私の読書日記  2010年7月

14.近代都市パリの誕生 鉄道・メトロ時代の熱狂 北河大次郎 河出書房新社
 産業革命期後のフランスにおける鉄道建設の歴史とパリのメトロ導入の歴史を解説した本。フランスの技術者の技術・工学についての考え方、イギリス・アメリカの技術との間合いの取り方が興味深く思えました。著者のテーマの鉄道建設への熱狂の中でパリがどうして歴史的な伝統を色濃く残す都市として生き残れたかについては、フランス全体の鉄道建設計画での国と都市と鉄道会社の利害の対立から各地とパリを結ぶ鉄道の終着駅がパリの中でばらばらになったこと、これを結ぶ路線の建設を主張する国と、国の介入をきらいパリ市民の利用を重視して市民の需要の多い路線を作ろうとするパリ市と、その間で動く鉄道会社や技術者たちの対立と妥協の産物としてメトロが構想・建設されていったという事情によるものとされています。一元的な都市計画によってではなく、様々なプレイヤーの利害対立と妥協を繰り返したことが、時間はかかり非効率ではあったものの結果的には妥当な計画を導いたという論旨には考えさせられます。議論を繰り返すうちに技術が発展したとか、その間に政治家が替わったとかの事情も影響していて、交渉と妥協を繰り返せば必然的にそうなるということではないとは思いますが。

13.審理炎上 加茂隆康 幻冬舎
 交通事故(車の水没事故)の遺族による保険金請求訴訟を扱ったリーガル・サスペンス。遺族は別居中の妻、加害者は妻と面識があり、事故は新車購入後(従って損害保険加入後)すぐで被害者が売れっ子のトレーダーで年収が200億もあるため請求額が2000億円あまりという極端で怪しげな設定で、損害保険会社は支払を拒否して裁判となり、保険会社は遺族と加害者の共謀による殺人を主張してそれを裏付ける証拠を次々と出してくるが、窮地に追い込まれた原告側の新人弁護士が周囲の協力を得ながら巻き返していくというストーリー。交通事故訴訟を多く手がける弁護士の作者が損害保険会社への恨みを爆発させたような展開は、同業者としてはよくわかるとも、でも現役の弁護士が書くにはちょっと書き過ぎかなとも思いました。設定やストーリー展開は、私の目には、グリシャムのRainmaker(邦題は「原告側代理人」)と重なって見えます。Rainmakerより遙かにシンプルな展開で、事件をめぐる駆け引きに純化している分、読みやすくわかりやすく、他方作品としての味わいには欠けますが。裁判の審理の展開は、裁判所主導の迅速な計画審理が励行される現在、ほとんど考えられないような、証人尋問が1回ごとに採用されてそれが終わってから次はどうしますか(誰を尋問するか)なんて進行でなされます。この小説のような展開は、裁判所からは「漂流審理」と揶揄されて、今時はやってはいけない審理の典型とされます。こういう昔風の五月雨審理でこそ、日本の裁判システムでもリーガル・サスペンスが成り立つ、いや悪辣な企業に対抗して一市民が真実を明らかにできるというのが、この小説に込められた作者の主張であり思いであると読めました。ところで、この小説では「制裁的損害賠償法」という法律が登場し、「2006年11月に制定された新法である」(247ページ)と書かれています。アメリカの陪審法廷で高額の損害賠償が認められる根拠となる懲罰的損害賠償は、日本の弁護士にとってはうらやましい限りで、日本では懲罰的損害賠償はほとんど認められません。それが弁護士が書いた本で新法制定などとあるので、思わず「えっ、知らないうちにそんな法律ができていたのか」と動揺して、思わずその場で「法令データ」を確認してしまいました。その点も含めて、被害者側の弁護士にとっての夢を書いた小説と言えますが、問題提起の意味を込めるのならば、法制度は現実のものだけをベースにした方がいいと、私は思います。

