私の読書日記  2011年4月

14.篝火草 海野碧 光文社
 脱サラして家業の園芸会社を継いだ元保険会社調査員が、元妻の睡眠剤過剰摂取による死亡に不審を持った父親に頼まれて元妻の死亡前の暮らしを調査するうちに度々襲撃を受け、探偵事務所を構えた元先輩の調査員とともに事件の真相に迫っていくサスペンス小説。元妻がボランティアとして通っていたNPO法人に絡んで、児童虐待に絡む話題を諸処にちりばめており、童謡と詩をキーワードにした布石と謎解きが読みどころとなっています。しかし、私が弁護士であるからかも知れませんが、ストーリーの設定と進行には、少年犯罪の過去を持つ者と、前科者や非行少年の更生に携わる刑事事件・少年事件の弁護人に対する反感というか根強い偏見を感じます。弁護士に対する世間の目というのはこういうものかなと、改めて哀しく思いました。

13.五感集 浅暮三文 講談社
 神戸大空襲の夜に神戸の娼館で地下室に厳重に監禁されていた娼婦が地下室を抜け出し、その後2階の客室でバラバラ死体が発見されたという設定のミステリー。ただ1人の娼婦を地下室に閉じ込めて管理売春を続ける老婆と当日訪れた客3人だけがいた娼館での一種の密室殺人ミステリーを、嗅覚、味覚、視覚、聴覚、触覚のタイトルをふった5章立てで、各別の登場人物の語り・視点で振り返っていく構成です。書き下ろしの第4章、第5章で主語が錯綜しだれの語りか見えにくくなりますが、それも作者の意図の範囲で、最終段階ではなるほどとは思えます。しかし、筋立ても設定もそして語りも陰惨な印象があり、謎解きとしてはきちんと説明されて無事に布石は回収されているのですが、読み終えてもスッキリ感はありませんでした。

12.エッチのまわりにあるもの 保健室の社会学 すぎむらなおみ 解放出版社
 養護教諭の著者が高校の保健室で経験したことを元に、生徒たちの性の悩み、妊娠・性行為感染症と避妊、同性愛、ブラジル人女生徒の日本の性分化への対応、セクシュアル・ハラスメント、ドメスティック・バイオレンス、レイプ、援助交際などについて語った本。著者の姿勢は、性について「正しい」あり方があるのではなく、話し合っていくことが大切というところにあります。そのため読んで強い主張やすっきりとわかるという感じは持ちにくい。そして、著者自身、加害者を糾弾することで問題は解決しないと考えて身近でソフトな部分から考えていこうという実践を繰り返しながら、セクシュアル・ハラスメントの授業では、男生徒の反省を勝ち取れず女生徒からは生ぬるいと失望されという経験を苦い思いで語ったり、ドメスティック・バイオレンスやレイプの場面では中立的立場で相談に応じるということは加害者側に立ってしまうとして被害者の味方になることが必要と述べたりしています。それは問題の深刻さに対応するのかも知れませんし、書いた時期の違いによるのかも知れません(初出を見ると執筆時期は2003年から2007年にわたっていますから)が、通して読むと著者の姿勢の揺れと感じられます。ただ、著者の姿勢からすれば、試行錯誤しながらケースごとに最善の解決を話し合っていくことが必要で、一貫した姿勢を持つこと自体が適切と言えないという考えもありだとは言えますが。

11.現場マネジャーのためのパワハラいじめ対策ガイド 石井輝久編著 日経BP社
 パワハラ・いじめについての概念や基礎知識と会社側からの防止・対応策について紹介した本。弁護士の目から見ると、第1章の基礎知識、第3章の事後対応、第4章の防止策は抽象的な一般論でごく入門編的なものなのに対して、第2章の事例が内容的にも分量的にも圧倒的で、これと巻末付録のコンパクトにまとめた裁判例リストが便利です。弁護士が書く本にありがちではありますが、その第2章の具体的な事例は、ほぼ全部現実の裁判例の事案のようです。だからこそリアリティがあるのですが、同時に読者にとってそれがよくあると感じられるか、自分が知りたいと思えるケースかという点ではどうかなという気がします。そして、弁護士の目から見ると、パワハラ・いじめについて裁判になった場合にどうなるかについては実際のところ予測が難しい、どちらにも転びうるいわばグレイゾーンがかなり幅広くあるように思えるのですが、そういう部分についてこの本は基本的に「パワハラに該当しうる」つまり裁判所によって違法と判断され損害賠償責任が認められ得るという方向で書いています。それは、この本のタイトルにあるように、この本がもっぱら使用者側の弁護士が使用者側に安全に(裁判で負けるリスクを取らせないように)アドバイスすることを目的としているからです。こういう部分について、弁護士会での研修や会議での発言を聞いていても、使用者側の弁護士は使用者側が負ける危険があるということを重視し、労働者側の弁護士は労働者側が勝てるとは限らないことを重視しがちです。要するにどちら側も「実はわからない」と言っているのですが、それが使用者側の弁護士の口から出るとき(使用者側にアドバイスするとき)は損害賠償が認められ得るという表現になるのです。こういう本を読んで、自分のケースでも損害賠償が認められるものと判断した労働者が相談に来て、労働者側の弁護士が困ったり、難しいと思うと答えて相談者が怒ったりということがままあり、労働者側の弁護士としてはなんだかなぁと思ったりします。ところで、この本でパワハラを受ける自分自身もやや問題を抱える社員は、すべて田中さんと山田さんですけど、西村あさひ法律事務所では、田中さんと山田さんが恨まれてるんでしょうか。

