私の読書日記  2011年1月

15.ジョシカク! 黒野伸一 光文社
 売れないバンドのボーカルを務める高校の同級生を追っかけて東京に行くために売れないグラドルとなってジョシカク(女子総合格闘技)のラウンドガールをしている浅田美麗が、所属事務所から1月で7キロのダイエットを命じられてジョシカクのスクールに通ううちに才能を見いだされ、事務所の命令でラウンドガール兼選手としてデビューさせられるというコメディ系スポーツ根性もの小説。ジコチュウのグータラ男に入れあげ、場末のキャバクラでアルバイトしながら、グラドルとしては鳴かず飛ばずという主人公のキャラで、コミカルなタッチで読ませています。そういうパターンにありがちなように、これまで格闘技の経験ゼロの素人が天才的な素質を持っており、わずかな練習でぐんぐん伸びるという、荒唐無稽な展開。まぁコメディで書くにはそれしかないんでしょうけど。ジョシカクの女王無敗神話と秒殺の井上比呂子が、最初は主人公っぽく出てくるんですが、すぐ浅田美麗が軸になってそのまま展開するのは、連載の途中で気が変わったからでしょうか。

14.清遊 領家子 実業之日本社
 51歳の音楽評論家溝口恭平と駆け落ちした19歳の和装の少女さよの4年にわたる爛れた性生活の後の恭平が脳梗塞に倒れキーボードでしか意思を表現できなくなった3年間の生活を中心に、信州の山中でのエコライフとエコライフグッズの販売を楽しむさよの父母、戦前からの恭平の祖先たちとのつながりのドラマを描いた小説。26歳になったさよの視点とボーイハントに始まる冒頭は、愛する人の介護を抱えたさよのドラマかと感じさせますが、その後の展開は、妻を失った後失意の日々を送っていた恭平が妻に生き写しのさよを侍らせることで復活して仕事もうまく行き、しかしさよの変調で2人だけの生活をするが、罰が当たったのか脳梗塞に倒れてリハビリに励みつつ、離れず介護を続けてくれるさよに送る慈愛の目線・・・という感じです。冒頭にさよにハントされた近所の学生素示は本人の自意識とは別に道具的な存在ですが、でも、確かにもう体も言うことを聞かないし50代でさよの若い時期を費やさせたという思いはあるとしても、思い人が若い男と肉体関係を持つことについてそうあっさり微笑んでいられるものかなぁ。

13.この世は二人組ではできあがらない 山崎ナオコーラ 新潮社
 大学を出てアルバイトや契約社員をしながら小説家を目指す墨田栞が、大学の1年先輩の紙川と同棲したり離れて資金援助したりしながら、男女のありようと生き方について思索を続ける小説。日付で区切られてはいませんが、日記をつなげたような文体で綴られています。主人公の設定が生年、大学、新人賞受賞時期などおおかた作者と重ねられていて、作者が日々感じてきた男女関係と女性の生き方についての思いを綴っているのかなと感じられます。タイトルにも見られるように男女でセットの人生を求める周囲、特に男が経済的に自立して女をリードしなければ、女は男を立てなければという社会の規範というか圧力に対する作者の違和感・反発が随所に見られます。「女のことを、性的な存在になってからが大人だ、と捉えているのではないだろうか。男のことは、性に関係なく、社会的に有能になってからが大人だと捉えているのに。」「女だって、セックスで大人になるんじゃない。社会でのし上がって大人になるんだよ。」(46ページ)とか、「『泣いてはいけない』という社会通念は、男社会だった頃のただの名残ではないだろうか。現代においては、男っぽく仕事をする必要なんてない。泣かれて動揺する方が悪い。泣く方は、何も動揺させるために泣いているのではないのだから。相手が動揺するから、『泣くな』、社会的な場所では、『感情を出すな』というそれは、肌を見せられると劣情を起こしてしまうから、『ベールを被れ』という論理と、同じではないか。」(50ページ)とか。ちゃらんぽらんな性格で栞から資金援助を受けて返せない/返さないのに、男としての見栄を張る紙川を、少し距離を置いて眺める栞の視線が、全体を貫く中、こういった栞の言葉がちりばめられて、メッセージ性が強くなっています。そのテーマの中で中心的なメッセージとも思われ、私が一番気に入った栞のつぶやき:「人はひとりで完全だ。だからベターハーフなんて探していない。価値はひとりの人間に十分ある。」「人と人とは、関係がない。誰も、誰かから必要とされていない。必要性がないのに、その人がそこにいるだけで嬉しくなってしまうのが、愛なのではないか。」(106〜107ページ)。現実にはいろいろと難しいけれど、憧れと青春時代へのノスタルジーも込めて噛みしめました。