12.よくわかるドーピングの検査と実際 多田光毅、入江源太、石田晃士 秀和システム
 ドーピングの規定と検査と制裁の手続等について解説した本。ドーピングの禁止物質は現在かなりの数に上っていて風邪薬などの市販薬や漢方薬、サプリメントにも含まれているのに、検査で禁止物質が検出されたら、本人が知らずに飲んだ場合でも1年とか2年とかの出場停止などの重い制裁が科されるということには、ルールとして決められればそれに従うことでスポーツが成り立つという業界の特徴はあるにせよ、弁護士としては強い疑問を持ちました。検査が必ず検体を2つにして保存しておくなど慎重にしていることはいいと思いますし、検出された競技の記録やメダルの取消は、禁止物質が影響している以上は本人が知らなかったとしても仕方ないと思います。しかし、長期間の出場停止などの将来に向けての重い制裁は、やはり本人の責任をきちんと認定して行うべきでしょう。しかも、その制裁に対する不服申立が競技団体の仲裁機関に対してしかできないというのは、手続として疑問です。著者たちが扱った実例としてあげられているヤクルトのダニエル・リオス投手の日本野球機構への弁明・異議申立手続の実情(142〜165ページ)は興味深く読ませてもらいましたが、重大な不利益処分を科する手続としてはあまりにもお粗末だし、選手側は何もできないしさせないという感じ。著者は、法律上の争訟と言えないから裁判所では門前払いされる可能性が大きいとしています(116ページ)が、長期間の出場停止とか、選手資格の剥奪追放とかいうことになれば、裁判の対象となり得るのではないかと思います。また禁止物質をやたらと広げ、それも市販薬やサプリメントに含まれる物質を次々と指定して選手を不安にして、禁止物質を含まない成分で作られたサプリメントをJADA(日本アンチ・ドーピング機構)認定商品と指定するというやり方は特定メーカーの利害に合致することにもなります。ドーピングに関する規定も、規定自体が曖昧な部分があり国際規定の直訳らしい文章でわかりにくく、著者も弁護士から見てもわかりにくく曖昧などと書いています(30ページ等)。つまり何がドーピングに当たるかプロでも簡単にはわからず、一般人には当然わからない。それで「そもそも、我が国において、ドーピングに関する知識や経験を有する弁護士の数は非常に限られており」(108ページ)という状態なのは寒々しい限り。

11.ライオンの咆哮のとどろく夜の炉辺で 南スーダン、ディンカの昔話 ジェイコブ・J・アコル 青娥書房
 スーダン南部、白ナイル上流のディンカ地方に伝わる民話集。乾期は草原で雨期はほぼ全土が水没するというディンカ地方で、牛の放牧と漁労で生活する人々の暮らしや野生の動物たちとの共存が反映した物語が伝えられています。物語ではディンカのレク地方の民が、ライオンが人間に化けて住んでいるというアガル地方に出かける様子が描写され、地域対立が反映されているのかなと感じられます。ライオンやゾウが恐ろしくもユーモラスに描かれ、ダチョウが横着でユーモラスな存在とされ、ハイエナが嫌われ者になっているのは、まぁそうだろうと思いましたが、キツネが頻繁に登場してずるがしこさが嫌われ、また知恵者として慕われるのが意外でした。日本での民話と共通ということ自体よりも、アフリカでもキツネってそんなに身近な存在だったのかと。化けるのはキツネじゃなくてライオンになっていますけど。キツネは日本の民話でもイソップでも同じような扱いですし、アフリカでも、となると世界共通のイメージを持つ人気キャラなんでしょうか。

10.限界を作らない生き方〜2009年、46歳のシーズン 工藤公康 幻冬舎
 46歳の現役プロ野球ピッチャー工藤公康のインタビューとブログ、公式記録で構成した本。体格に恵まれないながら、練習の積み重ねと筋肉の使い方やトレーニングを科学的に考えることで40代半ばまで現役を続けている著者の持論と、40代になればこその野球への思い、チームや球団、お客さんとの関係などについての言葉が染みます。46歳の現役選手にエールを送りたくなるのは、自分が年を取ったからではありますが。絶対的な上下関係と精神論が支配しがちな野球の世界で、トレーニングや筋肉・体の使い方の科学的な検討を重視する著者の姿勢と冷静さが目を引きます。でも、肘を痛めてから22年間も痛み止めを飲みながら先発していた(128ページ)とか、痛ましい。スポーツ選手って意外に健康じゃなかったりするんですね。本の作りとしては、前半がインタビューで、その後にトレーナーの教授のインタビュー、ブログ記事を載せています。ブログの記事はいかにも埋め草っぽくて、全体を通してインタビューで語りきった方がよかったんじゃないかと思います。それから、インタビューも話が飛び飛びのところが多くて、本としてはもう少し編集するなり、総括インタビューなりをした方がよかったかなと思います。そのあたり、作りとしては安直な印象を持ちました。

