基礎知識がまったくない素人が考えてもわかることじゃないでしょうか。こういう記述を業界人でなければ書けない裏事情と言われて素直に感嘆できる読者には、いい本なのでしょうね。
 このレベルの情報を、「本書では、現役医療業界関係者として、医療現場の現在と未来について歯に衣着せぬ内容を徹底的に語り尽くした」(著者プロフィール末尾)なんて書いた挙げ句に、あとがきでは「実はヤバいドクターのお話はまだまだあります。この続きは、また刊行のチャンスをいただけたときにみなさんにお伝えしたいと思います」(185ページ)と続編の予告をしています。私には、出版社が読者を舐めてるなと思えるのですが。

08.すごい物理学講義 カルロ・ロヴェッリ 河出文庫
 「ループ量子重力理論」という量子力学の学説のうち日本ではマイナーな立場(日本では「超ひも理論」が圧倒的にメジャー)の第一人者による宇宙論を中心とした物理学の歴史と先端の解説書。
 すべて(時空間も電磁場も物質も:文字通りこの世に存在するものすべて)が粒子の性質を持つ(非連続の特定の値/スペクトルを持つ)量子で満たされた「量子場」であるという「ループ量子重力理論」(これまでほとんど聞いたことがなかったんですが)の立場から、古代ギリシャのデモクリトスの原子論の偉大さが語られ、キリスト教支配下の停滞・後退を経て、ニュートンとともに、電場・磁場において力を運ぶ/媒介する「ファラデー力線」の提唱を重視し、その後相対性理論と量子力学へとつなぐ物理学の発展を説明する前半は、ポピュラーな説明のようでいながら、デモクリトスとファラデーの重視が目につきます。空間が何もない入れ物ではなく、粒子の性質を持つ量子が詰まっている(というよりも量子の集合体そのものである)という自説へのつながりを導くために特にこの2人の存在を強調しているのだと、後になって気づきます。空間が粒子/量子で満たされているという著者の主張は、かつて光が到達するのに媒質がないということは考えられないとして宇宙空間は物質(エーテル:「銀河鉄道999」の…ではありません/それはメーテル)で満たされているとした今では顧みられなくなった考えとどう違うのでしょうか。その極小の量子(いちばん小さな原子核の10億分の1の10億分の1だそうです:219ページ)で宇宙が満たされている(量子の集合した量子場が宇宙そのものである)としたら、「膨張する宇宙」では、量子が膨張しているのでしょうか(あらゆるものの体積は連続的には変化できず、特定の値/スペクトルを持つとすると、その膨張は非連続に起きるのでしょうか)、それとも量子が増えるのでしょうか。もちろん、ループ量子重力理論の第一人者である著者は当然に答を持っているのでしょうけれども、裏表紙には「これほどわかりやすく、これほど感動的な物理本はなかった」とされている一般向けの本で、読んでいてごくふつうに感じるそういう疑問が解説されていないのは、欲求不満が残ります。
 裏表紙の紹介とは裏腹に、量子力学をめぐる記述は、やはり難解というか、腑に落ちません。量子は他の量子に影響を与えるときしか存在しないという説明(156~158ページ等)は、量子力学の基礎的な前提/概念とされますが、それはやはり「存在しない」のではなく私たちの観察力/観測方法の限界/欠如により認識できないだけなのではないのでしょうか。私が高校生の時、講談社のブルーバックスで相対性理論の解説を読んで感激し、続いて勇んで量子力学の本を読んだら頭がこんがらがって投げ出して以来、量子力学には、いつまで経っても苦手意識とうさんくささを感じ続けています。リチャード・ファインマンが「量子力学を本当に理解している人間は、この世にひとりもいないと言っていいと思う」と言っているという紹介(182ページ)には、ホッとしますが。