12.年下の彼 小手鞠るい 河出書房新社
 結婚寸前だった同僚慎司から部下に手を出して妊娠させたと別れを切り出されたトラウマで会社も辞めて転職し、2度と恋などしないと決意していた山内友香37歳が、旅先のロンドンで出会った9歳年下の青年渡壁順哉に一目惚れし、帰国後に再会して紆余曲折する恋愛小説。それぞれの過去のトラウマと、誤解、友香の9歳年上ということへのコンプレックスというか僻み・卑下を障害に、これを乗り越えていく過程が読みどころです。アラフォーの恋が、それでもこの作者の手にかかると初々しくほほえましくも切なく描かれ、ちょっとときめきます。デートの待ち合わせ場所は、誤解のないように確認しましょう・・・と再認識しますね。でも、別れを覆そうと最後に一緒に泊まってくれたら爽やかに別れるというりえ子はともかく、相手に言わないで心に決めておきながらHしてから別れを切り出す慎司、ずるいよね。そうされた方はやはり哀しいと思う。友香のように「ついさっき、私を抱いたということが、犯罪だと思った」とまで感じるかどうかはさておき。

11.津波災害 河田惠昭 岩波新書
 津波災害についての啓発書。2010年2月27日のチリ沖地震津波で日本で168万人に対して避難指示・避難勧告が出されたのに避難した人はその3.8%に過ぎなかったことにショックを受けて書かれたそうです(まえがき)。津波というと高い波がやってくるというイメージですが、広い海を伝播する過程ではせいぜい高さ1メートルくらいで、水深が浅くなって海面は高くなるものの見渡す限りの海面全体が音もなくすうっと高くなるので見てわかりにくく、実態は速い流れと捉えるべきだそうです。津波の話では波高ばかりが重視されがちですが、仮に砂浜にいて高さ50センチの津波が来たとしても立っていることはできず転倒して巻き込まれ砂浜を引きずられて全身大やけど、防波堤の高さが津波の波高以上あっても岸壁で津波のエネルギーが位置エネルギーに変換されて高くなって乗り越えられるし、そもそも防波堤は津波を想定して設計されていないから破壊されるかも知れないというようなことが冒頭で指摘されています。さらに言えば、近地津波ならば地震で防波堤や道路が破壊され、石油タンクが破壊されて火災が発生し、そこに津波が来て大規模な浸水被害と火災の拡大という事態も考えられます。そして、津波では必ずしも第1波がもっとも波高が高いとは限らず地震津波の想定計算でも東南海地震の尾鷲の場合は第2波が、南海地震では第3波がもっとも波高が高くなるし、海底地形による屈折(レンズ効果)や対岸・島との反射波などによってどの時点でどのような津波が来るかが変化し、避難後もすぐに戻ると危険で、避難場所で6時間程度は待機すべきと著者は述べています。そして、避難勧告のシステムも行政の判断で遅れたり出されないリスクがあり住民も待ちの姿勢になりがちという問題があるので、立っていられないような地震があり1分以上揺れが続いたときは津波がくると考えてすぐに避難を開始すべきだと、著者は勧めています。津波について漠然と持っていたイメージに誤解が多いことを認識させられる本です。

10.スケッチのきほん 山田雅夫 日本実業出版社
 鉛筆でのスケッチの基本について解説した本。お手本と別に、初心者にありがちなミスについて改善点を指摘した添削例を付けているところが売りになっています。スケッチが上達するためにフリーハンドで楕円がきれいに描けるように練習することを強調していたり、直線も右下がりの直線は描きにくいとか、遠近法では消失点と補助線よりも台形からの作図を練習した方がいいというような指摘は目からうろこ感があります。紙数の関係で省いているのでしょうけど、添削例で遠近法関係で遠くの人物の位置が次第に上にずれてしまっていることの指摘(109ページ)は坂道と遠近法の説明もあった方がいいと思いました。また、43ページの電車のスケッチは添削例の方がお手本よりいいと私は思います。

