庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2020年3月

06.クリムトへの招待 朝日新聞出版
 朝日新聞出版の美術初心者向け入門書のクリムト版。
 この本でクリムトの最高傑作と断言されている(14~17ページ)「接吻」よりも、私が好きな絵の「ダナエ」の解説で、「ダナエの股間近くに描かれた、黒い長方形は男性、金の雨の円は女性を象徴しているといわれます。《接吻》にも見られるように、クリムトはこのような性別の表現を多用しています」と書かれています(95ページ)。「接吻」では、抱き合う男女のともに金色の衣装が境界も定かでなく融合するのを区別するように男性側は黒い長方形等の四角と直線、女性側は円と曲線で表現しています。しかし、「ダナエ」ではそういう描き分けの必要性があるようには見えません。確かに「ダナエ」の股間の左側の空間に配されたちっぽけな黒い長方形は、必然性なく不自然に存在し、あえて白い線で囲ってあることからして、クリムトが何らかの意図を持って書き込んだものと解されます。しかし、「ダナエ」では、金色の雨がゼウスを意味しているのですから、そこにあえてゼウス以外の「男性」を存在させる意味があるでしょうか。また、圧倒的な存在感のあるダナエ自身がいるのに、ゼウスを意味する金色の雨の中に小さな円を多数描いてそれに女性を象徴させる意味があるでしょうか。黒い長方形が男性を意味するというのであれば、「ダナエ」とほぼ同時期に描かれた「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」(絵画競売史上最高額で落札されて一気に有名になった絵)のアデーレの腰周りに6つ、足元に2つ描かれている黒い長方形にも同様の解説をすべきなのではないかと思いますが、そういう言及はありません。ダナエをゼウスに寝取られたダナエに思いを寄せる男を描くのだとしたら、ムンクの「マドンナ」のように脇に描いた方がよいように思えますし、クリムトも主題の人物以外を周囲に配して対比させる手法を、この頃で言えば「希望Ⅱ」(あるいは「希望Ⅰ」や、「水蛇Ⅰ」の魚とか)でも採用しているのですからそうしたんじゃないかと思います。昔から、釈然としない思いを持っています。解説する人は十分に検討して書いてるんでしょうか。

05.老いては夫を従え 柴門ふみ 小学館文庫
 老化をテーマにしたエッセイ集。
 私にとっては、20代前半に「女ともだち」を読んで驚き、その後恋愛の語り手として一世を風靡した柴門ふみが、今や老化を語ることに、時の流れを感じ、3つ年下の自分(些細なことですが、英語の聞き取りを、「リスニング」ではなく「ヒアリング」と書いてしまう:176ページあたり、同世代なのだと思ってしまいます)もまた、老化を言われる時期にいるのだと改めて認識しました。
 「歳をとると、頭で立てた計画の半分も実行できれば上等なのだ。どうやら脳は、衰える肉体のスピードを認識できてないみたいだ。三十代の肉体がこなした仕事量を五十代にも当てはめようとするのは、きっとそのせいだ」(61ページ)というのは、そのとおりだと思います。私も、1日にできる量も、健康なときの疲れのとれ具合も、そして体調が悪くなったときの回復の具合も、数年前とは違ってきていることを実感しています。
 「定年退職した男性の最悪のケースは、企業でそこそこの地位にあった人間だ。他人に上から指示する癖から抜け出せない。しかも会議で発言することが自分の優秀さの証明だと思い込んでいるので、この手の人間がマンション管理組合の理事になったら大変である。問題のないところに無理やり問題を提起し、騒動を大きくして、反対派をやり込めることに全精力をつぎ込む。彼らは自転車置き場で洗車を禁止するといった類いの小さな規約を嬉々として作り上げる」(28~29ページ)というのは、実にリアルですが、ひょっとして実体験でしょうか。私は、マンション関係は専門ではありませんが、近年相談を受けていて、マンション管理組合とマンション住民(の一部)の対立で、どうしてそんなことでそこまで意固地になってるのかと思うことが少なくありません。こういう指摘を見ると、あぁなるほどと膝を打ってしまいます。

04.鉄の門 マーガレット・ミラー 創元推理文庫
 16年前に非業の死を遂げたミルドレッドの夫アンドルー・モローと再婚した隣人ルシールは、先妻ミルドレッドの子マーティンとポリー、アンドルーの妹イーディスとともに暮らしていたが、夫以外とはギクシャクした関係にあったところ、ポリーが婚約者を連れてきた日から事件が続き、ルシールが失踪し…というミステリー。
 それほどひねりやトリックを考えようとはしていない感じで、なんとなく見える方向に淡々と地味に進行していくので、今風のスピーディーで派手な展開とどんでん返しを好む読者には向いていません。心理描写を味わいのんびり読める人が読む手堅い感じの作品かと思います。

03.#柚莉愛とかくれんぼ 真下みこと 講談社
 売れない3人組アイドルグループ「となりの☆SiSTERs」のセンターの青山柚莉愛が、宣伝のために行っているネット動画配信の際に、マネージャーの指示により血を吐いて倒れたと見える演技をしたことから、ファンとアンチのツイートが錯綜し、翌日の配信で柚莉愛がドッキリの演技だったと明かして新曲のCDの発売を発表したため、炎上に至るという設定のミステリー。第61回メフィスト賞受賞作。
 手の届くところにいるアイドルとして、CD等の購入により握手券等を配布してお話や握手等の接触ができることを売りに、売名と利益確保を図るアイドル商法の下で、アイドル間、アイドルとファン、アンチの間の愛憎、思い上がり、錯覚等が描かれています。ファンの側の勘違い、思い上がりの見苦しさが目につきますが、その錯覚をさせることで、そういう人たちをターゲットに商売をしている者の存在を考えると、そう簡単な話でもないように思えます。
 比較的シンプルな構造のミステリーなので、どんでん返し部分を書いてしまうのはよろしくないと思います。しかし、ミステリーとしては、ちょっと反則気味に見えますし、ラストは今ひとつスッキリしない感が残ります。