07.自由に楽しむ! スナップ写真入門 丹野清志 玄光社MOOK
 コンパクトデジカメで撮るスナップ写真の撮り方、見せ方などについて書いた本。
 基本的には、技術的なことに囚われずに自由に撮りたい時に撮りたい対象を撮りましょうというスタンスです。「街を撮るというより、街で撮りながら自分の気持ちを写真化するための視線で街を歩くということなのです」(76ページ)、「いわゆるフォトジェニックとされるものでなければカメラアイが働かない人は、スナップ写真向きじゃないですね。というより『写真』を理解できないのではないかと思います」(80ページ)という自由な着想、センスが推奨されています。
 人物の撮影に関して、「たとえばその人が仕事をさぼってそこにいた、あるいはカップルがじつは不倫関係だったというようなことであれば、重大問題になってしまいます」(120ページ)、「車のナンバーだけでなく、写されたものが公表されて被写体である人が迷惑を蒙ると思われるシーンは撮らないことです」(127ページ)などと、Q&A形式で諭しています。「スマホによるマナー違反が写真を撮る人すべての問題とされるようになったことから写真愛好家の撮る自由が狭められつつあるのですね」(115ページ)などと、素人がマナーを気にせずに撮るから自分たちプロが迷惑しているというような論調が鼻につきます。もちろん、世の中には自己中な人がいますから、そういう面もありますが、この本にも、被写体の承諾を得て撮ったとはとても考えられない写真で顔が十分に判別できる写真が多数掲載されています。他人に対しては/素人に対しては、被写体が迷惑かも知れないとか写っているカップルが不倫関係だったらどうするなどと講釈を垂れながら、今どきそういう写真を公表できる感覚は、私には理解できません(自分もそういう間違いを犯しているかも知れないから大きなことは言えないが、というのならまだしも)。写真の撮り方については、構えずに自由にやればいいと、緩いスタンスで語る著者が、Chapter3「気持ちよくスナップ写真を撮るために」のQ&Aになると途端に上から目線でマナーの悪い素人をたしなめるというあたりの論調の変化が興ざめでした(被写体のプライバシーとか迷惑の話は、正しいというか、著者の姿勢よりももっと気をつけるべきだと思いますけど)。

06.アール・ヌーヴォーの華 アルフォンス・ミュシャ 堺アルフォンス・ミュシャ館編著 講談社
 アルフォンス・ミュシャの挿絵、リトグラフ、デッサンを中心に、作品とミュシャの画業について解説した本。
 リトグラフに関しては、著名な作品の大半が網羅されていますが、この本で紹介されている作品のほとんどが堺アルフォンス・ミュシャ館の所蔵という点に驚かされます。リトグラフだから多数印刷できるしされたからではありますが、「カメラのドイ」創業者がアルフォンス・ミュシャの作品を買いあさり、世界でも有数のコレクションとなったのが寄贈されて堺アルフォンス・ミュシャ館ができたというのは知りませんでした。
 ミュシャを時代の寵児にしたポスターは、フランスの舞台女優サラ・ベルナールを描き宣伝するものでしたが、当時サラ・ベルナールが50歳になっていたこと、ミュシャの前にポスターを描いていたウジェーヌ・グラッセが写実的に過ぎてサラに嫌われたらしきこと(40~41ページ)などは、「ジスモンダ」(27ページ。未見の方は、是非実物を見て欲しい。ほぼ等身大の大きさ、色使いのセンスの良さなど、ミュシャが圧倒的な支持を受けたことが納得できます)に描かれた麗しいサラから想像しにくい事情です。
 装飾的な表現が特色のミュシャが、自然そのもののデッサンとディテールの重要性を言い、モデルのポーズや衣装のしわに実際との違いがあってはならないと考え、モデルを見ずに絵を描くことはなかった(103ページ)というのも意外でした。
 それほど詳しい長文の説明はないのですが、いろいろと気づかされることの多い本でした。