09.グルメの嘘 友里征耶 新潮新書
 マスコミに露出する高額店やグルメガイドの構造的な虚像を指摘する本。料理店は1人の料理人が調理できる量に限界があり、食材の価格もある程度客から見えるので原価率を一定以上に下げるわけにも行かず、真っ当にやればそれほど儲からない。儲けようとすれば客に原価率が読めない酒(特にワイン)を高値で出すかレシピだけ渡して別の料理人に調理させる支店を次々出すか(あるいはデパ地下でお総菜をがんがん売るか)ということになる。グルメライターは、特に高額店の取材には飲食代金だけで高額になり、しかも批判的な記事は店に嫌われて協力が期待できない上に一般読者も読みたがらず売れないから、結局店と癒着したヨイショ記事ばかりが蔓延する。そういう構造を指摘し、修行歴(その店で何を担当していたかが書かれることは稀)や仕入れ(例えば毎日築地に通っているとか)や食材(例えばウナギの天然物とか大間のマグロとかの氾濫)についての広告や記事への疑問、ヨイショ記事や常連客の賞賛で傲慢になった料理人の行動への批判等を書いています。言われてみれば当然と思えることがある程度具体例を挙げて書かれていて、なるほどと思います。他方、「本書では一切の個別店評価を封印」(まえがき)ということで例がぼかしてある分歯がゆさも残ります。料理店の利益の構造については、同様に職人の手作業の性質が強い弁護士業界も同じで、いわく言い難いところがありますが。

08.ヴァンパイレーツ8 黒のハート ジャスティン・ソンパー 岩崎書店
 海賊船(ディアブロ号)と吸血海賊船ヴァンパイレーツ(ノクターン号)とそれらに命を救われた双子の兄弟コナーとグレースの運命で展開するファンタジー。8巻は原書の第4巻の前半で、基本的には、ノクターン号を離れシドリオの下で吸血と殺戮を続けるヴァンパイレーツたち、サンクチュアリで導師モッシュ・ズーの手で船長から分離されたグレースらの母サリーの霊の話、ディアブロ号から離れ新たにチェン・リーの下で海賊船に乗り込もうとするコナーの3者で展開していきます。8巻(原書4巻)からヴァンパイレーツグループに目のまわりにハートのタトゥーをしたローラ・ロックウッド率いる女性ヴァンパイレーツグループが登場し、シドリオグループと微妙な関係に立ち、テュフォン号を襲い、海賊たちがヴァンパイレーツとの戦いを決意するなど、関係がより錯綜していきます。8巻はサリーの話によってコナーとグレースの両親の関係やノクターン号との関係が次第に明らかになる点が一番の進展でしょう。原書4巻の前半(3分の1かも)ですので、例によって切りが悪く終わっています。原書4巻は2009年の発売で十分時間があるわけですし、原書はもう6巻まで出ているわけですから、翻訳はせめて同じ巻はまとめて出して欲しいものだと思います。
 5巻は2010年1月、6巻は2010年5月、7巻は2010年8月で紹介しています。

07.愛しいひと 明野照葉 文藝春秋
 仕事人間のエリート夫瞭平が突然蒸発し、一人息子にも出て行かれた専業主婦の笠松睦子が、夫を蔑ろにしてきたことや息子を甘やかすとともに干渉しすぎたことを後悔しつつ、仕事を始め、まわりに当たり散らし依存してきた自分を一歩引いて見つめ直すという専業主婦成長小説。基本的に妻側の視点と妻側のストーリーですし、結局は妻側に都合よく展開するのですが、瞭平の蒸発が、仕事一筋に走り続けた疲労の蓄積とともに、家庭での居場所の喪失、たまに早く帰ると妻には「あら、やだ。おとうさん、ご飯食べるの?なら、ご飯、"チン"だわ。え?ビール?入れてないないわよ。だって帰ってくると思ってなかったもの。いいじゃないの。毎晩外で飲んでるんだし、おいしいもの食べてるんだから」と言われ、息子には「え、風呂?待ってよ。今、俺がはいろうとしてたんだよ。・・・予定狂うなあ」と言われ(54ページ)というのが引き金を引きぷつんと切れたというところ、中年男のツボ押さえてるなぁと感じます。年齢的にもほぼ瞭平と同じおじさんには身につまされるなぁ。