09.光州 五月の記憶 尹源・評伝 林洛平 社会評論社
 韓国で1980年に起きた光州事件で道庁を占拠した市民軍のスポークスマンを務めた尹源(ユン・サンウォン)の伝記。著者は尹源が光州事件前主力の講師をしていた労働者学校「野火夜学」でともに講師をしていた後輩に当たり、そのため尹源に関する事実関係には詳しいものの視点はあくまでも尹源側からのもので別の観点からの考察に乏しく、また記述が学生時代と野火夜学に偏っているきらいがあります。特に邦題の「光州 五月の記憶」から感じられる光州事件についてのノンフィクションを想定した読者(私もそうでした)にとっては、光州事件についての記述が少なく、記述の客観性への配慮に不安を感じます。光州事件についての記述は終盤の3分の1ほどで、その内容も尹源の言動に集中しています。とはいえ、道庁内部の様子が具体的に書かれていて、そこは興味深い。主役の尹源は貧しい家庭から両親が無理をして大学に行かせたエリートが学生運動、労働運動へとのめり込んでいくという、日本でも安保世代・全共闘世代の活動家に見られるような経歴をたどったわけですが、その悩みや思いが近くにいた者の目から描かれているところも、光州事件そのものとは関係ないですが、共感と哀感と苦い思いを交えながら読みました。私が学生の頃に、独裁政権下の隣国で弾圧にさらされながら生きてきた人々に関心は持ちながらも深く知ることができなかったことへの反省も込めて読ませてもらいました。事件を知るという観点からは、欲求不満が残りましたが。

08.湿地帯 シャーロッテ・ローシュ 二見文庫
 奔放な性生活を送っている18歳の少女ヘレンが痔の手術をして入院中に、離婚した両親を引き合わせようと計画を練るがうまくいかずあきらめて母の元を去るというストーリーの小説。ヘレンの語りで、ヘレンの性生活、自慰、便通、月経等ひたすら下の話が続きます。セックスや性器の話が頻出しますが、ポルノ小説的なエロティシズムはほとんどなく、エロではなくグロという感じ。訳者あとがきで著者は女性自身によってつくられた清潔のイメージでがんじがらめにされている女性を解放したいという希望、イギリスでフェミニスト小説として話題になった(269ページ)と書かれていますが、それはちょっと。性体験や体のことを恥じるのではなくあっけらかんと話す点はそのようにも読めますが、公衆便所の汚れた便座に「アソコで便座を一周きれいにお掃除するの。ぞくぞくするほどの快感」(23ページ)とか、よくぞ言ってくれたとか思う人はまずいないんじゃないでしょうか。私も読んでてちょっと気持ち悪くなりましたし。それとヘレンの奔放な性生活が両親の離婚ととりわけキャリアウーマンの母親への反発に原因があるように読めるのも、フェミニスト小説と評価しにくく思えます。作者はドイツのマルチタレントということですが、この小説の内容の70%は自伝(268ページ)って、ぶっとんでます。これだけ書いて自伝って明言できるのって、それはそれで立派と言えますけど。