05.Q&A改正民事執行法の実務 弁護士が知っておくべき改正のポイント 東京弁護士会法友会編 ぎょうせい
 2020年4月1日施行の民事執行法改正の改正点である債務者の財産開示手続の拡充と第三者からの情報取得手続の新設、不動産競売からの暴力団排除、子の引渡の強制執行手続の整備、差押命令の職権取消と差押禁止範囲変更の活性化(債務者への告知等)について、改正の内容と改正の経緯等を解説した本。
 弁護士グループが書いた本なのですが、改正を担当した官僚が書いた解説本のような内容で、改正前の問題点(改正の必要性)と改正の過程での議論の内容(改正の経緯)と改正結果はわかりますが、弁護士であればいちばん知りたい、改正前の実務の実情と現場での工夫、ノウハウ、改正後はそれがどのように変化するのか、改正後はどのような手続で何に注意して何を準備して申立をすればスムーズに手続が進むのか、改正後も注意すべきポイントはどこかといった、本当のノウハウ部分への言及はほとんどありません。サブタイトルの「弁護士が知っておくべき改正のポイント」は、弁護士が知りたいポイントではなく、改正に関与した関係者が弁護士に理解してもらいたいと思うポイントを意味しているかのようです。
 記載内容としても、Q&A形式の「実務本」にありがちですが、通し読みではなくそのQだけを読むという想定で、同じことが何度も繰り返されています。それもそのQが執行事件で弁護士が本当に知りたいQになっているのならいいのですが、これまたこの種の本にありがちなことですが、執筆者側が説明したい項目をQにしているだけで、率直に言えば、Q&Aにしないで通し読みすることを想定した解説本にすれば(重複をなくすことで)半分かそれ以下の厚さにできたと思います(それではブックレットレベルの厚さになってしまうので、あえて無駄にQ&Aにしたのではないかと勘ぐってしまいます)。
 子の引渡の執行をめぐっては、ハーグ条約実施法で手続規定があり、民事執行法には規定がなかったのを今回の改正で整備するにあたり、ハーグ条約実施法に規定がある間接強制前置(直接強制の執行は原則として違反に対する金銭支払を命じる「間接強制」をやってからでないと申し立てられない)、同時存在原則(執行官による強制執行は子が子の引渡を命じられている債務者:通常は片親とともにいる際でないとできない)、執行場所は原則として債務者宅などを、民事執行法改正で採用するか否かが問題となりました。この本では、改正の過程での議論で、民事執行法の場合ハーグ条約の場合(国外に連れ出した子をまずは元の国に戻せ)とは違って、子の引渡を命じる裁判の際に子の福祉・子の利益を裁判所が十分考慮して決定しているから違っていい(ハーグ条約実施法のような制約は不要だ)という意見があったことを度々紹介しています(126ページ、133~134ページ、157ページなど)。ところが、今回の民事執行法改正でハーグ条約実施法と異なる規定をした点について、ハーグ条約実施法もそれに合わせて改正されています(171~176ページ)。そこを通して読むと、ハーグ条約実施法とは条件・利益状況が違うからハーグ条約実施法とは異なる規定でいいんだという議論をてこに、民事執行法を改正し、その民事執行法の規定に合わせてハーグ条約実施法の方も変えてしまったということに読めて、何とも気持ちが悪い、騙されているような狐につままれたようなたちの悪い役人が策を弄したような後味の悪さを感じます。分担執筆している執筆者たちはそういう点に目が向かないのかも知れませんが、もう少し統一感のある説明があってしかるべきだと思います。

04. 小手鞠るい 小学館
 父親の会社の都合でアメリカに赴任する際に同僚だった母親も離職して5歳の娘とともに同道し、3年後に父親が帰国する際に、アメリカに残りジャーナリストになりたいという母親を残して父親とともに帰国した森田窓香が中学2年生になった時、アメリカから1年前に死んだ母のノートが送られてきて、その中に母の思いが綴られているのを読んだ窓香の思考と行動の変化を描いた小説。
 自立を志向し、ジャーナリストを志望して、戦地に赴き、戦争に蹂躙される子どもたちの惨状を綴る母の姿とそれを読む窓香の様子を描く前半は、柔らかめの語り口で中学生に戦争の現実を読ませ、考えさせる趣向で、「岩波ジュニア新書」と見まごう内容です。しかし、母親は、ウガンダ、コソボ、アフガニスタンを取材して回るうちに、体力的にも、そして精神的にも疲弊していき、自分には合わないとして挫折し、コロラド高原に感傷旅行に出てナバホの語り部と出会い物語の創作に自らの活路を見いだしていきます。自立を志向した女性をそのまま自立させずに挫折させ、しかしそれでもいいじゃないと、娘に母の生き方を肯定させるのが、小手鞠流なのでしょう。私は、娘に母の生き様を見せるのならば、母が闘いきりそれを誇りに思う物語の方が読んでいてすがすがしく、子どもに希望を与えやすいと思いますが、現実社会では思い半ばに倒れる方が多く、結果を出せなかったとしても志したこと自体が尊いではないかと讃えた方がいいという価値判断もあっていいということなんでしょう。

03.あの日に消えたエヴァ レミギウシュ・ムルス 小学館文庫
 小学校からの幼なじみで同棲中の恋人にプロポーズした夜に目の前でその恋人を見知らぬ男たちに輪姦され、そのまま恋人は行方不明になり、大学を中退して職を転々としていたヴェルネルが、友人ブリツキからフェイスブックにエヴァの写真が掲載されていたと言われて、エヴァを探し始めるが、フェイスブックの写真はアカウントごと削除され、ブリツキは殺害されて、ヴェルネルはブリツキが見つけた探偵社の支援を得ながら逃走するが…という展開のミステリー。
 解説で「ミステリに『意外な展開』と『騙される快感』を求める読者は、本書を絶対に読み逃してはならない」(506ページ)と書かれているように、意外な展開があり驚かされ(やや違和感を残しながらではありますが)騙されるとは思います。それは、巧いとは思うのですが、結局は、いちばん知りたいと思うところは謎のままに残されてもやっとしたものが残ります。
 女性に対する暴力が、全体を通じてのテーマになっていて、読後感は重苦しい。あぁ騙されたということでスカッとする作品ではありません。女性に対する暴力、大がかりな陰謀、天才ハッカー的な女性の登場という要素は、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』を連想させますが、『ミレニアム』がフェミニズム志向を強く打ち出して闘う女を肯定的に描き、国・行政を陰謀の側に置いてそれを糾弾しているのに対して、この作品は重苦しさと哀しさを基調とし、国はあくまで正しい側に置かれています。『ミレニアム』のような飛び抜けた評価はどちら側からも受けにくいと思いますが、その分、より現実的と評価すべきではありましょう。

