庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

    ◆弁護士の仕事
  面会で何をアドヴァイスする?

  面会のとき被疑者に何をアドヴァイスするのですか

 それは・・・秘密交渉権(弁護士が立会なしに被疑者と面会できる権利)の内容の問題で、職業上の秘密で・・・なんてケチなことは言いません。お話ししましょう。

  被疑者の権利 : 黙秘権と調書への署名拒否

 まず、被疑者と最初に面会したときに、一般論として、被疑者の権利について説明します。弁護士会で作った刑事手続の流れと被疑者の権利についてのパンフレットがありますので、そのコピーを差し入れます。それは後で読んでもらうとして、黙秘権(もくひけん、質問に対して黙っている、答えないでよい権利)と供述調書への署名を拒否する権利について説明します。
 供述調書について私はだいたい次のように説明します。「取り調べが終わって供述調書を作るとき、警察や検察の人が調書の内容を読み上げます。それまでの取り調べで疲れていると思うけど、ここで神経を集中してよく聞いてください。聞いていてわかりにくかったらもう一度読んでもらうなり、調書を手渡してもらって自分で読むなりしてください。見せてくれないと署名しないと言ったら見せてくれますから。それで調書の内容に、自分が思っているのと違うところがあったら、遠慮なく『訂正してくれ』と言ってください。はっきり事実が違うということでなくても、同じことを書いていてもニュアンスが違うということがあります。捜査をしている人は、あなたが悪いことをしたと考えているのですから、同じことでも悪い方へ悪い方へと考えます。意図的に嘘を書こうと思わなくてもものの見方があなたを悪者だと思っているのだからそういうふうに見えるんです。実際にやったことでも、自分が思っているより悪いニュアンスで書かれていたら訂正を求めてください。それで訂正してくれなかったら、署名しないと言ってください。調書に署名するかどうかはあなたの自由です。強制はできません。これがあなたにとって最大の武器です。供述調書はあなたが署名しなければ裁判に使えません。どんなに詳しく書いたものでもあなたが署名しなければただの紙切れです。訂正しなければ署名しないと言い続ければ必ず訂正できます。どうしても訂正してくれなければ署名を拒否してください。」
 弁護士の考え方によりますが、私は、特殊な事件以外では、被疑者に黙秘は勧めません。不起訴を狙うときに、少なくとも起訴猶予(きそゆうよ、罪を犯していても検察官の判断で起訴しないこと)は検察官の理解が得られなければなりませんので、黙秘ではほとんど無理です。嫌疑不十分(けんぎふじゅうぶん、証拠がないこと。弁護側の主張では「やっていない」つまり嫌疑が「ない」のですが、検察官は逮捕した以上「嫌疑なし」とすることはまずありません)の主張のときは微妙ですが、被疑者が「やっていない」とはっきり言い続ける方がいいと判断することが多いです。「被疑者が取り調べに対して話をしながら虚偽の自白をせずに頑張るのは難しい」「ひとこともしゃべらない方がより容易だ」という意見が、弁護士の間で、有力にあります。それは正しい面を持っていると私も考えていますが、普通の被疑者にはよほど強固な意志がないと黙秘を貫くのは難しいと思います。
 私は、実際には、供述調書について署名拒否権を武器にできる限り自分の思うとおりにとってもらうよう頑張れということをメインに据えます。それでも、実際には、なかなか被疑者は訂正の請求に踏み切れない場合が多いのが実情です。