07.冬眠の謎を解く 近藤宣昭 岩波新書
 シマリスの冬眠についての研究から冬眠時の冬眠動物の体の変化やその変化を引き起こす機構、冬眠と長寿の関係、さらには人間への応用の可能性について考察した本。心臓の低温保存の研究をしていた著者が冬眠中のシマリスから摘出した心臓の心筋を調べたところ、通常の細胞は細胞膜の内外でカリウムイオンやナトリウムイオン、カルシウムイオンを交換して活動しているのに対し、冬眠中のシマリスでは心筋細胞内部のカルシウムイオンを筋小胞体内外でやりとりして(細胞内でカルシウムイオンをリサイクルして)収縮していることを発見した。そしてその切り替えは冬眠自体によってではなく体内時計による概年リズムに応じてなされ、一定の期間は現実に冬眠していなくてもなされ、その間は冬眠特異的タンパク質(HP)と名付けられたタンパク質が血液中では減少し脳内では活性化された上で濃度が高まっていることがわかった。そして冬眠中の冬眠動物の体では外部とのやりとりは遮断され代謝がきわめて遅くなりながら体内では修復が進み、冬眠動物の寿命は長くなっており、寿命は現実に冬眠するかどうかではなく冬眠可能な状態に切り替わっているかに依存している。人間は低体温に弱く低温保存して回復させることは困難だが、人間にもHPに似たタンパク質は発見されており、高温のままで冬眠可能状態の冬眠動物と似た状態を作り長寿化することはできるかもしれない・・・というのが著者の論旨です。冬眠動物が細胞レベルでの活動の機構から季節に応じて切り替えているというのは驚きでした。改めて生命の神秘を感じます。化学物質名だらけの生化学系の文章は、苦手なんですが、それを押しても読む価値のある知的好奇心を刺激してくれる本でした。

06.渡りの足跡 梨木香歩 新潮社
 オオワシなどの渡り鳥を中心としたバード・ウォッチングの紀行文を中心とするエッセイ。渡り鳥は、現に留鳥がいるようにその地にとどまっても生きていけるのになぜ危険を冒して渡りをするのか、という問いかけを軸にしつつ、第2次大戦中に強制収容所でアメリカへの忠誠を聞かれてノーと答えたために日本に送還された「ノーノーボーイ」やロシア革命とソ連崩壊に翻弄された人々、内地から北海道に移住した人々を取り上げて人間の渡りとして対比させています。他者にとっては謎であり不可思議であっても、その者にとっては必然でありまた運命であり他に選択肢などない、生きることは時空の移動でありそれは変容をも意味する、不可避の移動・変化というあたりが著者の答えになっています。バード・ウォッチングのエッセイで、北の大地の自然を描写した文章の美しさが読み味の基調をなしていますが、美しい自然礼賛でもないところが独特の重みを感じさせます。人間の自然破壊も、人間の存在やその欲深さも自然の一部だからその結果もこの時代この場所の生態系に他ならない、だが同時にその人間の中に何とか自然破壊を食い止めようと試行錯誤する人々が出ることもまた自ら回復しようとする自然の底力の一つなのだろう(14ページ)とか、エチゼンクラゲがオホーツク海に現れることも稲作の発達につれてスズメが増えたのと同様自然なのだ(172ページ)とかの突き放した物言いには、ある種の挑発も含めて読んでいてはっとします。都会の卑しい鳥として嫌っていたヒヨドリに北海道の山奥の森で出会い過去にヒヨドリに意地悪したことの罪の意識を感じ、詐欺商法のセールスマンの不気味さを野生生物の狩りの様子に重ね合わせたり、価値観・視点の相対化が図られていたりする点にも考えさせられます。

05.ビッグイシューの挑戦 佐野章二 講談社
 ホームレスが路上で販売し、販売代金から利益を得る(当初200円中110円、現在は300円中160円)というシステムのイギリスで生まれた雑誌「ビッグイシュー」の日本版を立ち上げた著者が、日本版立ち上げの経緯と理念を語る本。チャリティの伝統のない日本では成功しない、ホームレスから雑誌を買う客はいない、必ず失敗すると言われながら、しかも雑誌造りの素人ばかりで始めたいきさつや、最初の販売説明会ではホームレスが十数人しか集まらず4人しか販売員登録してくれなかったことなどの苦労話が興味深く読めます。イギリスのビッグイシューの創始者の一人で自らもホームレスの経験を持つジョン・バードが大阪の釜ヶ崎のドヤ街(ATOK2010って「とぅーりお」は一発で闘莉王に変換できるのに、「かまがさき」は変換できないし、「どやがい」も変換できない・・・)を見て呆然とし、涙ぐみ、「第三世界」のようだと言ったエピソードも印象深いところです。寄付ではなく、あくまでも商品を買う、それも200円とか300円で買うというスタイルで、ホームレスもビジネスパートナーで販売の報酬として受け取るということが、斬新な発想で、そこに成功の秘訣があるのだと思います。日本でも、同じものを買うのなら「エコ」と名の付く方を選ぶ消費者は結構いるわけですし。購入層の7割が女性で、20代、30代の女性が中心的な顧客というのも、これまでの先入観を覆すものです。路上販売を巡る警察とのやりとりとか、ホントはもっと苦労してるんじゃないかなと思われるところもあり、もう少し書き込んでほしいなという感じもします。ビッグイシューの経緯に関する話は半分くらいで、ホームレス支援やボランティアのあり方みたいな部分が多くそのあたりは好みの分かれるところと思います。