10.太陽系大紀行 野本陽代 岩波新書
 太陽系の惑星・衛星・小惑星・彗星探査の歴史と探査の結果わかった惑星や衛星についての知見を紹介した本。惑星探査をめぐる、各国の政治と技術をめぐる紹介が、時代を追って書かれていて、おじさんには過去の記憶ともフィットして懐かしく読めました。華々しい有人飛行一番乗り競争とマスコミの報道の陰で、当時は地味にしか扱われなかった無人探査機によるサンプル採取と帰還が、実は惑星探査にとっては遥かに画期的な成果だったという下りは感慨深く思えます。同じく木星の衛星のイオは活発な火山活動が続き、エウロパは氷の世界とか、木星の衛星はいまや63個、土星の衛星は64個とか、土星の極地方では激しい嵐が吹き荒れ地球の100万倍も強い(って何を基準に測るんだろ)雷が走る(173ページ)とか、子どもの頃に得た知識とは様変わりした話にも興味を惹かれました。

09.マキリ 安達千夏 講談社
 故郷を離れ裏家業に生きる四〇男騎寅が、襲ってきた通り魔を夢中で返り討ちにしたが、その日から自分の肉体が腐敗し続けるように自分には見えることの恐怖と殺人事件の捜査から逃げようと故郷に舞い戻り、鍛冶屋を継いだ父の妻となっていた元カノの竜子と再会し、逢瀬を重ねながら、消息不明の父や裏の氷室に隠されていると言われる即身仏をめぐる事件に巻き込まれていくという小説。家族とのしがらみから思いを持ちながら別れた男女の別れとその後の重ねた齢と再会の微妙な愛情と切なさと苦渋と諦念が一番の読みどころとなっています。別れの思い出と再会をめぐる思いの複雑さは、竜子の側で重く渦巻くように描かれ、騎寅の側では、元カノが父の妻となっていたという事情への葛藤はあるものの、そのような展開にしてはあまりにも単純な感じ。男って単純、なのかなぁ。作者が女性で竜子の側の視点で書いているからかも知れませんが。騎寅が自分の体が腐敗していくように見えるという設定、即身仏、イザナギ・イザナミの神話といった道具立てがおどろおどろしい雰囲気を作っていますが、そっちは竜子の強さ・図太さのイメージを引き立てる役割としてはわかるけど、という程度に読んでおくところかなと感じました。

08.終電へ三〇歩 赤川次郎 中央公論新社
 リストラされた会社員柴田秀直が飲んだ帰りに上司の永井絢子と常務の黒田昭平の不倫の現場を目撃し永井に詰め寄ろうとしていると、そこへ父親同士が元同僚ながら今は会社社長とリストラされた立場で対立する高校生カップルの常田治と三神彩が駆け落ちしてきたものの行き場なくさまようのと行き会わせ、DV夫に疲れて元同僚と飲んでいた安田圭子が終電間際になり終電が動かないところで声をかけられたバツイチサラリーマン本多と一夜の関係を結び、置いてきた娘が虐待されているのではと不安になってDV夫が待つはずのマンションに帰るが・・・という2列のストーリーに関係者が順次絡み合っていく群像型のコメディ。道ならぬ恋というか関係をめぐる愛憎がテーマといえばテーマのように思えますが、基本的には因果はめぐる的な流れの行き先を楽しみ読み流す読み物だと思います。大人たちは基本的に疲れた開き直るか投げやりか自分勝手な人物に描かれているからとも言えますが、登場する4人の高校生、特に端役ですが香月杏がすがすがしくりりしく感じられます。「婦人公論」(月2回刊)連載だそうですが、主人公が定まらない登場人物も非常に多いこういう作品を雑誌連載で読み続けられる人って・・・私には想像しにくい。