06.南極で宇宙をみつけた! 中山由美 草思社
 2003年11月〜2005年3月に第45次南極観測越冬隊に記者としては初めての女性として同行した朝日新聞記者が、2009年11月〜2010年3月の第51次観測隊に同行した際の記録。基本的に新しいこと、初めてのことに価値を見いだす新聞社で2度目の南極行きを実現する過程の苦労話で始まり、同時進行で朝日新聞社のサイトで連載していた記事「ホワイトメール」に、当時は書けなかったアクシデントや裏話と感想で構成されています。他のグループの必死の作業中に支援せずに食事を始めたことや食材の使用順とかをめぐっての感情的な対立や、1人の観測隊員を送り出すために背後で支えるおびただしい数の人々への思いといったあたりは、南極観測という過酷な環境での一大プロジェクトの性質をよくあらわしているように思えました。どんな吹雪の中でも小用は野外で、服を脱がなくてすむ男性がうらやましいと著者は書いていますけど、南極の吹雪の中で屋外で立ちションしたら凍傷にならないのかなぁ。「雪をトイレットペーパー代わりにしてみたこともある」(166ページ)っていうのも・・・

05.吸涙鬼 市川拓司 講談社
 治療法のない遺伝病で20歳までの命と定められた女子高生のわたし(芳川)と、とんでもない走力と驚異的な回復力を持つ謎の青年榊冬馬の禁断の恋を描いた恋愛ファンタジー小説。特殊な能力を持つ故に製薬会社組織からつけ狙われ、また一般人の反感を買い、その中で生き延びられるように無抵抗で殴られけがをしてもすぐに回復でき逃げ足が速く進化し、人の涙を吸うことで生きながらえ、涙を誘うために激しい感情と快感を相手の脳に注ぎ込み相手をおかしくしてしまうという「吸涙鬼」という存在の設定がかなりのウェイトを占める作品です。その部分はストーリーの展開の要となり、本来は、ネタバレ的な要素ですけど、タイトルでそれが出てしまっています。この涙を吸うことで相手が精神的に破綻するということへの吸涙鬼の苦悩から、人との恋愛を禁断の愛と位置づけ、その切なさを描くところが味わいどころの小説です。そう言ってしまうと、昨今はあまたあるヴァンパイア・ラブストーリーの1つということになります。それに「わたし」の正体不明の奇病、屋上庭園の植物などの怪しげで隠微な雰囲気を漂わせたところが、読み味かなというところです。

04.彼女のしあわせ 朝比奈あすか 光文社
 生まれつき子供が産めない体で17歳の時にレイプされたトラウマから一生セックスしないと決めている三女凪子、かなわない姉と末っ子に挟まれてひねくれ気に入らないことがあると他人のせいにして八つ当たりし3歳の娘を虐待してリアル世界では孤立しブログで虚飾に浸る次女月子、子どもの頃から母に頼られ愚痴を聞かされ続けて結婚に希望を持てず独身のまま仕事に打ち込む長女征子、長年夫に従い姑の世話を黙って続けてきたがその鬱憤をため込んで爆発する母佐喜子の4人の思いと変貌を描く小説。それぞれに問題を抱え、家族や友人に屈折した思いを持ちながら、問題を乗り越え家族と向き合っていく/折り合っていく過程が、月子の場合はやや劇的に、他は穏やかにあるいは行きつ戻りつしながら描かれ、そのあたりが読みどころとなっています。叔母のユキナや父親まで巻き込んで、家族愛に踏みとどまれるところが、最近は崩壊した家族の話が多い中で、ホッとする安心感があります。