04.がんと一緒に働こう! 必携CSRハンドブック CSRプロジェクト編 合同出版
 がんになっても働き続けるための知識とノウハウを説明した本。知識としての働く権利、会社との関係の持ち方、働き方、保険や社会保障、グッズや生活のノウハウなどから構成され、がん経験者が自らの経験等を書いています。働く権利のところは、基礎知識で抽象的ですが、まぁこんなところ。労働組合加入者の労働条件は労働協約で定められる(11ページ)っていうのは就業規則と異なる労働協約があれば(協約がないことが多い)ですし、配置転換についての書きぶり(15〜16ページ)は、現実はもっと厳しいように思えます(そう書きたい気持ちはわかります)が。会社との関係は、結局、上司や主治医、産業医とよく相談してということに終始しています。私には、社会保険関係と、ワーキンググッズや生活の工夫のあたりが一番興味深く読めました。ただ、グッズの使い方とか、今ひとつイメージしにくいのでそういうところをイラストでわかりやすくした方がいいと思います。ギャグマンガ風の4コマよりも。CSRは、Cancer Survivors Recruitingの略。もちろん、Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)とかけてあるわけですが。がん経験者の雇用を維持することも企業の社会的責任という主張をこめたものと思いますが、その雄々しい編者名のわりに本の内容は控えめで、制度的提案は治療休暇制度と雇用促進条例くらい(159ページ)。今後の動きにちょっと注目したいなと思います。

03.公証人が書いたトラブルにならない相続 北野俊光 日本経済新聞出版社
 元公証人(現在弁護士)が書いた、遺言作成、遺言執行、遺産分割等についての解説書。実務的な観点から整理されていて、弁護士の目からは、遺言や遺産分割の入門書として読みやすく書かれています。「はじめに」では「遺言や相続の話をすると、難解な法律用語がどうしても出てきてしまいます。本書は、一般の読者にも十分理解できるようにできるだけやさしく表現し、簡潔に解説するように努めました」と一般人向けを強調しています。新聞に連載したものですから、もちろん、そういう配慮はなされているのだとは思います。しかし、法律業界関係者が書く本の大半にはそういう前書きがありながら、安全のために法律(や判決)の文言通りの記載がなされています。この本でも、やはり基本的には法律用語がそのまま使われていて、各章のはじめでその後のQ&Aを整理している部分も弁護士の目には読みやすいものの、一般人の読者にはこの段階で挫折する人も少なくないような感じがします。内容的には、さすが元公証人という感じの学者や弁護士が見落としがちな指摘がいくつか見られ、参考になる本だと思うのですが。