07.存在の美しい哀しみ 小池真理子 文藝春秋
 55歳で癌で死に行く母奈緒子から異父兄がプラハにいることを知らされた28歳の後藤榛名、その異父兄の芹沢聡、奈緒子と夫の信彦、奈緒子に淡い感情を持つ職場ですれ違った青年、信彦と一夜の関係を交わした職場の後輩、聡の父芹沢喬と後妻史恵、聡の妹恵理らのそれぞれのほろ苦く切ない愛と挫折を描いた短編連作。それぞれにどこか挫折や屈折した思いが書かれていますが、夫の単身赴任中に元の職場の先輩と関係して榛名を身籠もり離婚を言い渡されて聡の親権を奪われた奈緒子の行動は苦渋の思い出でありながら肯定的に描かれ、奈緒子に淡い思いを寄せる26歳年下の青年や、夫が奈緒子の不治の病に絶望し一夜の関係を結んだもののその相手の恋は実らず(夫は奈緒子への思いを断ち切れず)、奈緒子を追い出した元の夫は不幸な夫婦生活を送り・・・と、作者がきっちり自分と年齢を合わせた(1977年のダッカ事件の時25歳って:110ページ)奈緒子に都合がいいようにストーリーが展開しています。そのあたり、ちょっとなぁという思いが残りますが、様々なシチュエーションでの恋心を抱き、あるいは冷めかけた男女のやりとりが微妙に描き分けられているのが、しみじみと読めました。

06.明日の空 貫井徳郎 集英社
 高校3年生の春から日本の高校に転校してきた帰国子女の真辺栄美が、ハンサムで背が高く成績もよくスポーツもできる飛鳥部、クラスでハブられている小金井志郎らと過ごす学園生活を描いた青春ミステリー。栄美と飛鳥部の美男美女人気者カップルが何者かに度々デートを邪魔され、そのうちに飛鳥部が受験を理由に栄美から離れていき栄美の傷心で終わるPART1のあと、六本木で外人相手のガイドでチップを稼ぐ大学生ユージとユージに声をかけてきた黒人アンディの友情物語のPART2が続き、大学に進学した栄美が友人や謎の学生山崎と絡むPART3で終わる3部構成になっています。PART1からPART2に進むところで話が断絶して頭をひねりながら読むことになりますが、これがPART3への布石となっていて、PART3で布石はきれいに回収されていきます。そのあたりの構成は、あざとさが目に付きますが、一応見事と言っておきましょう。PART2のPART1との連続性を読者に意識させないことが作者にとって大事だというのは振り返ってみればわかりますが、ややアンフェア感が残ります。差別をはじめ、この社会のいやなことはいつかはいい方に変わっていく、そのことを信じて、「明日は晴れだ」と思う、タイトルに込められたメッセージは、すがすがしい。

05.モリオ 荻上直子 光文社
 映画監督の著者の第一小説集だそうです。表題作は2010年公開の著者の監督作品映画「トイレット」に登場する引きこもりの青年モーリーの元になったストーリーで、映画でも母親のミシンの下にこもるのが好きだった少年時代とそのミシンを発掘してスカートを縫いはじめ、スカートをはきスカートをはく自分を肯定することで前向きになっていく姿が描かれています。もう1作の「エウとシャチョウ」でもアルバイトをしてはクビになり続ける「使えないやつ」の青年エウが猫のお相手役という仕事を得て前向きになっていく姿が描かれています。どちらの作品も引っ込み思案で社会性に乏しい青年が主人公の形なのですが、ちょっと変わった感性の、というか物怖じしない女性が主人公の背中を押しています。「モリオ」で「一緒にスカートを穿いて、デートしよう」と提案する小学生、「エウとシャチョウ」で自分の両手の小指の長さが違うとずっと見比べている初対面のエウに対して「もしかしたら、あなた、睾丸も左より右のほうが大きいのかしら?」と尋ねる耳鼻科医のヨーコさん。この女性のキャラがぼんやり気味の流れをちょっと締めているようでいい感じです。

04.ピスタチオ 梨木香歩 筑摩書房
 井の頭公園の池の畔に住むライターがかつてケニアで知り合った死んだ民俗学者の足跡を追って呪術医をめぐるうちに神秘的な体験に巻き込まれていくというストーリーの小説。身の丈に合わせて仕事をしてそこそこの収入があればという生活をし、研究者の彼と結婚も同居もせずに交際を続ける、前線の通過を体感して頭痛に苦しむ環境への意識はあるが「環境保護運動」にも違和感を持ち自然を畏れ親しむ心性を尊ぶ(思い切り頭の重い修飾節・・・)ライターの棚が、飼い犬の腹部に現れた瘤を通じて動物への思いと西洋医学への嫌悪を募らせる前半は、緩めのエコ意識と緩めの人間関係を志向する市民感覚で読めます。これが、観光ガイドの執筆の仕事でウガンダに行くことになり、そこでかつて知り合った民俗学者の足跡を追うという展開に転じてゆく後半は、アフリカの部族の習俗から現代・都会人が失った感覚と先人の知恵を見いだしていくというレベルでは続いて読めるのですが、それを超えた呪術的な神秘体験に突っ込んでいくあたり、私にはちょっとついて行けない感じがしました。もちろん、エッセイと小説では使い分けられているのですが、著者の自然を感じ取り表現するエッセイのセンスに共感を持つ私としては、そっちへ行かれるとちょっと怖いなと思ってしまいます。