02.すしのサイエンス 佐藤秀美監修 誠文堂新光社
 さまざまな鮨ネタの特質や旬、捌き・仕込み方法などを解説した本。
 釜で炊いたご飯は、上部は乾燥気味、下部は上部の飯粒の重みで押しつぶされて扁平になっているので、釜の中で飯粒がしっかりと形を保ちふっくらと仕上がっているのは中部の飯粒だけで、「鮨たかはし」(この本の技術指導をしている職人さんの店)ではそこだけを使うとか(121ページ)。知りませんでしたが、高級店ではそういうことまで気をつかっているんだという感心と、食品廃棄が社会問題になっていても偉いさんが行く店ではそんなこと気にもかけないんだという驚きが半ばします。
 「鮨たかはし」ならではという紹介が多々あり、鮨について知見を深めるというよりも、このお店のPR色が強く感じられます。
 文章はフリーライターに書かせ、学者さんが監修者として名前を出し、技術指導の職人さんの写真が目につきますが、今どき珍しく思えるのですが、写真撮影者のクレジットがありません…あ、よくよく探したら奥付にとても目立たない、ふつう見落とすだろうというレベルの記載がありました(@_@)。鮨の写真が、撮影技術的には問題ないと思うんですが、私には、今ひとつおいしそうに見えません。おいしそうに撮ろうという意欲、執念がないのかなと思うのですが、そこはそういうこの本の制作姿勢が関係しているのかなと思えました。

01.EU離脱 イギリスとヨーロッパの地殻変動 鶴岡路人 ちくま新書
 2016年6月23日のイギリスの国民投票で離脱派が勝利した後、2020年1月末の正式離脱に至るまでのイギリスのEU離脱(Brexit:ブレグジット。Britainとexitを掛け合わせた造語)の経過、主としてその混乱と困惑を解説した本。
 単一市場としてのEUを背景に、EU内でさまざまな例外的処遇(単一通貨ユーロや国境管理の不参加、拠出金での優遇等)を受けつつ、実力以上の影響力を行使してきた(113~114ページ)イギリスが、EUにおいて不遇であり不利益を受けてきたという被害者意識を持って、経済合理性に反するEU離脱を、「主権を取り戻す」などという聞こえのいい幻想的なスローガンに踊らされて決定し、最終的に実行していったことは、まさしく学ぶべき歴史的教訓といえるでしょう。
 ブレグジットの過程で、国民投票の結果を、自己の信念とは逆でも実務的に実現しようとしたテリーザ・メイ首相が進退窮まって辞任した後、威勢の良さを売りに選挙戦を制した強行離脱派のボリス・ジョンソンについて、「ジョンソンは、2016年の国民投票キャンペーンでも2019年の保守党党首選挙でも、根拠のない発言、あるいは明白なウソを繰り返し、メディアからは批判されたものの、それでも勝利したのである」、「指導者の発言の中のウソが判明しても、それが支持率に影響しない構造だともいえる。それは、支持者がそうした指導者に対して発言内容の正確さや品行方正さをそもそも期待していないために起こることである」(84ページ)などと書かれているのは、まさしく今の日本のことのよう。まったく無内容の「日本を取り戻す」なんていうスローガンに踊らされて投票した人が多いことも含め、誠実さのかけらもないポピュリストに踊らされて不合理な選択をした日本は、イギリスの選択を他人事として笑うことはできないというべきでしょう。
 EUがめざす価値体系として「ヨーロッパの生活様式」を挙げ、汚染が少なく持続可能な環境のなかで、安全な食品を口にし、正当な条件のもとで就労することを保証するのがヨーロッパの価値だと紹介しています(244ページ)。より単純化していえば、社会的弱者の権利・自由と平等を重んずるのがEUの方向性、社会的強者の権利・自由と自己責任を重んずるのがアメリカ、特にトランプのアメリカと、それに追随して過去の弱者保護の規制・制度を破壊し続ける安倍政権下の日本と分類できます。イギリスが、ナショナリズムの世論に負けて、EUの価値観からアメリカ的な価値観へとすり寄ろうとすることは大変残念に思えます。

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