02.俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い 烏賀陽弘道、西岡研介 河出書房新社
 月刊誌「サイゾー」でのコメントを名誉毀損としてオリコンから5000万円の損害賠償請求訴訟を起こされたジャーナリストと「週刊現代」での連載記事「テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」でJR東労組組合員らから50件の損害賠償請求訴訟を全国各地で起こされたジャーナリストが、互いの裁判についてインタビューしあいながら、公的言論を標的とした組織的な訴訟(SLAPP裁判)について問題提起する本。記事について出版社を訴えるのではなく記事のごく一部のコメントを標的にコメント提供者だけ相手にして5000万円もの請求をするオリコンは常軌を逸していると思いますし、記事で書かれてさえいない組合員が全国各地で訴えるのもかなり異常。その意味でこれらの裁判が言論への威嚇・報復目的で行われたものだという主張はよくわかりますし、裁判の経緯についても興味深く読ませてもらいました。著者2人のスタンスにも違いがあり、訴えられるのは覚悟の上だし書かれた者は訴える権利があるという姿勢の西岡氏の主張がむしろ相手の不当性を浮き彫りにして説得力があるのに対し、オリコン批判のみならず判決批判、弁護団批判を繰り返す烏賀陽氏の主張は、この本で読んでも私には今ひとつストンと落ちませんでした。出版社を訴えなかったから被告として不適格だから却下すべきだった(154ページ)はまるで無理な主張だし、オリコンが「サイゾー」のコメントと「AERA」の記事を一連の不法行為と主張しているから「サイゾー」のコメントだけで不法行為になると判断するのは弁論主義違反(当事者の主張しない事実に基づく判決)(139ページ)というのも弁護士の感覚としては違和感があります。サイゾーのコメントについても主張はされているのなら、その評価は単独でも弁論主義違反とは言えないと思います。弁護団批判としてサイゾーの記者からのメールを証拠提出しなかったことを弁護過誤と言っている(114ページ等)のは、現実の事実関係はわかりませんから断言しませんが、弁護団がそのメールを出すとサイゾー編集部との間で原稿のやりとりをしていた証拠として使われてしまうと言った(114ページ)のは、143ページで引用されている1審判決の「自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載される可能性が高いことを予測しこれを容認しながらあえて当該出版社に対しコメントを提供した場合は」コメント提供者にも責任があるという判断を読めていた(この判旨が妥当かどうかは別として)とも見ることができます。メールの内容とか、ほかの証拠も見ないと、簡単には言えないと思いますが。そのあたり、この本の問題提起の中心をなすSLAPP裁判への問題意識を強調する烏賀陽氏の主張が上滑りに感じられることが、問題提起の価値をやや減殺しているように思えて、残念でした。マスメディア側の主張に偏ることへのバランスを取って名誉毀損の原告側の弁護士へのインタビューを入れたのは、フェアな姿勢で好感が持てますが、そこでこの本の問題提起のSLAPP裁判について議論していないのは、ちょっと腰砕けの感があります。マスコミ関係者にありがちですが、自分が民事裁判を長らくやりながら未だに民事裁判で被告人とか弁護人とか(いずれも刑事裁判の用語)書いているのも、ちょっとなぁ。日本の民事裁判は弁護士費用そのほか「法廷外で発生するコスト」を一切考慮しないっていう指摘(200ページ)も、もし弁護士費用敗訴者負担だったら、自分が1審でオリコン側の弁護士費用も負担させられたはずということも考慮していないし、弁護士費用敗訴者負担が弱者は裁判を起こせない方に働くということへの配慮も全然感じられず、思いつき的な感じ。そういう残念なところが少なからずありますが、問題提起と現実の問題事例の紹介として貴重な本だと思いました。

01.ラブ・ストーリーを探しに 小手鞠るい 角川学芸出版
 ニューヨーク州ウッドストックに住む恋愛小説作家が周囲の住民との間での出来事や思い、聞いた話から描いたエッセイ風の恋愛短編連作小説。1969年に開催された伝説のロックコンサートと花と森と嵐と雪に彩られるウッドストックの風土を反映して月ごとにトピックを採った(それは月刊の連載のためではありましょうが)短編が美しい街角のカラー写真の装丁で飾られた小じゃれた本です。読み物としてはダイナミックな展開や感動とかは期待できませんが、読み終えてほっとするというか少し心温まるというタイプの本です。恋愛小説作家を語り手として何度か同じエピソードが登場していますが、「彼はキャンプや野宿が大好きだけれど、私は大嫌い。テントや車の中で寝るなんて、とうてい無理」(158ページ)で、それも離婚の原因となっている「私」が、学生の頃恋人と貧乏旅行を重ね「旅先でお金が底をついてくると、河で水浴びをしたあと、海辺に粗末なテントを張って、星の数を数えながら、眠った」(47〜48ページ)ことを嬉々として書いているのは、調整不足?日本で知り合ったアメリカ人男性と結婚してウッドストックに在住する恋愛小説作家という設定は、作者自身を、当然にイメージさせますが、3年で離婚(87〜88ページ等)とか、東京郊外の生まれ(85ページ)とかは作者の経歴と違っていて、ノンフィクションのようなフィクションのようなそういう曖昧な形で書いています。そこは、ご想像にお任せします、というような。でもそういうスタンスで、年を13もサバを読むのは、ちょっと奥ゆかしさに欠けるかなと思います。

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