03.USTREAMがメディアを変える 小寺信良 ちくま新書
 インターネットを使った生放送システムユーストリームの特徴と現状について解説した本。ブログが文字と画像による個人の発信を自由化したように、ユーストリームが放送の形での個人の発信を自由化しつつある状況がわかります。私自身、福島第一原発の事故後の原子力資料情報室のユーストリーム中継を見て、初めてそのことを実感したのですが、放送枠(時間)の制限やスポンサーなどの各種の制約から既存のメディアが放映できない詳細な解説や主張といった、建前発言やお茶を濁す発言でないことをきちんと時間をかけても知りたい人々のニーズを捉えうる有効なメディアとなり得るし、すでにそうなってきているのだと思います。ユーストリームの弱点だった視聴者への告知(集客)と個人が発信しうる故の無法化の危険が、ツイッターとの連動により改善されてきているという説明には、なるほどと感じました。中継中に番組を見つけた人がツイッターでリンク付きで紹介することで比較的同じ志向を持つフォロワーに有効に周知されていくし、中継視聴者にリアルタイムでツイートが読めるためあまりひどい中継にはリアルタイムで発信者にも視聴者にも批判が認識されてコンテンツが是正されていくことが期待されるというわけ。元テレビ番組制作の現場にいた著者が、テレビの衰退とユーストリームによるテレビの緩慢な死を語る下りにも説得力があります。番組制作費の削減とともにバラエティ番組での「ひっぱる」手法への不快感、そして厳しすぎるコピー制限がテレビ視聴を減らしたことが指摘されています。「無料放送にまでコピー制限をかけるというバカな国は、世界広しと言えども日本だけである」(179ページ)、アナログ放送時代にはポータブルプレイヤーや携帯、パソコンなどの別のデバイスにコピーして見ることができたテレビ番組が2003年からの規制でそれができなくなり、この間にテレビ番組を別のデバイスにコピーして見るという文化は壊滅状態になった、ここでテレビを離れた人々がユーストリームを支えているというのです。昨今、著作者というよりも著作権ビジネスで儲けている人々の保護に偏っている著作権法制と裁判所の判断にうんざり気味の私としては、ちょっと小気味いい話。現実にユーストリーム中継を見ても実感する、放送というもの自体が持つ実時間性(1時間の番組を見るのには1時間かかってしまうこと)と検索性のなさという弱点の克服のために、今のところボランティアによる書き起こしサービスに頼らざるを得ないというあたりの限界が指摘されていますが、乗り越えて発展して欲しいと思います。

01.02.ユダ 上下 立花胡桃 祥伝社
 サブタイトルの「伝説のキャバ嬢『胡桃』、掟破りの8年間」が示すように大宮、歌舞伎町、六本木のキャバクラでナンバー1だったキャバクラ嬢の自伝。客に気を持たせて引っ張るだけ引っ張り金を使わせて行き、どの店でもナンバー1になって行った話が延々とつづられています。会社の経営者やボンボンがその気にさせられて何千万と使っていく様子は、男の性というか哀れを感じるというか。キャバ嬢の営業に嵌るタイプは「気が弱い、人見知り、結婚適齢期、友達が少ない経験人数が少ない、時間がある、ルックスに自信がないもしくは自意識過剰、見栄っ張り」(下巻119ページ)だとか。ストーリーとしては、高校時代に恋人に妊娠を告げたら中絶を求められたあげくに捨てられたことに恨みを持ち男への復讐としてキャバクラ嬢となって男から金を吸い上げるというモチベーションが語られていますが、相手の男がちょっとジコチュウで未熟だったというレベルでそこまで男一般への復讐と思い込めるものかなと疑問と恐ろしさを感じます。そしてその復讐を求める自分と寂しさに耐えられず恋人を求める自分の2重人格的なありようが顔を出し、ナンバー1の誇りを強調する傍ら、つまらない男と暮らし続け、客とも気を持たせて引っ張る客もいればあっさり枕をともにする客もあり、あまり一貫したポリシーは見えません。自伝だから仕方ないですが、読み物としてはすっきりしない感じです。だまし合う関係での女と男の心理と行動という面でちょっと参考になるというところでしょうか。

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