03.武士道エイティーン 誉田哲也 文藝春秋
 武士道シックスティーンに始まる青春剣道小説シリーズの第3作。神奈川の東松学園剣道部を率いるおやじキャラの剛の剣道に邁進する磯山香織と、西の名門福岡南高校に残り型破りの顧問吉野に見込まれながらもトップにはなれない甲本(西荻)早苗の友情を軸にしているのですが、「セブンティーン」で2人の剣道を近づけすぎたためか、「エイティーン」では、全中で磯山に勝った黒岩伶那と磯山の戦いがストーリー展開の山になっていて、早苗の影が少し薄くなっています。「シックスティーン」「セブンティーン」で通してきた磯山と早苗の交互の語りに、「エイティーン」では、シリーズの外伝ともいうべき、緑子と岡巧の恋の末路、桐谷先生の来歴、吉野先生の過去、磯山から距離をおいた田原美緒の思いの4本が、それぞれの語りで挿入されています。シリーズの愛読者には、これまでの疑問が解かれ、その点では満足度が上がりますが、ストーリーはそこで途切れ、磯山と早苗の存在感が薄れる感じがします。インターハイに向けてきちんと盛り上げてはくれていますし、磯山、早苗、黒岩、そして田原の思いを切なく描いていて巧くまとめてはいるのですが。高1の「シックスティーン」から始まっているので「エイティーン」で終わりかと思ってたんですが、「エイティーン」のラストを見ると、まだ続編があるのかなって感じですね。

02.学問 山田詠美 新潮社
 東京から静岡県に引っ越してきた少女香坂仁美(フトミ)が、近隣の少年後藤心太(テンちゃん)、千穂(チーホ)、無量(ムリョ)らと戯れながら、次第に大人になっていく様子を描いた青春・性春小説。「新潮」4回掲載分が各1章となり、それぞれ小2、小5、中2、高2の時という設定になっています。仁美は一貫して心太に心惹かれながら、しかしそれは恋愛感情ではない特別な関係と位置づけ、思いをはせ、キスをし、心太が他の女性を関係するのを嫉妬しながらも、恋人にはならないというもどかしい展開が続きます。同時に仁美の立場からのそれぞれの年代での性の目覚めというか自慰への目覚めというかがテーマになっていて、その際のイメージというか妄想が、ちょっと新鮮に読めました。各章の冒頭に主要な登場人物の死亡記事が配置されていて、小説本文には何ら影響しないのですが、登場人物の将来像というか人物像を少し膨らませています。死亡記事は特に関係なく見えますが、最後にリンクがあって、ちょっとニヤリとできます。フトミ、それじゃ紫の上だよ(いや女三の宮か)。

01.ヴァイツゼッカー ドイツ統一への道 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー 岩波書店
 東西ドイツ統一時のドイツ大統領だった著者がドイツ統一に至るまでの回想や統一後もなお真の統一の途上であるとの認識からの提言を綴った本。ドイツ統一時においてもバラ色の将来ではなく分かち合う忍耐を説き、ソ連/ロシアについても敵対よりも経済関係を深めて取り込むことの重要性を説き、さらには昨今のイランについても核保有国に囲まれたイランの状況への理解が必要とする著者の姿勢は、俗耳に入りやすい原理主義や排外主義のアジテーションを排し現実的でありながら理性と倫理を感じさせる本来の意味での政治家らしいものです。日本やあるいはアメリカではあまり聞くことのできない、ラムズフェルドのいう「古いヨーロッパ」の知性を感じさせるところが、この種の本の読みどころといえます。しかし、肝心のドイツ統一に至る過程については、特段の裏話も見られず(政治家としての活動よりも先行するキリスト教信徒会としての活動が強調されているのが、あまり語られない事実というところでしょうか)、記述が断片的な感じがします。必ずしも時代を追っているという感じでもなく、また話が飛んでいるところが多々あり、著者自身の政治活動の流れや地位との関連の説明もあまりなく、読んでいて流れがわかりにくいというのが、難点です。統一に至った過程も、政治的配慮でしょうけれども、旧東ドイツの市民たちが学び立ち上がったことへの賞賛が前面に出されて、それ以外の統一に至った力の分析もなく(ゴルバチョフが力の行使を押しとどめたことは書かれているけれども)、直接のテーマについてはちょっと拍子抜けするというか今ひとつ納得感を得にくく思いました。

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