02.情人 花房観音 幻冬舎文庫
 阪神・淡路大震災の日、母親が若い親戚の男と密会していたことを知り、神戸から逃げるように大学入学とともに京都に移り住んだ笑子のその後の男性関係を描いた官能小説。
 第1章で描かれる阪神・淡路大震災が、母親の不貞を暴き、知人の死と故郷・日常の崩壊・喪失により笑子の思考とその後の人生に大きな影響を与えていることが見て取れ、災害・事件被害が及ぼす影響の深刻さが感じられます。当初は、それがテーマかなとも思えましたが、東日本大震災でも被災した場面は、東京が舞台で被害の程度が大きくないこともありますが、「あれ以上の災害はないと、何の根拠もなく思っていたのは私だけではないだろう。だからまさか、こんなことになるなんて思いもしなかった」(346ページ)と、東日本大震災を阪神・淡路大震災以上の惨事・この世の終わりと書きながら、笑子にとって、この作品にとっての東日本大震災は、爛れたセックスの背景として、東京での人間関係の変化の誘因として用いられているに過ぎません。惨事の現場で経験した阪神・淡路大震災の影響の方が深刻な人も当然いるわけで、それはそれとしてはっきりとそう言えばいいと思うのですが、なんとなくスッキリしないものを感じました。
 笑子の母親に対する蔑みと敵愾心の強さ、兄に対する蔑みと憎しみの強さには驚かされます。別段虐待・暴行をしたわけでもない家族に対してどうしてここまでの悪感情を抱くことができるのか、それも自分の行動を棚に上げて、そこまで思えるのか、私にはとても不思議に思えます。そして、家族だけではなく、他の者に対しても、笑子の視線は、社会活動に対する意識を持ちまた自ら行動しようとする者に対して反発し、蔑むという点で一貫しています。この笑子の、他者を蔑み、社会活動・社会貢献を志す者に対して反発と冷笑を投げ続ける姿勢が、この作品への没入を難しくし、読み苦しく共感を呼ばないものにしているように、私には思えました。

01.労働法実務 労働者側の実践知 君和田伸仁 有斐閣
 労働事件で労働者側の弁護士として訴訟等にどのように臨みどのように対応すべきかということについて、実務的な立場から著者の経験を踏まえて解説した本。
 同じく専ら労働者側で労働事件を取り扱う弁護士として、共感し納得するところの多い本です。裁判のさまざまな場面、特に準備書面の作成と書証提出、尋問の場面で、試みうることのアイディアとともにそれにより得られる可能性がある成果とそれにより逆効果となるリスクがさまざまに指摘されているところに経験豊かな弁護士が書いたものとしての重み、奥行きを感じます。裁判等での弁護士の実務は、通り一遍のマニュアル的な対応ではうまくいかず、それぞれの事案での事実関係、証拠の状態、それまでの展開、裁判官の反応等を踏まえて格別に考えて行う必要があります(ただこなせばいいのではなく勝ちたいのならば)。「勝訴に向けた糸口が容易に見つからない事案では、『逃げて』しまいたくなることもある。しかし、事案が困難であればあるほど、証拠や事実経過を精査して、勝訴に導くストーリーを描き出せるよう、『考え抜く』ことが求められる。」(34ページ)としているのは、至言だと思います。それをもしその勝つことが難しい(つまり労働者側にかなりの問題がある)事件の依頼者から言われたらうんざりしますが。
 解雇事件で裁判官が解雇無効(判決なら労働者側勝訴)の心証を持っているときの和解水準として、地裁段階では「バックペイに、半年ないし1年分程度の賃金相当額を加算する例が多いように思われるが、地裁段階で、3年分程度の水準で和解が成立することもある」、1審勝訴して高裁段階では「バックペイに加え、3~5年分程度の賃金相当額で和解に至る例も珍しくない」と書かれている(212~213ページ)のは、実際は著者のように労働事件の経験豊かでかつ意識の高い弁護士の場合は、と読むべきであり、著者はおそらく他の労働者側の弁護士もこの程度の線で頑張るべきだという思いを込めて書いているのではないかと思います。私は、著者と同様に、勝ち筋の解雇事件で労働者側が合意退職和解でよい(どうしても復職という意向でない)場合はバックペイ+1年分とか、バックペイと関係なく総額で2年分とかは取るべきだと考えて和解に臨んでいますし、1審で4年分以上の賃金相当額で和解した経験もあります(当然、いろいろな有利な事情があったからであって、普通にそんな額が取れるわけではありません)が、まわりで見聞きしていると勝ち筋の事件でもずっと低い額で和解している例が多いように見えます。勝ち筋なのに低い水準で和解する弁護士が多いと裁判官の意識水準も下がりがちになるので、労働者側の弁護士が全体として意識を向上させなければ、という思いは私も日頃感じており、著者もたぶん同じ気持ちを持っているのではないかと思うのです。
 1冊で、労働事件全体を解説しており、特に解雇事件、残業代請求、労働条件の切り下げについては、相当に高い水準の解説がなされていて、弁護士が労働事件の実務を学ぶためにはとてもいい本としておすすめできます(私が編集代表を務めた「労働事件ハンドブック」2018年版 第二東京弁護士会労働問題検討委員会編 労働開発研究会 に匹敵するものと評価します)。

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