  取り調べへの具体的な対応

 一般論としてこれだけを言っても現実にはあまり対応できませんので、当然、具体的事件でのポイントをアドヴァイスします。初期の面会で被疑者から事実関係を聞き取り、被疑者の現実の経験、そしてその時の考え・認識と取り調べ側が考えている内容を見て、取り調べの争点を予測します。その争点を被疑者に具体的に説明し、調書でありがちな表現を説明して、取り調べではこういうふうに言わせようとするからそこに注意して頑張るように言います。このとき事件によっては多数のポイントがあることもあります。しかし、多数のポイントをあげると現実にはなかなか対応できません。優先順位を考えて、普通の被疑者には「ここが一番大事だから頑張れ」という形でアドヴァイスします。
 現実によく争点となるのは、認識です。渡されたのが覚醒剤だと知っていたのか知らなかったのか、相手から金を取ろうと思っていたのかどうか、相手がけがをすると思っていたのか予測していなかったのかなど。刑事事件で意味があるのはあくまでも当時どう認識していたかです。取り調べで、これらの認識を否定すると、まず、「そんなこといったってこういうことをすれば普通はそうなるだろう」「お前も今考えればそう思うだろう」「それくらいわからないのか」というような方から攻められます。「今考えればそう思う」と認めると次は、「だから当時だってそう考えていたのだろう」と攻められます。今考えるとそう思うということと当時もそう考えていたのとは別のことですが、そう言われているうちに当時もそう思っていたような調書ができあがるのです。そして「未必の故意(みひつのこい)」というものがあります。確実に結果が発生するとまで認識していなくても犯罪になるという理屈です。「そうなるかも知れないと思いましたが、それでも仕方がない(かまわない)と思いました」という表現になると未必の故意があったことになります。「そうなるかも知れないという危惧も感じましたがそうはならないだろうと思っていました」だと未必の故意はないことになります。この微妙なラインを踏みとどまれるかどうかで有罪か無罪かが分かれる場合があるのです。
 そして、最初に説明しただけでは、被疑者は自分の思いを貫けませんから、その後も時々面会に行って、取り調べの様子(取り調べ側の質問内容と被疑者の答え)を聞いて、さらにアドヴァイスを続けるのです。

  やってもいないことをやったと自白することがあり得るのですか

 今の説明だけでも、「やっていないのにやったと自白するはずがない」なんて単純な話でないことはわかってもらえると思います。
 それだけではなく、被疑者の多くは身柄拘束が続くうちに、事実と違っても取調官が疑っているとおりの自白をして早く釈放されたいという思いを持ちます。私の経験上、半分くらいの被疑者から、面会のときに「事実とは違っても取調官の言うとおりに認めた方が早く出られるのでしょうか」と聞かれます。取調官や、看守や同房者などから、そういう話を聞かされたり暗示されるようです。具体的にどう言うのかは別にして、現実問題として少なくない被疑者が、そういう気持ちを持つこと自体、弁護士が付いていなければ、継続してアドヴァイスしていなければ、虚偽の自白をするおそれがあるということです。
 私は次のようにアドヴァイスします。「取調官はあなたが悪い人だと思っているのですから、取調官の言うとおりに調書を作ったら、あなたが実際より悪い人だという内容の調書になります。起訴するかどうかは警察官ではなく検察官が決めるのです。検察官は警察の取り調べを直接に見ているのではなくて調書を読んでいるのです。悪い調書が出てきたら、早く釈放するのではなくて、起訴するしかないと判断するでしょう。さらに起訴された後判決を書くのは警察でも検察でもなく裁判官です。悪い調書が出てきたらその調書を見て重い刑罰にしようと思います。本当のことより悪い内容の調書を作ったら、早く出られるどころか確実に起訴されて刑罰も重くなるのですよ。」
 身柄拘束をされている被疑者は、こういうアドヴァイスを続けないと、実際以上に悪い内容の「自白」をしかねない状態に置かれているのです。

  【弁護士の仕事の刑事事件関係の記事をお読みいただく上での注意】

 私は2007年5月以降基本的には刑事事件を受けていません。その後のことについても若干のフォローをしている場合もありますが、基本的には2007年5月までの私の経験に基づいて当時の実務を書いたものです。現在の刑事裁判実務で重要な事件で行われている裁判員裁判や、そのための公判前整理手続、また被害者参加制度などは、私自身まったく経験していないのでまったく触れていません。
 また、2007年5月以前の刑事裁判実務としても、地方によって実務の実情が異なることもありますし、もちろん、刑事事件や弁護のあり方は事件ごとに異なる事情に応じて変わりますし、私が担当した事件についても私の対応がベストであったとは限りません。
 そういう限界のあるものとしてお読みください。

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